Day 4 東から西への移動

旅の4日め、ブータン3日は東から西へ引き返す旅となる。
ブータンは東西に長い国で、それでも九州と同じ大きさしかないので、全体の距離は推して知るべしなわけだが、国際空港と首都はかなり西の方にある。なので、西からどこまで東に行って引き返すか、というのが旅行の日数や目的によって変わってくるのだが、この行程で行けるのは民泊したポブジカが限界ということだった。

東に行けば東に行くほど、古いブータンらしさが残っているらしい。それは日本も一緒だけれど首都や町になると、世界中似通ってくるのと一緒で、そこから離れると昔ながらの良い所が残っているらしいのだ。
今回は残念ながら、1/3ほど東に来てその最東端であるポブジカからは来た道を引き返した。再び道は山の中。ただ、相変わらず景色は絶景。中間地点のワンデュまで3時間、その先首都ティンプーまで3時間。

その首都ティンプー。なんと今日は「No Car Day」だった。街の外の駐車場に車を止めて、そこからはバスやタクシーで街に入らなければならない。王様や首相もちゃんとじっとしていて、首相はマウンテンバイクで通勤しているとのこと。タクシー儲かるねと言ったら、タクシーも今週は奇数ナンバー、来週は偶数ナンバーというように決められていたりもするらしい。もちろん、環境に配慮しての決め事だと思うけど、こういうことがサクッとある意味トップダウン的に決まってしまうのがブータンのすごいところなわけで。

どこまで合っているか、わからないけど、この旅行中に聞いたブータンならでは的な面白い話を簡単にまとめてみよう。

・輪廻転生。ブータン人は輪廻転生を信じまくっているから、今を生きる。さきのことはあまり考えないで、ラテン人のような感じらしい。貯金もしないし、好きなモノをローンで買っちゃう。今が大事。早く死んだら、それだけ早く来世に行けちゃう、というポジティブシンキングもいるみたい。だからローンでみんな家買っちゃって、こりゃヤバイと今年の春からローン自体が一斉禁止・・・

・No アルコールデイ
火曜日はNoアルコールデイで居酒屋やバーみたいなお店は軒並み閉店。なんで、と聞くと「なんでだろうね、決まったから」とガイドさん・・・

・タバコ禁止
タバコは健康に悪いということで、数年前に一斉に禁止。インドから買ってくる人もいるらしいけど、とにかく禁止。

・信号
ブータンには信号がない。車は増えてきたけど、信号はない。首都に一つだけあったのだけれど、先代の王様がブータンには似合わないんじゃないかな、とポソリと言ったら撤去されたらしい。ということでブータンには信号がない。

・野菜
ブータンでは国の産業の80%が農業。なのに、インドから安い野菜がたくさん入ってきている。聞くと、ブータン人は怠け者だからねえ〜とのこと。ただ、これはダメでしょ、と政府からお達しが出て国内野菜自給率100%条例的なものが先週決まったらしい。

・インド人
チベットからダライ・ラマが亡命するときは、実際にブータンを通ったのだという。それほどチベットは近いし、国内に帰化したチベット難民も沢山。仏教的な繋がりも強い。なので北の中国は警戒し、南のインドと仲良くしている。でも、なぜかブータンの人々はインド人を見下している感じがあるらしい。肉体労働はインド人の仕事と思っているらしい。首都ティンプーの失業率は20%以上。建設ラッシュのため肉体仕事はたくさんあるのだが、インド人の仕事と決めつけて、その職にはつこうとしないらしい。
実際に建築現場の脇を通った時に、ガイドさんが「あれみんなインド人」と言うので「なんで?」と聞くと「インド人はねー、ああいうの作るのうまいの。だかだよ。あとやっすいの」という答えが返ってきた・・・

・誇り高き人々
ブータン人はすごく誇りが高い、というのは本でも読んだし聞いた。
そして英語を話せる我がガイドさんが白人と話しているときに「オレはとてもうまく英語を話せるわけだけど・・・・」と話していたのを聞いた。謙虚な日本人にはなかなか言えないことだ・・・

と、こんな面白いブータンなのです。

民家に泊まる

ブータンで民家に泊めてもらうといっても、かつてバックパッキングをしていた時のように、偶然の出会いとかではなく、ガイドさんにアレンジしてもらっただけだ。とはいっても、日常的に民泊を受け入れている比較的キレイで慣れているところか、あまり受け入れていない、より素朴で現実に近いところかと聞かれ、後者をリクエストした。

家はポブジカのガンテが見える、谷の中にあり、ブータンならではの巨大な家だった。
生業は農業と酪農。前述のジャガイモを育てていて、牛は主にミルク用とのこと。牛は一階で飼っていて、二階が物置、三階が居住スペース。これだと家畜が一階にいるから冬でも暖かいのだとか。ただ、衛生的には良くないらしく、近年この建築方法は禁止になったとか。

失礼ながら泊めて頂いた方のお名前をわすれてしまったのだが、角刈りの父さんとやわらかい感じの母さんの二人暮らしの家だった。娘が二人いて、どちらも首都ティンプーの学校に行ってしまっているのだけれど、ちょうど夏休みで20歳の長女が戻ってきていた。

