Road to Roraima #09 帰路につく

14:30にサンタエレナに戻ってきた。
順調に事が運んで余った一日を何に使おう? グランサバナか、ブラジル往復か、あれこれ。
ただ、カラカスは遥か彼方。クリスマスであれだけ機能不全だった国内交通網を考えると、年末年始も危ないのではと思い出来るだけ移動しておこうとなった。なんとか夜行バスの席をゲットし、まずはシウダーボリバールへ。この13時間のバスがすし詰めのローカルバスで地獄のような苦行。体が疲れていて必然的に眠れたってことが幸いしたが・・・・

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ボリーバルからは乗り合いタクシーでプエルトラクルスへ。海沿いのリゾートを想像していたらガソリンで汚染されているらしく海は入れなかった。ただ、賑やかで陽気な街だった。ここで年越しとなった。相変わらず街は危険なのでホテルからは出られず、0:00の花火を窓から見るだけとなった。

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元日はホテル出発のカリブの島々を巡るボートツアーに参加。なんとお昼ごはん付きで800円。こっちはまるでリゾートななかなかキレイな海だった。
エルファロ島にアラポ島、イルカの並走付きのいい一日となった。

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カリブ海に日が沈む。今日もSorelaビールとピザで〆る。これにて終了ベネズエラ。
ギアナ高地に4日間。そのためにかけた往復の交通が9日間。なんとも遠かったけれど、時間をかけてくる価値は間違いなくあった。

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Road to Roraima #08 さよならギアナ高地

雨は夜中には止み、変わって激しい風となった。
何度かテントを支えていたペグが抜け、外に出て張りなおした。
3:30にまた外に出ると、そこは満点の星空だった。
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凛々しいクケナン大地とさっきまで頂上に立っていたロライマが星空の中に黒く居座り圧倒的な存在感をだしていた。白い雲が激しく動く。

そのまま眠ることなく夜明けを待った。空が徐々に明るくなっていく。赤い朝焼けは見られなかったけれど、それでも神々しい景色だった。5:00には絶対出ようと決めていたのに、あまりにも美しく出発は30分以上遅れた。出発しても名残惜しく後ろを振り返っては何枚も何枚も写真を撮った。「ガイドからしたら、こいつらこんなに同じ写真ばっかり撮ってアホか?」状態だったに違いない。数日ぶりに完全に晴れた日。今ロライマの上の大地にいる人々が羨ましかった。

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それでも、雲一つない空ではなく厚い雲がクケナンとロライマの合間から絶え間なく排出されていく。やはりテプイの上部には常に気流が渦巻いているのであった。

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テプイに水の保水機能がないというのは以前書いた通り、昨日山の上で振り続けていた豪雨は直接下流に流れ、来るときはくるぶしの深さしかなかったクケナン川は昨日は船で渡る必要が有るほど増水していたらしい。雨がやんだ今日は腿くらいの深さに落ち着いていた。

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写真を撮るために停まってばかりいるせいか、一向にスピードが出なく1st campに着いたのは8:30。そのままほぼ平らな大地を歩いて11:30にトレイルヘッドへ。

テラと地元のビールで祝杯を上げた。
天候がはずれ雨にやられ悔いが残る山行ではあったけれど、それが自然であり、それが時間やタイミングであり、今ここにいれること、来れたことが幸せである。10年以上来てみたかった場所。変わらず旅に出られて、変わらず小さな夢を実現できていることが嬉しいなあと思うのだった。

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Road to Roraima #07 待つ、そして待つ

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夕方から降り続いた雨は、こちらの希望も虚しく降り止むこともなく一層激しく降り続いていた。トリプルポイントへ行きたいがため4:30に起きるがとてもじゃないが出発できる天候ではない。6:00に朝食。隣のテントの寺が来て、お茶をしながら晴天を祈る。テーブルマウンテン上部の大地の隙間という隙間が見る見るうちに埋まっていき、ただの水たまりが池のようになってしまった。走れば2−3時間で着くのではないかと思っていたトリプルポイントもこの水浸しでは厳しいだろう。岩から岩へルートを見ながらジャンプして進まければいけない。さて、行くべきかどうか。そんなことを考えながらも時間は刻一刻と過ぎていき、そして雨はやむ気配が全く無かった。

