Road to Roraima #番外編 Starman

飛行機に乗ると映画を貪るように見る。ビールもワインも飲むから食っちゃね食っちゃ寝だけれど、起きている間は常に映画を見ている。

ベネズエラへの往復で見た映画は以下

見た映画
エージェント47
オデッセイ
インターン
ブリッジオブスパイ
リッチアンドフラッシュ
ゼログラビティ

なんとなくスペース特集。最近の映画は淡々と、悪く言えばメリハリなく続くのが多いのかもなーというのが全体の感想。特にエンディングがね。この中だとオデッセイが一番良かった。マットデイモンのひた向きに前向きな姿、火星のリアリティ。
昨日ラジオを聞いていたら、最近聞いた洋楽のナンバーで、記憶を辿ると上記のオデッセイだったのだ。デビッドボウイが亡くなり追悼でかかっていた曲だった。曲名はStarman。早速今朝iTunes で買って聞く。

There’s a starman waiting in the sky
He’d like to come and meet us
But he thinks he’d blow our minds
There’s a starman waiting in the sky
He’s told us not to blow it
‘Cause he knows it’s all worthwhile

空でスターマンが待ってるんだ
彼はやって来て 僕らに会いたがってる
だけど 僕らの心を乱すんじゃないかって思ってる
空でスターマンが待ってるんだ
彼は僕らに 心を乱さないようにって言ったよ
彼には僕らに会いに来ることが 価値のあることだと分かっていたから

何度も何度も息子と聞いた。いい曲だなぁ〜

そして30代が終わる

あと10分で終わり。
あっという間だったとは思わない。いろんなことがあったし、密度も濃かったし、経験も体験もたくさんした。
それでも、と思う。未だ大人になりきれていなく、永遠と生きていたいし歳なんか取りたくないので、たとえ時間が誰にでも平等だとしても、着実に歳を重ね40代になってしまうのはちょっとやりきれないなあと感じるおセンチな夜。なんてったって、人生の半分が終わりだ。ホントに参ったよ。

いつかはそんなことは思わなくなるのかな。
もしくは今でも旅をして何かを探しているのと同じように、これまでもずっとそうやって、人生を模索し続け、悩み続けるのだろうか。それはそれで困るけれど、それが自分のような気もしている。

『職業としての小説家』を読む

新井さん渾身の? 『職業としての小説家』を読む。これまでの村上春樹と違ってかなりリアルな舞台裏な感じ。彼もいつのまにかもう66歳。ここいらで、と小説家のノウハウも含め自伝的に振り返っている。66歳といえど自身を発展途上にある作家と呼び、伸びしろがまだ無限に残されていて、さらなる進化をしようとしている意欲的なところもすごいのだけれど。

ほとんどの村上作品を読んでいるんだけど、実は奥さんが全部最初に読む、という裏話に一番びっくりして意外だったかも。恵まれた読者の話を読んでから、たまたま何度かタイムラインに出てきたFBの公式ページヘの海外のファンのコメントとかも興味深く読んだ。
https://www.facebook.com/harukimurakamiauthor

村上作品の読者に共通しているのは、同じ小説を何度も読み返してくれること。優良な読者で、読者と作家とのいい信頼関係がそこにあるのだという。思い返せば自分も彼の作品を何度も読み返していた。赤と緑の『ノルウェイの森』が一世を風靡して、なんて官能的なんだとびっくりしながら読んだ中学時代。それを大学生になってから読んだらまったく違う世界の話で、もっと大人になったらもっと違う話だった。タイの安宿で見つけて読んだ『世界の終わり・・・』一番好きな本かもなと思い、最近また読み返した。一番読み返したのは『風の歌を聞け』、大学生の頃、友人のリョウが館山の合宿所で寝転びながら読んでいたのが印象的で、その後自分でも何度も読んだ。今回の本を読み終わってから読んだ『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』もすごく良かった。おそらくは自分も村上作品に共通する優良な読者とカウントされてもいい一人であった。とにかく自分の人生でこんなにも長く、いい物語を提供してくれている村上春樹にありがとうと言いたいなあと思った。

この本でぐっときたのは
「でも気がつくと僕はそろそろ三十歳に近づいていました。僕にとっての青年時代ともいうべき時期はもう終わろうとしています。それでいくらか不思議な気がしたことを覚えています。「そうか、人生ってこんな風にするすると過ぎていくのだな」

ああ、やばい。39歳でやっとそう思えてきた今日このごろ・・・ああ、どうしよう

「何がどうしても必要で、何がそれほど必要でないか、あるいはまったく不要であるかを、どのようにして見極めていけばよいのか?これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしている時、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのが一つの基準になるだろうと思います。」

やっぱり直感を信じて、自分に好きなもの、楽しい選択肢を選んで生きていこうと思った。というとりとめのない文章となったけど(笑)、新井さんありがとう!