入るとまず、一番立派な仏間に通されて、そこにはガイドのタシさんと僕の布団がすでにひかれていた。非常に綺麗な布団だった。

居間兼キッチンに通され、バター茶とお米で作ったお菓子が出される。バター茶はしょっぱくて昔から苦手だし、お米のお菓子もバターが絡めてあって、あまり得意ではなかった。でも失礼ないようにと飲む。家畜を飼っているからだと思うけど、終始ハエがものすごく、食べ物にダイブしてくる。ハエ取り紙でもあったらすごいことになるだろうなあ、と思ったのだけれど、ブータン人は基本的に敬虔な仏教徒で、輪廻転生を心底信じているので、めったなことでは折衝をしないらしい。なので、そのような何かを殺してしまうような、道具というかモノというかはこの国では売れないらしい。

この家では、お父さんが料理をして、お母さんと娘が牛の世話をしていた。力仕事がお母さんの仕事の感じ。なんとなく逆じゃないの、普通・・・
夕方になると、お母さんが搾りたての牛乳を採ってきてくれて飲ませてくれた。とても美味しかった。驚いたのは都会に出ている、いわゆるワカモノである娘さんが、文句の一つも言わずに足を泥だらけにして牛の世話を手伝っていたこと。日本ではなんだか考えられない。こんな田舎からと買いに行ったら「うちの家なんて田舎でダサくってさ〜、手伝いなんてしてられないわ」と日本のお年ごろの娘さんなら言おうものなのに、20歳でもまったくスれてもいないし。
なんで帰ってきてるの?と聞くと、「え、なんで?だって休みだから両親に会いたいし」ととてもピュアな答えが帰ってきた。なんか、いいな、ブータン。

暗くなると、ご飯の時間。ブータンでは比較的夜ご飯が遅いと聞いた。といっても19:00くらいなんだけれど、確かに田舎としては遅いかもね。

出していただいたのは、このようなご飯。
いつもながらの停電らしく、ソーラーのランタンみたいな電気しか無かったので、写真は暗い。

かなりの量のご飯(黒米でも混じっているのか、ピンク色)、国民食のチーズと唐辛子を混ぜたエマダツィ、それと野菜がオイルで炒められている物。基本的には唐辛子とか辛いものはかなり好きなのだけれど、お腹が強くない。この時も美味しかったのでたくさん食べてしまったのだけど、翌朝ちょっぴり後悔することに・・・

ご飯のあとは、蒸留酒をいただいた。でも少しでも目を離すとお酒にハエがダイブして、溺死。なので途中からコップを手のひらで塞ぐはめとなった。21:00には就寝。

いつものごとく、早く目がさめたので雨戸を空けて外を眺めてみる。雲が下まで降りてきていて、幻想的な眺めだった。
ただ、その光景をゆっくりと眺めることは出来ず、トイレに篭ること3回・・・

ちょっとだけ散歩に行った。

牛さんたちがのどかに草を食べていて、霧の中の家々が美しい。煙が上がっている家は朝御飯でも調理しているのであろう。外で顔を洗ったり、逃げ出した牛を少年が届けにきたりと、早くも時間は動いていた。家に戻るとこれまたお母さんが牛の世話をしていた。朝食は今日もお父さんの仕事らしい。

朝食は干し肉と唐辛子の炒め物。そして唐辛子だけの炒め物だった。唐辛子オンリーの炒め物はさすがに食べれなかった。

窓から見えた家の人に、ふと「幸せですか?」とココロの中で聞いている自分がいた。ここブータンはGNH(Gross National Happiness, 国民総幸福量)というGDPに変わる指標を持っていて、それはエコや持続可能系の団体からは長く知られた事実だったし、最近ことさら注目されていたし、昔ブータンに行った人がみんな本当に幸せそうだったと口々に言っていたからだ。
でも、そんな質問まったくの無意味だとすぐに思い直した。幸せなんてものは、あまりにも主観的な感情だし、外から見てもわかるものでは全くない。そして、こんな外部の者が測れるものでもなければ、図々しく聞くことでもない。

たった一日民家に泊まっただけでは、その国の暮らしなんてまったく分らない。
たった数日旅しただけじゃ、さらにその国のことなんてまったく分らない。でも泊まらないよりは泊まれたほうがよいし、来ないよりは来たほうがよい。

とても良い体験だったなと自分に頷き、再びティンプーへと向かう車へと乗り込んだ。

ガンテまで

通常5日間の行程だと、プナカやワンデュ・ポダンがパロから行ける最も遠い東の地ということになるらしいのだが、今回は無理を言って更に3時間ほど東のポブジカまで連れて行ってもらうことに。


(ワンデュの街に入る前のインド人の村。)

道は再び屈折する峠道となり、ところどころ未舗装で、ところどころ崩れていて、とにかく時間が掛かる。ティンプーからプナカへの道と同じように、道中かなり傾斜が厳しいところにも人の家があり、営みがあり。こちらはただただ感動して、車窓の外を眺めるだけである。