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横殴りの雨にガスが流れる。12:00まで待っても状況は変わらなかったので残念ながら諦めることとする。14:30、雨の中出発した。来るときに登った滝は濁流のように流れており、道という道が川になっていた。17:00前に無事ベースキャンプに到着。そこでようやく雨が収まってきた。なんとも無情である。

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年末の本格的なホリデーシーズンに入ったのか、とにかくすごい人だった。朝焼けに期待して、早々に寝についた。

Road to Roraima #06 そしてロライマへ

トリプルポイント(3カ国の国境国境)へ行くから早く出ようなと、今日も4:30起床。3:00から激しい雨が降っていた。乾季なので雨はやむだろうとガイドにきくと、止まない雨なので出発するという。6:15、我々は断崖絶壁の壁へと向かいジャングルに入った。遠くから見たらまったく登れる気がしないエルキャピタンのような壁も、急だけれどしっかりとした登山道が作られていた。粘土質なのか、階段はえぐれ、雨で滑りやすくなっていた。激しい滝の下を通ること数回。明らかな落石のあとが無数にあり、足早に進む。とにかく雨が激しく、とくに滝に打たれたのですべてが濡れた。

2時間半後、意外とあっさりとテーブルの上に上がる。とにかく雨が激しく作戦会議。往復8時間かかると言われたトリプルポイントはこの雨だと行けないという。走れば4時間じゃない?などと寺と話すと、「こいつら何言ってやがる」とガイドからは大顰蹙。ひとまずテントをはって様子を見ようとなった。
テーブルの上のキャンプサイトはスペースが限られているらしく、すれ違うポーターたちと情報交換をしていた。サンフランシスコと呼ばれる張り出した岩の下のキャンプサイトに落ち着くことにした。3張りが限度の小さいサイトだったが、雨がほとんどよけれて非常に助かった。濡れたものを乾かし、服を着替え、お茶を沸かして天候の回復を待った。

数時間後、13:00に一時的に青空が見えた。雲の動きはかなり早く、今がチャンスかとこの辺りで最も高いと言われる岩へと上がる。

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ロライマの上に厚い雲が乗っていて、動きも早く流動的。

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それでも2時間は粘っただろうか。完全に晴れ渡り全部が見えた!ついに来た!と我々は歓喜の声を上げた。
まさに、この景色を見に我々はここまでやってきたのだ。このロライマの頂に。

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凛々しい隣のクケナンも。その滝も。そして下の大地も川もすべてが見えた。

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そこから違うビューポイントへと散策し、クリスタルや不思議な植物を見てまわった。それにしても不思議な大地だった。この外界から隔離されたまっ平らな頂上に、独自の植生が発達したのだ。コナン・ドイルが失われた大地で想像力豊に描いたように。
こちらは晴れてたら夜の散歩やさっきのビューポイントでの撮影もステキだろうと想像しながら夕方テントサイトに戻ってきた。。

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日が沈む。先ほどできた水たまりが闇の中に輝いて良い光景だった。

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希望はかなわず、日の入りとともに雨がふりだしたのであった。

Road to Roraima #05 ロライマ・ベースキャンプ

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いつもどおり早起きし、5:00にBackpacker’sへと向かう。ベネズエラに来てから毎朝4:00台に起きている我々は、遊びにおいてはほんと真面目で勤勉である(笑)。帰りの時間などについて一通り揉めて、また疲れてから出発する。ガイドは28歳のヒルベルトと言った。4WDのランドクルーザーに乗ってグランサバナを北へ小一時間ほど戻り、サンイグナシオからオフロードへ。ところどころ道路に亀裂が入っているひどい道だった。
遠くにロライマ・テプイとクケナン・テプイが見えてきてテンションが上がる。