トラベログ

どこかに行けてないと不安になる。
今月はどこか行ったか、先月はどうだったか、来月は予定はあるか・・・など。
夏が終わりいろいろな予定が終わり年末が見えてきたのでちょっとだけ振り返った。
あ、ちゃんとどこかに行けてるみたいだった。

2015
1月: 平湯、大日ヶ岳でBCスノーボード3日間(友人と)
アルツ磐梯(友人と)
大山登山(息子と)

2月: どこも行かず。娘生まれ息子誕生日

3月: 霧ヶ峰スキー(息子と)
妙高BCスノーボード(友人と)

4月: 川場スキー(息子と)
田貫湖キャンプ(息子と)
屋久島(仕事で)

5月: ヨセミテ(仕事で)

6月: 大峯奥駈修験道(仕事で)
石垣島、小浜島(家族と)

7月: 飯豊連峰(仕事で)
焼岳登山(友人と)

8月: 大雪山(仕事で)
三宅島(息子と友人)

9月: 白馬トレッキング(息子と)
信越五岳(仕事だし、自分だし、友人もい)
箱根(家族と)
田貫湖キャンプ(家族と)

10月:カリフォルニア(予定)

安保法案

賛成、反対、中立。いろいろな対立があってウォールを見ているだけでちょっと疲れた。本来いろいろな意見があったりしていいはずなのに、この人こっち側なのかー、この人はこうなのかー、と人をそれだけで判断してしまったりもして。まあ、みんなが目指す未来と価値観は違うので多様性があっていいのだと思う。それだけで人を判断してしまうはきっと違うし。

で、いろいろ考えたんだけど、安保法案にはやっぱり反対だなと思った。べつにここで表明すべきことではないかもしれないけれど。
でも、なにがいったい反対なんだろうか。安倍さんも自民党もそんなに悪なんだろうか。彼らは彼らで信念があり、正しい未来を作れると思って突き進んでいるわけだよね。そして、これはちまたで言われているように戦争法案なんだろうか。
なんだかわからなくもなり、わかりやすい安保法案、みたいなサイトや意見をいろいろ読んだ。まあ、肯定するほうの理論はごもっともで。ある程度理にかなっている。これが通ったからといって、すぐに戦争になるわけでもなければ、徴兵制が始まるわけではない。戦争法案という反対派がつけたネーミングは絶妙で、その効果たるやすごくてネーミング賞でもあげてもいいかもしれない。
じゃあ、なんで自分は反対なのだろうか。

それはやはり、自分が目指したい未来像から外れているからなのかもしれない。
法案が成立して安倍さんがいうには、これで抑止力を更にアップできることになり日本はより平和になります、と。抑止力って、攻撃されないためにさらに軍を増強して、核を配備して、相手を上回って、という流れじゃないのかな。結局はアメリカに追従して、さらに軍事費を使って、中国や北朝鮮の脅威に備えましょう、という方向性なわけだ。安保法案に賛成してしまうということは、そっちの方向に舵をとってしまうのを認めてしまうこと。アメリカが近年正しい戦争をしたことがあったあろうか。結果論から言えば、すべて間違った戦争だったと思う。そこには不幸しか生み出していない。そのアメリカのやり方に追従する。新しいこの安保法案ができることにより、そっちの世界に舵を切ってしまうということ。アメリカの戦争体質を肯定し、軍事費を増やし、軍事産業を肥えさせ、世界や一般人を不幸にするかもしれないことに国として加担する方向に舵を切るということ。お前の武器より、俺の武器がすごいぜ。じゃあ俺はもっとすごい武器を作るぜ。そんな負のスパイラル。武器なんて作ってないで、軍の増強なんてしないで、もっと幸せになるためにやれることがあると思う。すべては仮定や予測でしか話せないけれども、この法案により海外を旅する日本人、複雑な地域で活動をする日本人、その人々が危険にさらされる可能性はやはり上がる。そして、人を傷つける武器というものを輸出する、という方向も生まれてくるかもしれない。

