アコンカグア登山: まとめ

Yamakei4雑誌『山と溪谷』2014年4月号に記事を4ページも書かせていただく機会に恵まれ。4000字でと言われて書いてみたものの、かなりの字数をオーバーし。
記事ではダイジェスト的に色々と削ったのだけれど、原文にさらに加筆した、自分ならではこの旅のまとめを以下に掲載する。
長いのでお時間があるときにでもぜひ。

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南米の最高峰、アコンカグア(6962m)に登りたいとずっと思っていた。最後にその勇姿を眺めたのは、遥か昔のこと。アジアからアフリカ、そして中南米へと1年以上旅行していた旅の途上だった。旅の途中に6000m級の山を3つほど登り、アコンカグアの麓まで足を運べど季節は冬で登山はできず。帰国後、いつかいつかと思っているうちに10年が経ってしまっていた。時は流れ、子どもが生まれ会社員となり、地球の反対側の山は距離以上に遠い存在となった。

2013年の年末年始の暦が会社員的にとても良く、4日休めば16連休になるではないか!と気がついたのが1年前。タイミングを見計らい嫁様に恐る恐る相談するとゴーサイン。会社もアウトドアメーカーということもあってか、快く送り出してくれることになった。かくして、夏前には10年ぶりの南米トリップが確定となり、計画を練りながら、遥か彼方に想いを馳せる幸せな時間が続いた。

周りの友人達に、ランダムに声をかけた。それも北海道にでも行くような軽いノリで。「アコンカグア行くけど、一緒に行かない?自己完結できる人ならだれでも大丈夫だよ」と。地球の裏側の7,000m級を誘っているとは思えないようなノリだったかもしれないけれど、意外にも軽いノリ返しでパラパラと友人たちが集まってきた。一度も遊んだことがなかった知り合いがFacebookで参加表明してきたのは時代の流れ。かくして、一人でも行こうと決めていた旅は、いつしか7人の大所帯になっていった。メンバーは10年以上密に遊んでいる某リンゴ系IT企業のシンヤ、トレイルランナーの弘樹にパタゴニアで働く村さんと紅一点の玉ちゃん、静岡で桜えび漁とみかん農家を営む二足のわらじのカッセ、そして典型的な日本企業で働きつつも、月に10日も山に行くという最年少のテラ(ちなみに見た目は若くない)。

この中で高所登山の経験があるのは僕とデナリに登っている玉ちゃんだけで、弘樹とテラは5,000mくらいまで、あとの3人の最高地点は富士山だった。いわゆるマウンティアリングのプロは一人もいないし、ガイドを雇う予定もなく、全ての手配は自分たち。手続きも困難も楽しみながら、旅のように登りたい、というのが僕の願いであった。

こうして半年前に立ち上がったにわか登山隊は、毎日のようにネットの掲示板で情報交換をしたり、富士山や都内の低酸素室にトレーングに行ったり、 打ち合わせと称した飲み会を幾度と無く原宿のタイ料理屋で開催した。

ここまでの経緯はこちらから→ アコンカグアへ -1-

12月20日、さすがに師走だけあって、出発の直前まで忙しく、会社から直接成田に向かい夜行便に飛び乗った。飛行機は西回りでドバイとリオデジャネイロを経由し、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスまで36時間。一泊してから翌日さらにベースの街となるメンドーサまで2時間と、とにかく遠い。地球の裏側だけあって、往復の移動だけで6日間かかるのだ。

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ブエノスアイレスでは短い滞在時間ながら、ストリートでほぼ合法的な闇両替をして、入山料の1000ドルを600ドルくらいに抑えることができた。

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日本ではちょうど冬至、すなわちメンドーサでは夏至となりシエスタが必要なくらい灼熱の暑さだった。朝早く起き、入山許可証の取得(約1,000ドル)、荷物運搬のロバやベースキャンプのテントを手配してもらったエージェントとのミーティング、登山靴やギアのレンタル、そして最後は10日分の食料を買いに大型スーパーへ行き荷物の振り分けとパッキング。準備にヘトヘトになりながら、なんとかすべてを一日でこなして、ようやくスタートラインにたった。