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だいぶ大地をあがったところにサンフランシスコという小さな村があった。数台の四輪駆動車が停まっていてトレッカーもチラホラ。800人が住むというこの村には、ポーターがたくさんいて、彼らは手で編んだようなかごにクロックスもどきのサンダル。大人の男性も女性も、子どもや自転車のポーターもいた。
受付をすませ7:45に出発した。ここに至るまでに日本から100時間、いよいよである。

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広大な大草原の中を進む一本道。ガイドはいい加減で、先に行っててと言ったきり一向にやってこない。遠くに雲に覆われたロライマが見えてテンションが上がる。

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久しぶりの60Lのバックパックが肩にずっしりと食い込む。第一キャンプ場まで3時間半。
キャンプ場は日当たりがよく、ここで日中を過ごすの厳しそうだ。近くの川で一息ついて昨日サンタエレナで買ってきたぶどうパンを食べた。靴下を脱いで裾をまくるとブヨみたいな虫が沢山寄ってくるではないか。チクリと刺すところもまるでブヨ。やっと追いついてきたガイドにきくとプイプイと呼ばれる虫らしく、川の近くに生息するという。あとで気がつくと50箇所は刺されていて、数日間痒みが残った。

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ここから徐々に登っていく。天気も悪く、途中雨に降られカッパとザックカバーをだすが一時的だったみたいだ。
「ダラダラと長い道で退屈だねえ〜」と寺と話す。遠くにロライマは見える、近づいてきているものの山は雲の中で、道も景色も単調だった。
それでもベースキャンプに近づくとテンションが上がった。さっきまで雨を降らしていた雲はなくなり、視界が開けたのだ。

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見晴らしのいい岩の上に座り、眼下の芝のように緑で美しい風景を眺めた。川がテプイの周りを蛇行し、太陽があたったグリーンがなんとも言えない。
Camp1から4時間、まさにロライマ山の壁の真下にベースキャンプはあった。キャンプ場には40人くらいいただろうか。見晴らしがいい場所にテントを張り、川に行水に行ったが、すでに夕方で気温も低く手足を洗っただけで終わった。清流を汲み、ウィスパーライトに火をつけブラックライトで湯を沸かす。マジックアワーがやってきて、ため息しか出ない。

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ロライマ山に陽が当たる。
となりのクケナン・テプイは男らしい黒い岩肌が雲の中。
眼下はすべてグランサバナだった。一面のサバンナの中に川が白く光っていた。

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日が沈むとホタルが現れた。

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Road to Roraima #04 トレイルヘッド・サンタエレナへ

朝5:00、予定通り運転手さんがホテルまで迎えに来てくれる。
立派なジープであった。安定感がかなり違う。カロニー川を渡って旧市街へ。暗いながらもプエルトオルダスが巨大な街ということがわかる。しかも結構近代的。5:30に薄っすらと日が明けてくる。

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Upataの街で朝食。エンパナーダはいわゆるしょっぱいチーズが入っていてあまり美味しくなかった。森の中を通ったり抜けたり。でもずっと寝ててうっすらとしか覚えていない。数々の検問を通過するが一度だけ降ろされてすべての荷物をチェックされた。札束が大量に入っているので、それが見つからないかヒヤヒヤした。途中の街でガソリンスタンドに並ぶ。結構な列だった。なぜか軍隊が見張っていた。ガソリンはセルフではなく入れてもらう形式。しかも10リッターで1.8円。えーっと・・・・これはイランより安いかもしれない。この価格だと精油代や人件費、輸送費は出せず赤字もいいところなのでは?
いまだいたるところにチャベスの写真や絵を見かける。チャベスは好きだけど、今の大統領はダメだとドライバーは言っていた。

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森を抜けてグランサバナと呼ばれる大平原へ。それは東アフリカの広大なサバンナと寸分違わないような広大な平原だった。ここにキリンやサイを放したらいいのに、とさえ思った。カモの滝に寄る。結構ジープツアーみたいな車があって、キャンプしているテントもチラホラ。

車は平均時速120kmでぶっ放す。
大平原といえど、道は下っては登って蛇行する。様々なテプイ(テーブルマウンテン)が左右に見えては消えテンションが上がる。その殆どは霧の中だった。