自分はコスタリカみたいな国のありかたが大好きで。だから憲法9条を大切にしてきた非戦な日本も大好きで。これからもそういう誇れる日本であって欲しいと思っている。今の自分の理解では、やっぱり反対です。
(酔っ払って深夜にこれを書く)

メモ

お久しぶりの沢木耕太郎。
残った的確すぎる言葉をメモ。

「たぶん、悼むというのは「欠落」意識することである。あの人をうしなってしまった! と痛切な思いで意識すること、それが悼むということなのだ。
だが、ヒトはやがて忘れていく。なぜなら、忘れることなしに前に進むことはできないからだ。前に進むこと、つまり生きることは。人の死による「欠落」は永遠に埋めることができないが、やがてその「欠落」を意識する人が誰もいなくなる時がやってくる。必ず、いつか。そのとき、死者は二度目に、そして本当に死ぬことになる」
『ポーカー・フェース』より。

そう、人というのは忘れる。そして忘れることによって生きていくことができる生き物だと思う。
本の中で山野井泰史さんの話が二回も出てきた。やっぱすごいなあ。

心に残った言葉たち

ブログの放置っぷりがすごいのだけれど、なかなか自分を整理する時間が取れない。まあ、ボチボチ外だけではなく、中も向いていかなければなあと思う日々でもある。

記憶は不確で、記録しないと忘れるので少しだけ。
ヨセミテで出会ったクライマーのエディーが言っていたこと。(彼はかなりハードなクライマーであり、今はトレイルランナーであり、マウンテニアリングの究極系を目指しているとのこと)

「何かの競技をするとき、トップ5%を目指すのであれば、仕事をしてても目指すことはできる」「トップ2%を目指すのであれば、それでも仕事をしながらでも可能かもしれないが、四六時中そのことを考え、そのことに時間を費やさなければいけない。80%くらいのウェイトで」「トップ1%を目指すのなら、それはプロフェッショナルであり、職業になる」
7歳くらい年下の彼の言葉がしっくりきたのだった。

もう一つ、旧友で先日アメリカから日本に帰国していた石寺さんのが、よく部下にいう?と言っていた言葉。飲み会中だったので細部まで覚えていないがあしからず。
「なにかの仕事について、できません。と答える人がいる。そんな人にいつも言うのは、それは山を登りに行ったのに、登頂できないと思って登るようなものだと。山をやる人なら、だれもそう思いながらスタートする人はいない。結果として8合目までしか行けなかった、となるかもしれない。ただ、登れないと最初から思って決めつけてしまったら、8合目にすらたどり着かないんだ。だから仕事もスポーツも、できる(山で例えるなら登頂できる、する)と思って始めたほうが良い。」

自分もいろいろなことを、できないと決めつけてやないだろうか。
それは、自分にとっては山を登れないと決めつけるのと同じだった。すべての山は登れると思っている(思い込んでいる)。人生の山もきっとそうだ。そう思うべきである。

後藤さんを想う

筆が遅々として進まず。なんだか悶々として、書いた文章を放置しつつも、ただ書かないと前に進めないような。なので、整理しきれていないけれど、書ききりたいと思う。

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こんな表現も変な話だがイスラム教の人々が大好きだった。
日本とは異なりすぎる不思議ワールドをもっと知りたくて、多くのイスラム国家を旅した。シリア、レバノン、パレスチナ、ヨルダン、トルコ、イラン、パキスタン、エジプト、スーダン、モロッコ、モーリタニア、そしてナイジェリアやニジェールなどのブラックアフリカの国々。特段中東は親切すぎる人々の国だった。

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旅のスタンスにはポリシーを持っていて、危険過ぎる国には行かないようにしている。だからイラクに行ったことはないし、猛烈に行きたかったコンゴにも行けていない。いつか平和になった時にそれらの国に入れるだろうと思ってきた。でも、かつて行った国々が、今は旅行に適さない国にこの時代になるとは、想像もできなかった。かつて旅ができていたパキスタンもヨルダンも、シリア、ナイジェリアやニジェールも今では旅行が困難な国になってしまったと思う。自分の基準では行かない、行けない国に分類される。そして行きたくても行けていないイラク、コンゴ、リビアもイエメンもいけない国のままだ。