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24日、タクシーでトレイルヘッドまでは2時間。ロバに預けた荷物の総重量は180kgもあった。出発地点となるオルコネスの標高は2800m、アコンカグアを眺めながら川沿いをゆるやかに登る道が続いていた。テンションが上がりまくって、みな子どものように「すげー」「キレー」ホゲーと口をぽかーんと開けながら進んだ。4時間もかからずに、最初のキャンプ地3,300mのコンフレンシアへ着く。夕焼けと朝焼け、夜の星の多さが忘れられないほど美しかった。

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アコンカグアではこことベースキャンプにドクターがいて、内診、血圧、血中酸素濃度のメディカルチェックがある。なんとその検査にシンヤが高血圧で引っかかってしまった。彼の日課ともいうべき昼食写真のFacebookを皆見ていたので「あいつ毎日ラーメン食べ過ぎなんじゃないか・・・」と誰もが思った。彼は計測しなおしてくれと3回も粘り、最後は「俺は実はものすごい繊細な人間で、緊張してこんな数値なんだ、いつもならありえないよ」と強引な言い訳をかました。ドクターも負けて「ミスター・ナーバス」という異名を彼につけただけで、この先の許可が降り、一同ホッとしたのだった。

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2日目の行程は長く1,000mの標高のアップに距離は25km。水がほぼ枯れてしまっている広大な河川敷をゆっくりと上流に進む。左右の山々は様々な形、斜面があり、余裕で富士山超えの4-5,000m級。日本とのスケールの違いに一同感動しながら黙々と歩いた。川の徒渉が何度かあり、後半は登りが続き、10時間で4,300mのベースキャンプに到着。キャンプ地が見えたら興奮してしまったのか、テラと村さんがすごいスピードで上がっていった。あれほどゆっくりしようと話していたのに、やれやれである。

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ベースキャンプでは様々なエージェントの大型テントがあり、我々も1泊25ドル払って大型テントを確保した。
翌朝、体に異変が現れた。頭がこめかみの奥から猛烈に痛む、10mとまともに歩くこともできずに、眠くて仕方ない。完全な高山病である。村さんと僕が同じ症状で、ドクターには肺に少し水が溜まっているから翌日も安静にしているようにとの診断。昨日後半ペースをあげたテラはというと、この日も絶好調の模様。予定では休息日だったのだけれど 「じっとしていられないんで軽く登ってきます」と言い残し、玉ちゃんと二人で4,800mまでデートに出かけていった。

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夕方、我々より3日遅れで日本を出発した弘樹が合流。ようやくフルメンバーとなる。ロバに荷物も預けず高速で上がってくるところが我々と体の出来が異なるトコロ。

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夕食時、気づけばテラが後頭部を壁に押し付け、うつろな顔をしていた。大丈夫?と聞くと、充血させた目をこちらに向けながら「ダメです」と言った。

自分の高山病はというと、徐々に回復していた。水を高山病対策で5リッターも飲んだので、夜中に4回もトイレに起きた。その都度、テラはずっと激しい咳をしていて辛そうで見るだけでかわいそうだった。明け方の小便に起きると、まるで地縛霊でも去るかのように、何かがスコーンと抜けた気がして「高山病が終わったな」と一人嬉しくつぶやいた。

陽が出てもテラの様子はひどく、ドクターのところに連れて行くも、数歩としてまともに歩けなかった。美しいラテンのドクターに聴診器を当てられるテラが羨ましくもあったが、彼女はすぐに難しい顔をしてレンジャーを呼ぶと、そのレンジャーが無線で交信を始めた。すぐにヘリで降ろさなければ危険なレベルの肺水腫だという。血中酸素濃度を測ると33しかなかった。(おそらくはすでに死んでいる数値らしいので、えらく低かったというのが日本に帰ってきてからの適切な表現なのだろうが、この時は本当にこの数値だった)「死んじゃうよ!」と二人で笑ったら「笑い事じゃないから!」とものすごく怒られ、おしりに注射を打たれ酸素ボンベをしているテラを見てさらに一緒に笑うと「ほんと笑い事じゃないわよ!」と切れられた。このダメなグループ的レッテルはここを去るまで続き、なにかあるとすぐ呼び出されることになった。