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13:00、ブラジルとの国境の町サンタエレナ・デ・ウアイレンに到着。いい感じのホテルはほぼ満室で、バックパッカー宿のミッチェルに泊まる。二人で600円。水シャワーしかなくトイレは壊れていて、自分でバケツに汲んでくる感じ。でも、いい感じの宿だった。
ようやくツアー会社のバックパッカーズに到着するも一悶着。日本ですべて手配し、国際送金までしてきたのに、そりゃ話が違うよってことがチラホラと。トイレテントを持参するためにもう2万円払えとか、出発は10時じゃないとダメだとか、帰りも13:00には降りてこいとか、すべて自分たち2人のためにオーガナイズしたプライベートツアーのはずなのだが、融通もきかないし逆ギレ状態。なんとか妥協点を見つけたけれど、だいぶ疲れる交渉だった。それにしてもベネズエラ人は社会主義国だからなのか、商売ッケがなさすぎると思う。ここでは商売の駆け引きや交渉があまりない。いくらだ?「●●ボリだ。」そうか、じゃあいくらでどうだ?「いやダメだ」じゃあ考える、と立ち去り後ろから声がかかるのを待っていてもスルー。おっと・・・あれ?言い値かよっ!昨日のタクシー然り、この街の闇両替商然り、だいぶ不思議。

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国境だけあって賑わう街をうろつき、明日の行動食や朝食とするパンや水などを購入し、夜は中華を食べに行った。どこにでもある中華、ここのはちょっとイマイチな味だった。それにしてもトレイルにたどり着くまで日本を出てから100時間、ギアナ高地は間違いなく遠かった!!

焼岳

前からやや狙っていた焼岳へ。
北アルプスの巨人たちに囲まれて、見過ごされそうな山だけど上高地から実は一番近い百名山。

最近のパターンとしては前日にどこかに行けることになって、いろんな人に連絡してみて行ける人を捕まえてGO!
暑そうだったので南アルプスでもなく、丹沢でもなく。本当は笠ヶ岳に行きたかったけど多数決で却下・・・・

23:00に家を出て、寺とオカピーと落ち合い、徹夜で中の湯まで。4:30に登り始めて6:00に焼岳山頂!ズゴーンという絶好の天気でヒャッホイ!いい山だなあ。火山っぽいところもとてもいい。

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上高地までヒンヤリとした空気の森を軽快に下り、梓川沿いを大正池まで。

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その後釜トンネルも走り、車に戻ると10:00前。15km、1,000m up. お手軽マウンテンとなったけど、遠そうで近い北アルプス。最高の一日に感謝。

今年の富士山

3歳のムスコと富士山へ。
無謀という空耳が聞こえるけれど。今年登れるかもしれないと思った根拠としては。

・ギリギリ担げる重さ。すなわち来年からは自力なのでしばらくは登れない。
・2,700mの白山に登っているので、高度にちょっと慣れている。
・自分の感情を自分で表現できるので、頭が痛くなったら降りれば良い。
・運動しないで(背中に乗って)高度まで移動して、すぐに降りてくるのでおそらくは高山病そのものにかからない。世界各地のいわゆる舗装の峠路に行っているが、子どもも大人もバスで普通に超えていた。それは4-5,000mなので富士山ならば大丈夫だろう。

高山病はまだ解明されていないので、自分で考えて上記の想定をした。
順調に8合目まで、ここで寒いと行ったのでじゃあ動こう!と励まして8.5合まで歩き。疲れたのか寝たので、9.5合まで寝てそれからまた自力で頂上まで。

お昼ごはんを食べて、ゆっくりと下山。

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夏山

きっと夏山が好きだ。なんでだろうなぁ、このわくわくする空気。白山に登った翌日、マイカー規制が始まって、駐車場となった市ノ瀬野営場で明け方から続々と上がってくる車と、バスに乗り換えて次々に山へと去って行く人々を、缶コーヒーを飲みながらベンチに座ってずっと眺めていた。
なぜ気持ちが高ぶるのだろう?年齢性別国籍居住地職業もバラバラなそれぞれが、都合をつけて一つのことに向かっていく。それもきっと自分の大好きな場所へ。そんな空気と、今年もやってきた一瞬の夏がたまらないのかもしれない。