ペレ・ラの峠の少し手前を右折し、3,360mのラワ・ラ峠を下りポブジカの街へ。
突然、視界にガンテ・ゴンパがどどーーーーんと現れた。1613年に開かれたお寺らしい。

中は非常にのどかで、広場で家族がくつろいでいたり、子どもが鬼ごっこをしていたり、お坊さんたちがお経を唱えていたり。

ここ自体が高台になっているので、谷の平野がよく見える。広々とした草原に大きな家。ブータンの家は一つ一つが大きい。世界でも類を見ない大きさだという。九州の土地に、大田区の人口だからなあ。これも幸福度アップに結びついてるよな、きっと。そんなことを思いながら眺めた。雲の中から日がさして、とても美しい。そういえばブータンに来て初めて晴れた気がする。一瞬だったけど。

ここから森の中を1時間ほどハイキングした。谷の底は湿原となっていて、冬にはロシアからツルが渡ってくるのだと。牛としか会わない、静かな場所だった。途中から雨が降ってきた。やはり雨季のブータンだった。

Day 3 ブータンに浸かる

鳥の声で目が覚めた。5:00だった。朝食まで時間があったので、ホテルの周辺を散歩することにした。ホテルといっても町外れにポツンと立つ立派なゲストハウスといった感じなので、周囲は本当にのどかだ。川の対岸に畑と家が見え、上流にはプナカの街が見える。

ホテルを出て、坂を上がった。特別な景色ではなく、日常の光景なのだろうけれど、その日常の風景にすら、ただただ感動してしまう。本当に来てよかったなと。幸せの国で幸せだな、と。

雨上がりのせいか、雲が山の下まで降りていて、景色にアクセントを加えている。棚田が続く田園風景。よく手入れしてある田んぼに稲が気持ちよくまっすぐと立っている。今の時期がブータンの一番美しい時期ですと、タシさんの奥さんが来る前にメールで教えてくれたのだけれど、本当にそうなのかもしれない。見渡す限りのラッシュグリーン。

宿に戻る時に、通学途中の学生に会った。なんだか心温まる光景。みんな民族衣装を着ていたけれど、これが制服なのだとか。まあ、日本の学ランもセーラー服も海外の人から見たら相当特殊なんだろうな。

プナカのゾンに行く。
ゾンとはその地域の県庁みたいなもの。昔ながらの要塞をつかっているのだが、味があってよい。半分は行政的機関で半分は仏教的側面を持っている。日本で例えると、県庁の1階から5階までは各部署があって、6階から10階まではお坊さんたちのお寺、しかも住んでいる、みたいな感じ。

ゾンの前で民族衣装で携帯で話しているおっさん、しびれる〜。と思ったら剣を脇にさしたおじさまがやって来て、携帯の人もお辞儀。偉い人なのかもしれない。続々やってくる人はみんな民族衣装を着ている。時間にして9:15くらいだったのだけれど、いわゆる公務員の方々が出社して来ているとのこと。

「ブータン人はねえ、時間にルーズなの。ホントは9:00始業なんだけれど、少し遅れるのは気にしないよ。」とガイドのタシさん。ちなみに勤務時間は9:00-17:00で冬は16:00までらしい。スバラシイ!

家族連れや、子供連れの方もいる。その人々も民族衣装を着ているのだけれど、公務員ではなく、婚姻届や出生届、各種手続きかもしれないとのことだった。このゾンに入る人は一般の人もすべてブータンの民族衣装を着なくてはいけないというルールなのだ。ブータンではこれが正装というわけ。

これはうまい事をルール化したなあと思う。
日本もそうだし、世界共通だと思うけれど、人の服は西洋化している。フォーマルはスーツ、日常はパンツにシャツといったように。ここブータンでも、テレビが解禁されてから特に欧米の影響はつよくなったようで(もちろんインドの影響も)、若者はワックスを塗ったヘアスタイルと、ジーンズにTシャツというラフな格好がほとんどだ。農家のおじさんやおばさんも、民族衣装は手入れが面倒で暑いということから、ラフな格好をしている人が多い。

でも、このルール化。これにより公務員の制服として民族衣装が必然として残り、さらには学校や祝い事でも必須とされているので、どんなに一般の服装が欧米化しても、民族衣装は残り続けるということになっている。

日本だって、着物や袴や浴衣などをお祭りや祝いの席で着る風習が残っていて、それは決してダサいことではなく、むしろステキだと思われているよね。そうやって、昔からある自分たちの伝統を残していくのはとても大切だし、このような形でルール化したところに、ブータンやるなあ、と思ってしまった。

橋の入口にはチベット仏教ならではのマニ車。
一回転させるだけでお経を読んだと同じ効果があるという、「ほんとに?ズルくないの?」といった優れもの。橋を渡ると階段がどーーーーーん!と聳えていた。やばい、絵になるしステキ過ぎる。