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持っていけるのは貴重品とパスポートだけだと言われ、それらを渡すとテラはヘリコプターに乗せられあっという間に去っていった。彼のアコンカグアはじつにあっさりと、たった3日で終わってしまった。(この後しばらく連絡がとれなくなったのだが、入院後にリカバリーをして、気分を変えてパタゴニアでワインを飲んでますとの連絡が来て、一同ホッとしたのであった。)

さて、我々は2日間のベースキャンプ順応を終え、入山から5日目に5,500mのニド・デ・コンドレスまで高度順応を兼ねた荷揚げを行った。景色は上がれば上がるほど別世界。これまで下から見上げていた高峰が眼下に見えていくという満足極まりない体験である。ただ、ちょっとでも負荷をかけると頭の血管が切れるような感覚に襲われるので、すべてを慎重にゆっくり行わなければならない。

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無事テントを5,500mに張り、下山した翌日は完全休息日。

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7日目、再び5,500mへ。実はこの後の天気予報では強風が続いていたのだが、5,500mまでは上がれるだろうし、宿泊しての高度順応も必要だろうとのことで、まずは行ってみようとなったのだ。上がるとすぐに、レンジャーが上部から遺体を降ろしてきて、上部のキャンプ地でテントが6つも風で潰されたと聞き、続々と下山していく人々とすれ違った。遺体がテントのほど近いところに安置された不安な夜を過ごした翌日、レンジャーに今後3-4日は天候が悪いままとの報告を受けると、カッセと村さんは一度ベースキャンプまで下山するとキャンプ地を去っていった。

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このまま時間切れになるなら、早めに降りてメンドーサでワインでも飲もうかとも思ったけれど、諦めきれない我々4人は天候が回復するかもしれない最終日にかけることにして、ここ5,500mでもう3泊高度順応を進めながらギリギリまで粘ろうと決めた。

その3泊はのんびりとしたものだった。6,000mまでのんびりとハイクしたり、水場を探して散歩をしたり、テントの中で年越しのカウントダウンをしたり、和気藹々と皆で楽しく過ごした。ただ一点だけこの旅で一番つらかったことがある。このハイキャンプで作る水があまりにも苦くてまずく、それだけならまだしも4人全員が下痢になったのだ。高所でのキジ撃ちは辛い。それも四方八方からの予測できない爆風に襲われ小便が毎回自分にかかってしまうレベルの強風・極寒状態で素手になってしゃがまなければならない。しかも公式のルールとして、大便はベースキャンプまで持ち帰らねばならないというおまけ付き。このプロセスに皆が体力と気力を奪われてしまったのは言うまでもない。

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ハイキャンプでの4泊目、下山した二人も上がってきて、最後のチャンスにかけることになった。1月3日深夜0:00に起き、朝食と準備と下痢止め剤を飲み、2時に着られるものを全てまといテントから出た。残念ながら風は止まなかったけど、ダメ元のチャレンジである。

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暗い中、数日前に登ったルートを思い出しながらゆっくりと歩く。最終キャンプ地のベルリンまで2時間程度。ここで、前日ベースキャンプから上がってきた村さんの様子がおかしくなった。辛い、寒いを連発し、いきなり靴下を変え始めた。それも20分もかけて・・・そこからは固まって動かなくなってしまった。「あとちょっと行ってみようよ。みんな辛いしがんばろう」との呼びかけに「わかった、頑張る」と答えるものの、一歩も足が前に出ない。近寄ると鼻水を垂らしうつろな目をしていた。これは無理だと思い、カッセに一緒に降りてもらうこととなった。当初からバディを决めていたとはいえ、まだ健常な者に下山を促すのはとても複雑な気分だった。

残った4人で上に上がった。まるで魔界のような爆音が上部から聞こえていたけど、6,000mの風の吹きさらしに出ると、その音の正体である爆風が我々に襲いかかってきた。あんなに着込んでいたのに、止まると寒い。ちょっとやばいなー、と久々に思った。シンヤがだいぶ遅れ始めて、様子を見に行ったり迎えに行ったら体が冷えて。かといってじっと待っていても、強烈な眠気に襲われ気づくと眠ってしまっている自分がいた。6:00頃、ようやく朝日が当たり始めた。