さて、急激に台頭したイスラム国という存在が世間を脅かし、自分の心も激しく揺さぶり、心のなかは冷静に考えられていない状態だけれども、記憶だけはしておきたいと思う。

21世紀にもなって、人間はばからしくも、人間どおしで争い続ける愚かな行為が続くのだなと、あまりにも残念にも思う。

でもそれは我々が21世紀に生きているだけで、21世紀にまだなっていない国々があるから、仕方ないのかもしれない。
持論では世界各国や場所によって時間軸や時代が違うとつねに思っている。それはもちろん均一化の方向に向かっているけど、かつて日本が鎖国していた時はすでに何世紀も進んでいた西洋から見たらとても時代遅れな国だったのだと思う。たとえば、ギリシャは紀元前から哲学的な人がいたけど、ブラジルのジャングルの奥地では21世紀でも着の身着のまま、自給自足生活の人がいる。これは明らかに時代が違う。同じ時間の進み方とは捉えられない。だからこそ旅は面白くて、それこそが旅の醍醐味であり、そして世界が均一化へと向かえば向かうほどつまらなくなってくるのだけれど。

イスラム国をモンスターだといい、理解できないという。その通りだ。でも、それは時間軸や世代が異なっているから仕方なくもある。やがて均一化へと必然と向かう。彼らの統治は長い目で見れば続くはずがない。持続不可能である。なぜなら、かつて恐怖や虐待で持続できた国がこれまでなかったのは歴史が証明しているから。
我々もかつてはイスラム国のような今では理解出来ない行為を続けてきたはずだ。ヨーロッパでは魔女狩りもあったし、ナチスもいた。十字軍だって虐殺をしただろうし、日本の戦国時代だってきっとそうだ。そして、近年で言うと日本人は南京大虐殺や首刈り競走などをしていた。今では到底理解できなく、実施できない残虐極まりない行為である。なので、彼らのことは理解もできなければ容認もできないし怒りも覚えるが、時間軸が違うだけなので、やがて時代とともに淘汰されると思う。

目には目を、歯には歯をのイスラムの教えを貫くように、もはや負の連鎖は止まらず、泥沼の様相を呈している。911から続くこの連鎖はしばらく止まらないであと数十年世界は安定しないかもしれない。インターネットというものが生まれ世界がつながり、安定化がもたらされるかと思ったら、むしろそれが逆の不安定性をもたらすツールとなってしまったのは残念である。

なので、我々は悲劇の終わりを待ち続けるしかないようにも思える。ただ、そうは言ってもやるせなさすぎる、のが今回の本音だ。

後藤さんが救出される、というニュースが誤報だったので、殺害されたというニュースも誤報であって欲しいと、丸一日テレビや携帯を避けていたけれど、本当に残念な結果で、言葉も出なく気持ちの整理もできなかった。

どんな気持ちだったんだろうか。相当な危険や死を予想して向かったと思われるので、全くもって浮かばれないだろうけれど、覚悟はしていたのかな、と思う。 それでも現地の様子を生の声で伝えて欲しかったし、伝えたかっただろうに、さぞかし無念だと思う。タラレバで語ることはできないけれど、手順さえ間違えなければ救出できる可能性も合ったはずだ。それでは、彼は救出できなかった我々を恨むだろうか。否、自己責任というのはそういうものだから、助けられなかった我々のことを責めたりはしないだろう。
僕はその状況を自然の中に入った時と同じように考え、想像するしかない。自己責任で自然に入る。そこにはもちろんリスクがある。何かあったら助けてほしい。そのための道具も持っている。ただ、そうはいっても無理な状況なんて当然のようにある。それを理解しているつもりであるし、その覚悟で自然に入っている。リスクがあっても自然に入るのは、無事を楽観的に信じているということプラス、時としてそこまでのリスクを背負ってでも、背負うからこそ観れる景色や、体験や、極上のものがそこにあるからならない。
だから、後藤さんの状況を考え、勝手に想像するに、彼は彼の責任で、ものすごいリスクを背負ってでも伝えたかった、命をかけたものがあったのだと思う。そしてそれは本当に命を共にしてしまった。

そのように彼が命をかけてでも、伝えたかったこと、成し遂げたかったものを、お茶の間の安全圏にある我々が、やれ無謀だとか、結局は他者がリスクや負担を覆うのだから勝手な自己責任だと言う権利がどこにあるのだろうか。
そんな否定的な意見もこのネット世界だから多数目にしたのは残念だったけれど、良識のある方々やジャーナリスト、アウトドアの仲間は「自己責任」の意味を履き違えずに、危険な論調に警笛を鳴らしてくれたのは良かったことの一つだった。