このゾンは1637年に建てられたものが起源らしいが、その後水害や不審火などで頻繁に改修されているとのこと。それにしてもすごい。階段を上がったところに東西南北を守る神の絵があり、おじいさんが巨大なマニ車をずっと回していた。

中は左側が行政で右側が僧侶さんのエリア。
ほんと、ここはどこなのだ。まるで数十年、数百年前に迷いこんでしまったような光景がここにはある。

人、畜生、餓鬼、地獄、修羅、天の世界の輪廻転生の図や、ブッダの歴史、ブータンの神々の歴史、ブータンのゾンを一昼夜で一人で立てたシャブドゥンの話など、覚えきれないくらいの盛りだくさんの話を壁画やお寺の中を見ながらタシさんに聞く。
ブータンは本当にアイデンティティを確立してる、豊かな国だなあとつくづく思う。

続いて田園の中のチミラカンへと向かった。
道中は、どうなのこれ・・・女性だったら下を向いてしまうような男根の絵が色々なところに書かれている。それは、このチミラカンという寺が子作りの寺だからという訳ではなく、ブータン全土で見られる絵らしいのだ(確かにその後も沢山見た)。ブータンではこれらはポーと呼ばれ、神聖なものとして崇められている。確かにさ、人々が反映していくためには子孫が必要だろうし、子はいつの時代も宝だったはず。それにしてもねえ、なんか出ちゃってるし・・・

田んぼの中をゆっくりと抜け、坂を上がってお寺まで。

チミラカンの隣には菩提樹の木があり、たくさんのダルシンやルンタが周囲の丘を覆っていた。

多くのちびっこ僧侶達が中で楽しそうに勉強している。それは平和な一コマ。

ここからさらに東へ。標高3,360mのペレ・ラへと道は向かい、旅は続く。

夢の国に立つ

なんだかインドは短期間でいろいろあったなぁ、とようやくブータン行きの飛行機の搭乗口へと向かう。今回荷物は機内持ち込みのシンプルな装備なのだけれど、ここで何度荷物を通しても引っかかる。

「お、お前のバッグの中に細長いソードみたいのが入っているだろー!」とインド人。ん・・・あぁ、それはバックパックの骨組みだよ〜。中身全部取り出して分解。無事通るが、これはインドの空港で3回ともやらされた。やれやれ、インドってやつは・・・

ブータン行きの飛行機は国営のDuruk Airのプロペラ機。思ったより小さくてなんと48人乗り。昨日がほぼ徹夜だったので速攻寝落ち。それでも景色を見なくては〜という義務感から後半起きて窓の外を眺めた。残念ながら雨期なのでヒマラヤは雲の中。ブータンで唯一国際空港があるというパロへ山を縫うように降りていく。落ちるかと思うほど、山が近い。
早速すごい景色だった。深い緑の山々に家が点在している。

インドのラダックに行った時は氷河の上を通ったし高い峰々ばっかりだったけど、こちらはやや里山的な風景だった。ヒヤヒヤしながら無事ブータンに到着。ついに夢の国に着いたのだ。

ブータンに乗り入れている飛行機はこのDuruk Airだけなのでキャパ的にかなり限りがある。なんてたって、この48人乗りのATR 42を1機と、114人乗りのAir Bus A320を2機しか保有していないのだ。奇遇にもこの Duruk Airに10年以上前に乗ったことがある。あれは自転車で旅している時でバングラデシュからミャンマーへの陸路入国ができなかったので、そこを飛び越すためにバングラの首都ダッカからタイのバンコクまで飛んだのだった。当時はそれが一番安い飛行機だった。

なぜ、ブータンが夢の国なのか。それには理由がある。
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この国が80何カ国目にあたるのだれど、かねてからずっと来たかった国なのだ。旅人の評判もピカイチ、ロケーションも最高、そして文化や歴史も豊富。見所もいくらでもある。でも、バックパッカーには常に夢の国だった。
昔インドを旅しているとき、日々の予算は10ドルだった。それで十分だし余ったくらいだ。300ドルで一ヶ月、そんな旅行スタイルと続けている旅人は多かったと思う。それに比べてブータンの旅行はなんと一日200ドルかかる。しかも値引きなしだ。料金などシステムについては今度詳しく書きたいと思うけれど、なぜかというと旅行者は一律で政府が決めた料金を旅行日数分払わなければいけず、これが200ドルというわけ。なのでバックパッカー的観点から言うと、二日でインド旅行の1ヶ月分以上の料金がかかってしまうというわけなのだ。だからブータンという国はバックパッカーにとって行きたくても行くことができない夢の国であったのだ。

まれにブータンに行ったことのある人に旅行中に会うことがあったのだが、とにかく誰もが絶賛した。人々はまったく旅行者ずれしておらず、西欧化の波にも揉まれていない、そして誰もが美しい民族衣装を着ている。それこそ夢のような国だと。
友人に招いてもらう、ブータン人をインドで見つける、などの裏技的手段も存在していたけれど、今日でもそのような話がバックパッカーの中であるのかは知らない。
さらには、2012年からその200ドルは50ドルも値上げし、バックパッカーにはより高嶺の花の国となってしまった。でもよくよく考えると、僕はもうバックパッカーでもないし、今のところ旅行できる日数も限られている。あれから10年以上が経ちいい大人になってしまった。人生の時間はとても短い。行きたいところに行けるうちに行こうと思い、この夢の国に降り立ったのだった。
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飛行機からは歩いておりた。空港はブータン調な建物で、旅人の心をくすぐるすべを心得ている。空港の銀行でドルからブータンのヌルタムというお金に両替する。レートはあまり良くはないが、大した額じゃないしいいとしよう。