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アコンカグア登山: まとめ

Yamakei4雑誌『山と溪谷』2014年4月号に記事を4ページも書かせていただく機会に恵まれ。4000字でと言われて書いてみたものの、かなりの字数をオーバーし。
記事ではダイジェスト的に色々と削ったのだけれど、原文にさらに加筆した、自分ならではこの旅のまとめを以下に掲載する。
長いのでお時間があるときにでもぜひ。

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南米の最高峰、アコンカグア(6962m)に登りたいとずっと思っていた。最後にその勇姿を眺めたのは、遥か昔のこと。アジアからアフリカ、そして中南米へと1年以上旅行していた旅の途上だった。旅の途中に6000m級の山を3つほど登り、アコンカグアの麓まで足を運べど季節は冬で登山はできず。帰国後、いつかいつかと思っているうちに10年が経ってしまっていた。時は流れ、子どもが生まれ会社員となり、地球の反対側の山は距離以上に遠い存在となった。

2013年の年末年始の暦が会社員的にとても良く、4日休めば16連休になるではないか!と気がついたのが1年前。タイミングを見計らい嫁様に恐る恐る相談するとゴーサイン。会社もアウトドアメーカーということもあってか、快く送り出してくれることになった。かくして、夏前には10年ぶりの南米トリップが確定となり、計画を練りながら、遥か彼方に想いを馳せる幸せな時間が続いた。

周りの友人達に、ランダムに声をかけた。それも北海道にでも行くような軽いノリで。「アコンカグア行くけど、一緒に行かない?自己完結できる人ならだれでも大丈夫だよ」と。地球の裏側の7,000m級を誘っているとは思えないようなノリだったかもしれないけれど、意外にも軽いノリ返しでパラパラと友人たちが集まってきた。一度も遊んだことがなかった知り合いがFacebookで参加表明してきたのは時代の流れ。かくして、一人でも行こうと決めていた旅は、いつしか7人の大所帯になっていった。メンバーは10年以上密に遊んでいる某リンゴ系IT企業のシンヤ、トレイルランナーの弘樹にパタゴニアで働く村さんと紅一点の玉ちゃん、静岡で桜えび漁とみかん農家を営む二足のわらじのカッセ、そして典型的な日本企業で働きつつも、月に10日も山に行くという最年少のテラ(ちなみに見た目は若くない)。

この中で高所登山の経験があるのは僕とデナリに登っている玉ちゃんだけで、弘樹とテラは5,000mくらいまで、あとの3人の最高地点は富士山だった。いわゆるマウンティアリングのプロは一人もいないし、ガイドを雇う予定もなく、全ての手配は自分たち。手続きも困難も楽しみながら、旅のように登りたい、というのが僕の願いであった。

こうして半年前に立ち上がったにわか登山隊は、毎日のようにネットの掲示板で情報交換をしたり、富士山や都内の低酸素室にトレーングに行ったり、 打ち合わせと称した飲み会を幾度と無く原宿のタイ料理屋で開催した。

ここまでの経緯はこちらから→ アコンカグアへ -1-

12月20日、さすがに師走だけあって、出発の直前まで忙しく、会社から直接成田に向かい夜行便に飛び乗った。飛行機は西回りでドバイとリオデジャネイロを経由し、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスまで36時間。一泊してから翌日さらにベースの街となるメンドーサまで2時間と、とにかく遠い。地球の裏側だけあって、往復の移動だけで6日間かかるのだ。

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ブエノスアイレスでは短い滞在時間ながら、ストリートでほぼ合法的な闇両替をして、入山料の1000ドルを600ドルくらいに抑えることができた。