感情的だと思うけれど、後藤さんのようなジャーナリストたちが世界の見えない部分を我々に伝えてくれているのだと言いたい。
命を掛けてまで何かを伝えたいと思う彼らがいるから、今の世界が少しはマシになっていると言いたい。
どんな人か他の人の評価でしかわからないけれど、あんなにも多くの人々が、国の垣根を越え、彼の死を悲しみ、生前の彼の善行と尊さを口にした。その善意の世の中を信じていきたいと思う。

彼が存在したことによって、中東やこの世界は少しは良い世界になったに違いないと思う。
生前も、その死後も、この事件に影響され、この事件がきっかけでいろいろ気付き、知り、学び、良い連鎖が生まれることを願う。きっと犬死ではなく、死してなお生きてくれると信じたい。

中東_182

「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。―そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」
胸に突き刺さる彼の言葉を覚えておきたい。後藤さんにご冥福あれ。

何事も経験か?

何事も経験するのがいい。しないよりはよっぽどね。と常々思うんだけれど、ただ、それが必須の経験であるものかはちょっとわからない。とも思う。

最近仕事でファッション誌の撮影の立ち会い、というのが増えてきた。いわゆる、これまで自分がまったく関わりがなかった世界。あまりにも有名なファッション誌であり、もう20位年下のモデルさんの撮影を見て、こうしてほしいとクライアント的にリクエストを出す。ただ、えらくはないし、その道のプロではないので基本的に彼らを信頼し、彼らのいいと思うものを作って欲しいし、最低限のサポートをするだけなのだが。

いわゆる、お金がなかったアウトドア業界と違い、節約することが多かった制作会社とも違い、すべてに置いて人が贅沢だなーと常々思う。それが必要かどうかはさておき、経験することがなかったことだなとシミジミ思う。今日の撮影は11名。内訳は、クライアント(自分)、代理店の営業さん、雑誌の営業さん(この3人は自分がお任せしますと言ったら必要がなくなって撮影にも同行しない、おかしな話だ)、編集者、ライター、カメラマン、カメラマンのアシスタント、証明、スタジオの人、モデル、スタイリスト、ヘアメイク。こんな人員で2ページのページを贅沢に作るのだから、悪いものができるはずがない。
拍子抜けしつつも、経験は貴重だと思うように努め。最初の疑問のループへと入るわけだ。

2015年

新年に抱負みたいなことを書いたのは2012年。すなわち3年も前なわけだ・・・・・
ダイジェスト的に3年間を少し振り返ってみると・・・・

  • 2012年は東北スノボードから始まり、四国や直島、沖縄本島を旅し、北丹や信越、神流、武田などトレイルレースにまあまあ出て、インド経由でブータンに行き、震災後の東北を旅した。
  • 2013年は北海道、白馬、八甲田、利尻など、回数は抑えめに、ただ毎月のように遠くに滑りに行き、夏以降はアコンカグアトレーニング一色。年末は南米へ。
  • 2014年の幕開けは5,500mのキャンプ地で始まり、帰国後は南米まで行かせてもらったのだからとインドアな年にしようと思っていたら、結局旅が続く年となり・・・春になると家族で九州は天草、阿蘇、久住に大分へ。息子と二人で波照間、与那国、高山、郡上、白川郷、白山に富士山、そして小笠原を旅し。自分自身はといえば、四国の神山に三宅島、キューバにヨセミテ・・・と近年稀に見る外に出続けた年となった。やり過ぎ感・・・

さあ、2015年。
新年に気張らないで、のんびりと過ごすことが最近増えてきていると思う。それは歳かもしれないけれど、時間に余裕が出てきたというか、ゆとりがあるというか。元旦にすべて決めなくてもいいじゃん、とも思う。それでも元旦に一年を振り返り、抱負をというのも日本人ぽいっていうか、人間ぽくっていいなとも思う。ということで、この数日でぼんやりと思ったのは。

  • Sports Lifestyle:スポーツ人生を送る(体と体力がすべてのやりたいことへの源なので、とにかく維持する)
  • 住まいと生活をじっくりと考えて、できれば変化をもたらす
  • やれなそうなことにチャレンジする
  • 仕事は全力を尽くし、常に自分のパフォーマンスというか、いつでも独り立ちできるような心構えで取り組む
  • ウェブなのか何なのか、自分の活動の場所を現状の仕事以外に持つ

細かいことはもっとあるし、家族がとか当然の抱負は割愛するけれど、自分自身に言及するとこのように思っている。

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