さっそくガイドのタシさんが出迎えてくれた。温かい優しい人の雰囲気。奥さんが日本の方なので流暢に日本語を話す。ドライバーもタシさんという名前で、こちらはイケメンの若者だった。そう、さすが200ドル以上出しているだけあって、今回はドライバーさんとガイドさんが常に僕ひとりのためにがっちりとついている豪華極まりない旅なのだ。

車は空港のあるパロから、まずはティンプーを目指す。日曜日のマーケットを見ようとのこと。丘の上には白い旗が沢山並んでいるのが見えた。ガイドのタシさん曰く、あれは死者を弔うものでダルシンと呼ばれ、親戚がなくなると108本作って山に立てるのだという。

パロ川に沿って南に下り、伝統的な橋に寄ったり、降りて写真を撮ったり。

1時間ほどでパロの首都、ティンプーに着いた。ブータンは現在住宅建設ラッシュ。ティンプーの人口も10年で2倍になっていて、若者の失業者も沢山。お気楽な人々なので、後先考えずローンをしてしまう人々が多くて、破産してしまう人も沢山、という「幸せの国」の印象からは程遠い問題を抱えている。そこでブータン政府のとった政策はというと、まずは「みんなローン禁止」だという。こういう日本ではありえない面白い話をこの旅の道中にたくさん聞くことになるのだけど、それを話す時のガイドのタシさんのケロっとした口調が面白い。「んー、ローンできなくなっちゃったんだよね。でも仕方ないよ、みんな借りすぎてたからね」という感じでなんだか軽い(笑)。

ティンプーの街は首都といってもとても小さい。入口はまさしく住宅建設ラッシュで、あまり美しくはない。首都もモバイルショップや土産物屋さんやいろいろな俗っぽいお店であふれていて、通りを歩く人々もジーンズにTシャツといったような近代的な服装の人々が多く(もはや当然ではあるけれど)、ここ自体がぐっとくる街ではないと思う。

昼食を食べて、コンクリートでできた市場へと行った。2階は有機野菜オンリーで1階はそうじゃない野菜とタシさん。2階で買い物をしているのはブータン人で1階はインド人が多いらしい。そう、ブータンとインドの結びつきは半端ないのだ(後で詳しく書ければと思う)。

硬いチーズや、変わった形のベーコン、干物など面白いものも並んでいる。そして沢山の唐辛子。あとで十二分に思い知ることになるが、ここブータンで唐辛子は野菜なのだ。

少し慌ただしいけど、まずはこれにて首都を離れて東へと進むことに。今日はここから2時間先のプナカまで行くのだ。2時間って言ったって、距離はたいしてないのだけれど、ほぼ100%山国で、常に道がくねくねしているから、思っているほど時間がかかるのだ。

あれがブータンで一番古いシムトカゾン(1629年建設)だよ、ここが有機農業の試験場、この辺はチベットから亡命してきて帰化した人々が暮らす地域、などと要所要所で実はとても興味深くてすごいことである説明をフムフムと受けてながら、道はどんどんと森の奥深くに入って高度を上げていく。意外とすぐに3,150mの峠ドチュ・ラに着く。晴れていたら7,000m級の山々も一望できるとのことだが、もちろん全ては雲の中。峠には沢山のルンタが結び付けられていて、さながらチベットやネパールのよう。

そこから一旦は下るのだけれど、景色はどこまでも、ため息が出続けるほど素晴らしく、美しかった。こちらサイドには道があるけど、向こうには車道がない。でも家はポツリポツリとあって、段々畑が続いている。どうやってあっちに行くのだろうとか考えちゃうけれど、車主体で成り立っている社会じゃないから良いのかもしれない。そこで生活が完結していれば。

それにしても美しい森だった。どこまでも瑞々しく、生命の塊のようだった。
ブータンは九州ほどの大きさで、人口は70万人。そして森林率は68%。道路は東西に一本。そこから北と南にちょこちょこと派生しているだけで、日本で例えるとほとんどないも一緒だ。ものすごい原生林率なんだろうな、人間が到達していない場所、ありのままの自然が残っている場所がきっと五万とあるのだろう。

徐々に標高を下げて、プナカに到着。濃い一日だったなと思いながら、ブータン産のビールを喉に流しこむと倒れるようにベッドに横になった。サーーーッと森に降る雨の音が心地よかった。

コルカタのガンジス川へ

インドの旅行を表現すると「こちらが何もしなくても、向こうから何かがやってくる」ということに尽きると思う。日本で街に突っ立っていても、何も起こらないし、自分がアクションを起こさないと何もはじまらない。ただ、インドでは自分が何かをしなくても、必ず何かがはじまるのだ。