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日本ではちょうど冬至、すなわちメンドーサでは夏至となりシエスタが必要なくらい灼熱の暑さだった。朝早く起き、入山許可証の取得(約1,000ドル)、荷物運搬のロバやベースキャンプのテントを手配してもらったエージェントとのミーティング、登山靴やギアのレンタル、そして最後は10日分の食料を買いに大型スーパーへ行き荷物の振り分けとパッキング。準備にヘトヘトになりながら、なんとかすべてを一日でこなして、ようやくスタートラインにたった。

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24日、タクシーでトレイルヘッドまでは2時間。ロバに預けた荷物の総重量は180kgもあった。出発地点となるオルコネスの標高は2800m、アコンカグアを眺めながら川沿いをゆるやかに登る道が続いていた。テンションが上がりまくって、みな子どものように「すげー」「キレー」ホゲーと口をぽかーんと開けながら進んだ。4時間もかからずに、最初のキャンプ地3,300mのコンフレンシアへ着く。夕焼けと朝焼け、夜の星の多さが忘れられないほど美しかった。

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アコンカグアではこことベースキャンプにドクターがいて、内診、血圧、血中酸素濃度のメディカルチェックがある。なんとその検査にシンヤが高血圧で引っかかってしまった。彼の日課ともいうべき昼食写真のFacebookを皆見ていたので「あいつ毎日ラーメン食べ過ぎなんじゃないか・・・」と誰もが思った。彼は計測しなおしてくれと3回も粘り、最後は「俺は実はものすごい繊細な人間で、緊張してこんな数値なんだ、いつもならありえないよ」と強引な言い訳をかました。ドクターも負けて「ミスター・ナーバス」という異名を彼につけただけで、この先の許可が降り、一同ホッとしたのだった。

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2日目の行程は長く1,000mの標高のアップに距離は25km。水がほぼ枯れてしまっている広大な河川敷をゆっくりと上流に進む。左右の山々は様々な形、斜面があり、余裕で富士山超えの4-5,000m級。日本とのスケールの違いに一同感動しながら黙々と歩いた。川の徒渉が何度かあり、後半は登りが続き、10時間で4,300mのベースキャンプに到着。キャンプ地が見えたら興奮してしまったのか、テラと村さんがすごいスピードで上がっていった。あれほどゆっくりしようと話していたのに、やれやれである。

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ベースキャンプでは様々なエージェントの大型テントがあり、我々も1泊25ドル払って大型テントを確保した。
翌朝、体に異変が現れた。頭がこめかみの奥から猛烈に痛む、10mとまともに歩くこともできずに、眠くて仕方ない。完全な高山病である。村さんと僕が同じ症状で、ドクターには肺に少し水が溜まっているから翌日も安静にしているようにとの診断。昨日後半ペースをあげたテラはというと、この日も絶好調の模様。予定では休息日だったのだけれど 「じっとしていられないんで軽く登ってきます」と言い残し、玉ちゃんと二人で4,800mまでデートに出かけていった。

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夕方、我々より3日遅れで日本を出発した弘樹が合流。ようやくフルメンバーとなる。ロバに荷物も預けず高速で上がってくるところが我々と体の出来が異なるトコロ。

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夕食時、気づけばテラが後頭部を壁に押し付け、うつろな顔をしていた。大丈夫?と聞くと、充血させた目をこちらに向けながら「ダメです」と言った。

自分の高山病はというと、徐々に回復していた。水を高山病対策で5リッターも飲んだので、夜中に4回もトイレに起きた。その都度、テラはずっと激しい咳をしていて辛そうで見るだけでかわいそうだった。明け方の小便に起きると、まるで地縛霊でも去るかのように、何かがスコーンと抜けた気がして「高山病が終わったな」と一人嬉しくつぶやいた。