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眼下に見える山々にゆっくりとアコンカグアの影が移っていき、それはそれは神々しかった。ただ、寒すぎたためかカメラを頑張って取り出すとモーターが壊れてしまっていた。6,400mの大トラバース手前、再び猛烈な爆風にさらされた。風の中進むことができずに、しばらく待機した。弱くなった合間を縫って、ちょっと進んでみたものの、ストックで体を支えていないと立っていられないレベル。そのときふと、家族の顔が浮かんでしまった。子どもと嫁さんにもう一度会いたいなー、そんなことをこんな時に思うのは初めての事だった。この風の中、無理をすれば登頂できるかもしれない。ただ果たして、下山する体力は残るだろうか。体の弱りもあり、気持ちも弱ってしまっていたのかもしれない。比較的すんなりと状況を受け止め、「ここで辞めよう」と皆に告げた。

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こうして、僕のアコンカグアは終わった。弘樹と玉ちゃんは最後にもう少しチャレンジをしてみるというので、彼らを見送り、結局今日もシンヤと二人かとお互い笑って、そしてちょっと悔し涙を流してから、下山の途についた。

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ハイキャンプのテントを撤収してベースキャンプまで。そこで無事下山していた村さんとカッセと再開し、帰りのロバとタクシーの手配をしてから、残る二人を待った。

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21:00、ようやく彼らが降りてきた。6,600mまで上がれど、時間切れで下山すると決めたとのこと。本来であれば昨日がラストのチャンスだったので仕方ない、なんせ明日はロバに荷を積み25km歩いて、150kmタクシーにのってメンドーサ、翌早朝には飛行機である。

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こうして我々の南米最高峰チャレンジは、7人の誰もが登頂を果たせずに、一つの目的は果たせなかったわけだけれども、もう一つの皆で半年前の最初のミーティングで決めた絶対目標、「何があっても全員生きて戻ってこよう」という約束だけは果たせたのであった。

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下山しながら、何がいったい悪かったんだろう。あの時ああしていれば、でもダメったかな。それならこうしていれば、でもダメだっただろうな。とそんなことを考えてばかりいた。タラレバはないけれど、それでも考えずにはいられない。それは今でもそうだ。
メンドーサに無事に帰ってきて、ギアを返却し、ホテルを探し、交代でシャワーを浴びるともう深夜0:00。そこから眠らぬラテンの街へと繰り出し、3:00までステーキ屋で飲み食いをした。帰ってきてもちろん、爆睡のはずである。それでもなぜか朝が来る前に目が冷めて、あまりにも悔しくてバスタオルが全面鼻水で塗れてしまうほどオイオイとみっともなく泣き続けた。でも泣いたらとてもスッキリした。とにかくただただ悔しかった。原因が天候であれ、なんであれ。打ち勝ちたかったな、と思った。

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帰国して、ずいぶんな月日が経った。
山と渓谷に記事を書かせてもらったり、Rainy dayでスライドショーをやらせてもらったり、それもまた幸せな時間だったと感じる。準備して、実施して、振り返り、そしてアウトプットする、というとてもいいサイクルができたと思う、ただ一点登頂できなかったという、一番重要な事実を除いては。

また次の新しい山へ。それが実在する山なのか、それとも人生の山なのか、今度こそ頂に立ってみたいと思う。

標高5,500mでの下痢にまつわるオハナシ

アコンカグアのベースキャンプが4,300m。その上のCamp1、通称カナダと呼ばれているところが約5,000m。さらに上にキャンプアラスカ、その上に5,500mのニドデコンドレスがあった(コンドルの巣という意味)。ここが最後のキャンプの一つ手前の起点となる重要な場所で、我々は二回ここに上がった。(ヒロキがニドに二度と寒いギャクを言っていたり、実は三度上がってきたチームメンバーもいたけど・・・笑)