空港の固いベンチでうまく眠ることができずに、5:00に目が覚めた。外はもう明るいし、旅も短いし、空港内にいても何も面白くないので、タクシードライバーとでも会話して時間をつぶそうと、コーヒーを買ってから外に出る。

1秒でおっさんがやって来た。「タクシー?」
「いやー、タクシーはいらないんだ。朝の飛行機でブータンに向かうから」と僕。
「10時の飛行機か?」
「そうだよ、詳しいね!」
「それまで街にいけばいいじゃないか」
「実はさっきサダルストリートに行ったんだけど、ホテルが閉まっていて戻って来たんだよ。だからタクシーもいらないし、街にも行かないんだ」

そこからは、インドが何回目なのか、コルカタは何度目なのか、どっから来たのか、どういう行程なのか、一通りの会話が続いた。

「なあ、でもな、これから2時間あるんだから観光に連れて行ってやるよ。ここから20kmほど行くと、有名な寺院があるんだ、そこに行かないか?」
コルカタの寺院にはあまり惹かれない。ほとんどの有名な寺院は以前来た時に行ったけど、ぐっと来るものがなかった。お寺には興味がないんだと伝えると、
「じゃあ、ガンガーはどうだ?」
母なるガンジス川か。コルカタにも流れているのだろうか、何にしてもそれは悪いくないプランだ。
すぐに心を見透かされたのか「500ルピーだ!」と彼は行った。
「400ルピーでどう?」と僕。
「ガンガーはすごく遠いんだよ。片道20kmもあるんだ。ガソリンも高いし、500ルピーなんて不可能さ」と彼。
まあ交渉している時間がもったいない。800円だしさっさと行くか。

タクシーの駐車場に向かうのかと思っていたらちょっと違う。「これだよ、乗りな」と言われた車は黄色いタクシーではなく、白い車だった。

あれ、白タク(笑)? まあ、いっか、インドだし。車は西へと向かう。さっきとは打って変わって高速のようなきれいな道。両脇には小さいショップが並んでいて、カラフルなインドトラックが停車していた。

途中ものすごい異臭を感じて外を眺めると、広大なゴミ捨て場だった。そこには豚や牛たち・・・
インディアー!!!!

高速を外れて、未舗装路を走る。両脇には花やポリタンクなど寺院に持っていくようなグッズを売っているお店が建ち並ぶ。おそらくガンガーは近い。

そんなこんなで、彼の言うガンジス川には意外とあっさりと着いてしまった。
(本当に20kmもあったのだろうかと、今Google Mapで調べたのだけど、正確には12kmだった。インディアー!!!)


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寺院の名前はカーリー寺院だった。またここは、ガンジス川の本流ではなく、正確にはフーグリ川だろう。ただ、ガンジス川から分岐して来て入るので、この先が聖地バラナシとドライバーが言った言葉に偽りはない。

寺院に来るつもりはなかったけど、ガート(沐浴場)があるということはヒンドゥー寺院も付属していてもおかしくはない。それにしても、予想外に立派なお寺だった。ヤギの生け贄で有名な場所らしい。

日曜日だったので朝からたくさんの人がいた。聖地でもあり、行楽地でもあるのだろう。家族連れや若者のグループも多かったし、毎日のように沐浴しているような常連のような人々もたくさんいた。

きったねー川だなー、と正直に思う。こんな川で洗濯している人もいれば、沐浴している人もいるし、シャンプーで頭を洗っている人もいる。まったくもってそれがインディアー!!!、なわけで。

3年前にバラナシのガンジス川で沐浴した時は、その2日後くらいに高熱が2日間続いた。あれはきっとガンガーのウイルスだったに違いない(しかも帰国してすぐに人生初のインフルエンザに発症した・・・)

面白かったのは、磁石を川に投げている人々。まるで釣りをするかのように、重い磁石を川に投げては引き上げている。聖地なので川にお賽銭を投げる人がいるのか、もしくは沐浴している人々の貴重品が落ちるのか、何はともあれそれらを狙っているわけだ。日本のお寺でやったらかなり白い目で見られるよ、それ、と教えてあげたい。

のんびりと、その聖なる濁った川を見つめた。ようやく日本から遠くはなれた地に来たという実感があった。中国の空港でもタイの路上でも感じなかったこと。来てよかったなと、なんだか得した気分になって空港へと戻ることにした。

タクシーのドライバーは5Lのポリタンクを購入し、聖なる水を汲んでいた。持って帰るのだという。
日曜日の駐車場台が予想外に高くてびっくりしたのか(50ルピー、80円、タクシー料金の一割)、「駐車場代がさ、高くてさあ」と何度か料金所に僕を連れて行こうとしたけど、「ふーん」と別の方向を向いて、そこはあえてスルーする。

空港への帰り道に、街道のドライブインみたいなローカルレストランに寄ってもらった。昔自転車でインドを旅していた時は、遅くなるとこのような街道沿いのレストランに寄って、朝まで寝させてもらっていたんだよなあ。あの時の自分は本当にすごかったなとシミジミと過去を振り返る。