陽が出てもテラの様子はひどく、ドクターのところに連れて行くも、数歩としてまともに歩けなかった。美しいラテンのドクターに聴診器を当てられるテラが羨ましくもあったが、彼女はすぐに難しい顔をしてレンジャーを呼ぶと、そのレンジャーが無線で交信を始めた。すぐにヘリで降ろさなければ危険なレベルの肺水腫だという。血中酸素濃度を測ると33しかなかった。(おそらくはすでに死んでいる数値らしいので、えらく低かったというのが日本に帰ってきてからの適切な表現なのだろうが、この時は本当にこの数値だった)「死んじゃうよ!」と二人で笑ったら「笑い事じゃないから!」とものすごく怒られ、おしりに注射を打たれ酸素ボンベをしているテラを見てさらに一緒に笑うと「ほんと笑い事じゃないわよ!」と切れられた。このダメなグループ的レッテルはここを去るまで続き、なにかあるとすぐ呼び出されることになった。

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持っていけるのは貴重品とパスポートだけだと言われ、それらを渡すとテラはヘリコプターに乗せられあっという間に去っていった。彼のアコンカグアはじつにあっさりと、たった3日で終わってしまった。(この後しばらく連絡がとれなくなったのだが、入院後にリカバリーをして、気分を変えてパタゴニアでワインを飲んでますとの連絡が来て、一同ホッとしたのであった。)

さて、我々は2日間のベースキャンプ順応を終え、入山から5日目に5,500mのニド・デ・コンドレスまで高度順応を兼ねた荷揚げを行った。景色は上がれば上がるほど別世界。これまで下から見上げていた高峰が眼下に見えていくという満足極まりない体験である。ただ、ちょっとでも負荷をかけると頭の血管が切れるような感覚に襲われるので、すべてを慎重にゆっくり行わなければならない。

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無事テントを5,500mに張り、下山した翌日は完全休息日。

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7日目、再び5,500mへ。実はこの後の天気予報では強風が続いていたのだが、5,500mまでは上がれるだろうし、宿泊しての高度順応も必要だろうとのことで、まずは行ってみようとなったのだ。上がるとすぐに、レンジャーが上部から遺体を降ろしてきて、上部のキャンプ地でテントが6つも風で潰されたと聞き、続々と下山していく人々とすれ違った。遺体がテントのほど近いところに安置された不安な夜を過ごした翌日、レンジャーに今後3-4日は天候が悪いままとの報告を受けると、カッセと村さんは一度ベースキャンプまで下山するとキャンプ地を去っていった。

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このまま時間切れになるなら、早めに降りてメンドーサでワインでも飲もうかとも思ったけれど、諦めきれない我々4人は天候が回復するかもしれない最終日にかけることにして、ここ5,500mでもう3泊高度順応を進めながらギリギリまで粘ろうと決めた。

その3泊はのんびりとしたものだった。6,000mまでのんびりとハイクしたり、水場を探して散歩をしたり、テントの中で年越しのカウントダウンをしたり、和気藹々と皆で楽しく過ごした。ただ一点だけこの旅で一番つらかったことがある。このハイキャンプで作る水があまりにも苦くてまずく、それだけならまだしも4人全員が下痢になったのだ。高所でのキジ撃ちは辛い。それも四方八方からの予測できない爆風に襲われ小便が毎回自分にかかってしまうレベルの強風・極寒状態で素手になってしゃがまなければならない。しかも公式のルールとして、大便はベースキャンプまで持ち帰らねばならないというおまけ付き。このプロセスに皆が体力と気力を奪われてしまったのは言うまでもない。

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ハイキャンプでの4泊目、下山した二人も上がってきて、最後のチャンスにかけることになった。1月3日深夜0:00に起き、朝食と準備と下痢止め剤を飲み、2時に着られるものを全てまといテントから出た。残念ながら風は止まなかったけど、ダメ元のチャレンジである。

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暗い中、数日前に登ったルートを思い出しながらゆっくりと歩く。最終キャンプ地のベルリンまで2時間程度。ここで、前日ベースキャンプから上がってきた村さんの様子がおかしくなった。辛い、寒いを連発し、いきなり靴下を変え始めた。それも20分もかけて・・・そこからは固まって動かなくなってしまった。「あとちょっと行ってみようよ。みんな辛いしがんばろう」との呼びかけに「わかった、頑張る」と答えるものの、一歩も足が前に出ない。近寄ると鼻水を垂らしうつろな目をしていた。これは無理だと思い、カッセに一緒に降りてもらうこととなった。当初からバディを决めていたとはいえ、まだ健常な者に下山を促すのはとても複雑な気分だった。