プーリー(揚げパン)とオムレツ、そしてペプシを飲んだ。

支払いの際に、先ほどの駐車場代未払いの復讐なのか、ドライバーは「チップを払ってやってくれ」と得意そうに言った。こんな100ルピーもしないようなレストランでチップなんてあるわけないけど、「へー」と20ルピー支払ってあげた。ドライバーは心なしかオレの連れの外人がよお、と常連顔で得意気になっているような気がした(錯覚?)。

空港に着くと、いつのどの飛行機で何時に帰ってくるんだ、と彼。詳しく話すと、じゃあ、その時間に待っているから次もよろしくだぞフレンド!ときた。
今日もインドはインドだった。

Day 2 深夜のインディア

1:30にコルカタの国際空港に着く。ずいぶんとみすぼらしい空港だ。これが約5,000万人もいる大都市の空港とは信じがたい。コルカタに来るのはもう10年ぶり以上で、以前来たときはカルカッタという名前だった。いつの間にか聞き慣れた町の名前すら変わってしまう、さすがインディア。

インド自体は4回目。この国の人々の旅人への接し方はわかっているつもりだし、深夜だけどそこまでは心配していない。ただ、気を引き締めなければいけないのは、事実。タイで辛いモノを食べ過ぎたのか、さっそく腹を下しているのが玉に傷だけど・・・空港のトイレがキレイで、水荒いオンリーじゃなく、ペーパーがついていたのが救いだった。

空港でプリペイドタクシーのチケットを発券してもらった。これは目的地を告げて、あらかじめ料金を払っておくと、これ以上ドライバーに料金を徴収されずに、値段交渉の必要もなければ、ぼられることもないし、後でトラッキングもできてしまうので悪さするドライバーがいないという優れもの。ただ、今思うと、自国の人間を「だます人」と認定しているシステムなわけで、どうなのそれ・・・と思ってしまう。

昔はこんな時間に空港に着いたら空港で夜を明かし、翌日バスなどで町へと向かったものだが、もう大人なのでタクシーに乗ってしまうし、ホテルだってちょっと高くたって良いのだ。とはいっても町まではたったの240ルピー(360円)だった。

マネーベルトにお金とパスポートを入れ、ズボンの中に忍び込ませて空港を出る。外はねっちょりとした湿った空気だ。タクシー運ちゃんや客引きなど、深夜なのに多くの人が声をかけてくる。タクシーを取まとめる管理人のような人にチケットを見せ、今夜のタクシーが決まる。目的地は旅人街のサダルストリート。
タクシーに乗り込むと、なぜか前方にはドライバーを含めて3人の人が乗っていた。やれやれ、インドだ、それも良しとしよう。そのうち一人は途中で降りたけど、もう一人は最後までいた。

空港を背に町を走る。
道路はゴミだらけの野犬だらけ。そしておびただしい数の人が路上で寝ている。
この光景を見てちょっとゲンナリしてしまった。日本にいると、インドの投資がいいとか、BRICSだとか、経済発展がものすごいだとか、そんな発展の良い部分しか聞こえてこない。ただ、実際に来てみると光の部分は色あせて、影の部分ばかりが見えてくる。新車は増えたし、キレイな道路もあるけれど、これじゃあ10年前と何も変わらないじゃないか。インド、おまえはなぜに変化を拒むのだ。

30分ほどでサダルストリートに着く。目的のホテルへと向かったが深夜だからなのかすでに閉まっていた。
通りに止まっていたタクシーの上で、文字通り眠っていたドライバーが起きて教えてくれたのだけれど、すべてのホテルは閉まっているらしい。いくつかのホテルを実際に回ってみるが、確かに門には南京錠がしっかりとかかり、警備員を呼んでみても、ダメだと首を振られるだけだった。3000ルピー(4,500円)くらいのホテルならやってるかもしれないとのことだった。ただ、すでに2:30を回っていたし、明日の朝の飛行機は10:00と早いので7:00にはホテルを出なければいけない。それならと、空港に戻ることにした。

同じドライバーが同じ料金で空港まで連れて行ってくれるというので、座り慣れたスプリングが壊れているような後部座席に再び乗り込んだ。やれやれ、しかも初日からこれだ。汗だくのシャツと熱のこもったズボン。シャワーを浴びたかったなあ。

3:00のインドの街は、場所によっては暗く、場所によっては活気があった。古着のマーケットなのか、道いっぱいに洋服が広がっているようなところがあって、こんな深夜に関わらず大勢の人がいた。途中、ドライバーが車を止め、助手席の連れが車から降りる。ほどなくして「チャイいるか〜」と3人分のミルクティーを買ってきてくれた。飲み終わると、土の色をした薄っぺらい陶器のコップを窓の外に投げ捨てた。クシャッとそれが割れる音がする。文字通り土に還るわけだけど、この文化も変わらないね。効率性、という観点からはどうかと思うけど、インドだしいいのだよ、きっと。

ドライバー達も暇なのか、僕をだしに売春婦が並ぶ界隈へと寄ったみたいで、通りに立つ女性達を冷やかしながら、そして僕に「ジギジギするか?」とこれまたからかいながら、のんびりと空港へと向かうのであった。

空港に着いたのは4時近く。もうすぐ朝だなと思いながら、約束通りの250ルピーを支払い、エアコンの効いた待合室に入ると、バックパックを枕に冷たいベンチに横になった。

Day 1 インドまで

ついこの前の日曜日に無事旅行から帰ってきたわけだけれど、あっという間の平日一週間だった。やはり旅の時間軸と、日本での日常の時間軸というのはまったくの別物だと思うのです。なぜ旅だとあんなにも時間の密度が高く、長く感じるのに、日本の日常はあっという間なのだろうか。我々は、何かに迫られて焦りながら生きているのではないだろうか。

ブータンもインドも、一言で言うと最高だった。文字を書くのがおっくうになってきているのか、日記というモノをほとんどつけなかったのだけれども、旅を振り返りながら、ゆっくりと旅行記を書いていきたいと思う。

まずは一日目。
今回の目的地は大きくはブータンとインドのダージリンなのだけれども、ブータンはタイやインド経由でしか入国できず、タイを出発する飛行機もほとんどはインドを経由するので、まずはインドのコルカタ(カルカッタ)を目指した。

朝10時、成田を発つ飛行機は中国のアモイ行き。漢字では廈門と書き、英語ではXiamenと書く。なぜ、インドに行くのに中国行きの飛行機に乗るのかというと、インドまでの飛行機をUnitedのマイルで取ったのだった。結構直前で取ったためか、日本-バンコク間の飛行機はすでに満席で、この中国の未知の都市を経由することになった。

地図で見るとまあまあ香港に近いところにある海岸沿いの町。
ANAの飛行機が飛んでいるくらいだから、工場とかビジネスのニーズがあるのだろう。実際空から見た町は、荒削りに開発されていた。赤い大地に無数の林道が見え、舗装されているのは4車線はあろうかというハイウェイのみ。海岸沿いにはビルが並ぶが、それ以外は田舎の様相だった。

なんのことなく、空港に着いたのだけれど、トランジットは?と係員に聞くと、おそらくここで乗り換える客なんていないのか、入国しろと言う。幸いにも3時間もあったので、入国してもいいんだけれど、中国ってビザはどうだったんだろう、と思いながら列に並び、なんと予想外に中国入国。外に出ると湿気たっぷりの熱風が肌にまとわりついてきた。

いかにも経済発展が甚だしい、クレーンが並ぶ中国的な景色で。空港の駐車場には外車だらけ。

なぜか、KFCが空港には2店舗もあって、無料のwi-fiも飛んでいたのだが、聞いていたとおりTwitterやFacebookにはアクセスできず。KFCの中ではiPadやスマートフォンを持った若者がひたすら下向いてそれらの機器をいじっていて、日本と変わらない光景だなあ、としみじみと思ってしまった。

中国ってなんか、みんなツンツンしているイメージがあったけれど、少なくとも空港にいる人々はにこやかな笑顔だった。空港の周りをちょっとだけウロウロした。このまま、日本に帰らないっていう選択肢も可能なんだよな、とふと思う。旅は自由だなあ、と。
とは言っても、現地のお金もなければ、空港周辺に特段やることもなく中へ。チンタオビールを飲んで、へんな昆布のおつまみを食べて、酔ったまま次のバンコク行きの飛行機へと乗り込んだ。

バンコクまでは3時間弱。ここでは乗り換え時間が5時間以上あったので、思い切って市内に向かう。
タクシーで向かおうかと思ったのだけれど、土曜日の夕方で、渋滞が読めなかったので帰りの時間も読むようにと地下鉄に乗った。そこからはトゥクトゥクでカオサンへ。これが意外に遠かった。べつに近場の屋台でご飯を食べればそれで満足もできたと思うのだけれど、自分の知っている賑やかな場所に行きたかったのだと思う。

トゥクトゥクからの風がとても心地よい。
なんだか日本から遠く離れた地にいて、空気も人も食べ物も、かなり異なるはずなのに、すべてが普通に見えて違和感がない。

それは3人乗りのバイクにしてもね。
カオサンは相変わらずだった。チャオプラヤー川のほうに、エリアをどんどん拡大している感じはあったけど、屋台のおばさんやあんちゃんも、とくに変わった様子はない。

シンハと空心菜に、トムヤムクンを食べて、もう大満足。汗が体中から噴き出してくる。至福の時って言うのは、こういうことを言うのだよ。

土産物屋を冷やかして、路上マッサージを見学して、チャオプラヤー川のほうまでのんびりと散歩をしたら、タイムアップ。再びトゥクトゥクと地下鉄のコンビネーションで空港へと向かった。

バンコクからインドのコルカタへは3時間程度。到着したのは日が変わった1:30。さあ、インドだ。バンコクとは違って気を引き締めねば。そう思って入国ゲートを後にした。