残った4人で上に上がった。まるで魔界のような爆音が上部から聞こえていたけど、6,000mの風の吹きさらしに出ると、その音の正体である爆風が我々に襲いかかってきた。あんなに着込んでいたのに、止まると寒い。ちょっとやばいなー、と久々に思った。シンヤがだいぶ遅れ始めて、様子を見に行ったり迎えに行ったら体が冷えて。かといってじっと待っていても、強烈な眠気に襲われ気づくと眠ってしまっている自分がいた。6:00頃、ようやく朝日が当たり始めた。

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眼下に見える山々にゆっくりとアコンカグアの影が移っていき、それはそれは神々しかった。ただ、寒すぎたためかカメラを頑張って取り出すとモーターが壊れてしまっていた。6,400mの大トラバース手前、再び猛烈な爆風にさらされた。風の中進むことができずに、しばらく待機した。弱くなった合間を縫って、ちょっと進んでみたものの、ストックで体を支えていないと立っていられないレベル。そのときふと、家族の顔が浮かんでしまった。子どもと嫁さんにもう一度会いたいなー、そんなことをこんな時に思うのは初めての事だった。この風の中、無理をすれば登頂できるかもしれない。ただ果たして、下山する体力は残るだろうか。体の弱りもあり、気持ちも弱ってしまっていたのかもしれない。比較的すんなりと状況を受け止め、「ここで辞めよう」と皆に告げた。

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こうして、僕のアコンカグアは終わった。弘樹と玉ちゃんは最後にもう少しチャレンジをしてみるというので、彼らを見送り、結局今日もシンヤと二人かとお互い笑って、そしてちょっと悔し涙を流してから、下山の途についた。

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ハイキャンプのテントを撤収してベースキャンプまで。そこで無事下山していた村さんとカッセと再開し、帰りのロバとタクシーの手配をしてから、残る二人を待った。

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21:00、ようやく彼らが降りてきた。6,600mまで上がれど、時間切れで下山すると決めたとのこと。本来であれば昨日がラストのチャンスだったので仕方ない、なんせ明日はロバに荷を積み25km歩いて、150kmタクシーにのってメンドーサ、翌早朝には飛行機である。

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こうして我々の南米最高峰チャレンジは、7人の誰もが登頂を果たせずに、一つの目的は果たせなかったわけだけれども、もう一つの皆で半年前の最初のミーティングで決めた絶対目標、「何があっても全員生きて戻ってこよう」という約束だけは果たせたのであった。

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下山しながら、何がいったい悪かったんだろう。あの時ああしていれば、でもダメったかな。それならこうしていれば、でもダメだっただろうな。とそんなことを考えてばかりいた。タラレバはないけれど、それでも考えずにはいられない。それは今でもそうだ。
メンドーサに無事に帰ってきて、ギアを返却し、ホテルを探し、交代でシャワーを浴びるともう深夜0:00。そこから眠らぬラテンの街へと繰り出し、3:00までステーキ屋で飲み食いをした。帰ってきてもちろん、爆睡のはずである。それでもなぜか朝が来る前に目が冷めて、あまりにも悔しくてバスタオルが全面鼻水で塗れてしまうほどオイオイとみっともなく泣き続けた。でも泣いたらとてもスッキリした。とにかくただただ悔しかった。原因が天候であれ、なんであれ。打ち勝ちたかったな、と思った。

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帰国して、ずいぶんな月日が経った。
山と渓谷に記事を書かせてもらったり、Rainy dayでスライドショーをやらせてもらったり、それもまた幸せな時間だったと感じる。準備して、実施して、振り返り、そしてアウトプットする、というとてもいいサイクルができたと思う、ただ一点登頂できなかったという、一番重要な事実を除いては。

また次の新しい山へ。それが実在する山なのか、それとも人生の山なのか、今度こそ頂に立ってみたいと思う。