一回は高度順化兼、荷物の荷揚げ。そして二回目はアタックのためで一泊の予定だったけれど、天候不順により予定外に4泊もすることになった。人間の体は不思議なことに、ちゃんと高度に順応していく。Basecampの4,300mがほぼ平地レベルになり、このニドも長らくいると、血中酸素濃度も良くなってきたり、あまり息も切れなくなってくる。

そんなこんなのニドはこんなとこ↓とてもステキ

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ただ、強風凄まじかった。あがった日は、山頂から死体が運ばれてきてげんなり。翌日には天気が悪すぎて皆下山していってさらにげんなり。レンジャーにもっと上のキャンプ地でテントが風で6つも潰れたと聞いてもっとげんなり。風で落石で死ぬぞ、と言われたり、君たちがいる予定の期間は風は強風のままだぞと言われたり、ゲンナリオンパレード!それでもこの状況を楽しもーぜ!と持ち前のノリでいきたかったけれど、どうしても辛かったことが一つ。

それは下痢問題だった。
僕はじつは80カ国くらい旅しているんです、それもアフリカとか水が悪そうな国が30カ国とか。だからお腹はさぞかし丈夫だろうと皆に思われているんだけど、小学生の時からお腹だけは常に弱いのデス。ゲーリーというアダ名で呼ばれてしまったこともあるくらい。そんなこんなだから、いつもお腹を壊すのは一番乗りで、ここでも最初っから下痢になったと思う。

原因は明確で、水が良くなかったこと。5,500mにも泉があり、ピッケルで硬い氷を割ると綺麗な水が現れた。それは大丈夫だろうと思っていたのだけれど、味は最悪でとにかく苦い(あとで聞いいたところマグネシウムが多すぎるのではないかという説)。お茶も、尾西のアルファ米も、コーヒーさえも苦すぎる。おかしいなーとみんな思い、最終的には全員下痢に苦しめられた。真っ先にやられたのは自分だったが・・・

平地での下痢はなれっこだしなんてことはないけれど、そこは強風吹き荒れる5,500m。かつてない違う種類の辛い下痢だった。(インドでの寝下痢につぐ、ワースト3入り?)。

兎にも角にも超強風。おしっこが出来ない・・・・予想不可能で立ちションをすると自分にかかってくる。でもすぐ凍るので、振り払えばウェアから落ちる。なので、おしっこも膝をついてしていた。

で、大きい方はどんなあんばいだったかというと。
手順としては、まず、風を避けられそうな場所を探す。(でもそんな場所は100%存在しなかった。つねに強風だった・・・・)
風にやられないように、しっかりと耐風姿勢でポジションを固める。具体的には、砂を固めて、膝の置き場を作る。
それから手袋を外し、ペーパーを岩の間にセット。

そしてここからが一番つらいところだが、実はここのルールとして、出したものを持ち帰る義務があったのだ!
だから、大きいジップロックをおしりにはめて、狙いを定めて爆弾を投下。いま想像しただけで、ありえない図・・・
失敗は一度もしなかったので、毎回一応安堵。
その後爆弾処理に入るのだけれど、綺麗になる頃には手が完全に凍ってかたまり、手を上げて痛さを堪えて、歯を食いしばるほど両手が冷えきっている。そして紙をしまってジップロックをジップして、さらに黒いビニールに入れて、テントに戻って近くの岩陰に仮置きをしてプロセス終了。

これが一日一回なら頑張れるものの・・・・一日数回は本当に辛かった。
そして言い訳的には、たぶん体力が吸い取られたんだろうなあ〜。

なんとなく、核心ではないけれどとても印象深い一番つらい思い出話でした。

ようやく社会復帰する

アコンカグアから帰ってきてから2週間が過ぎた。
あまり集中力が定まらなく、ぽわーっとしたまま過ぎた半月のような気がする。

その昔、1年と半年くらい旅をしていた時があるのだけれど、ほんの少しその時の気持ちに似ている。
その時、旅から帰ってきた僕は、現実の世界にすぐには馴染めなく。
東京で電車から見た外の光景にものすごい違和感を感じて、ここには住めないなと思った。そして静岡の田舎に3年間住むことになったのだけれど、少しだけ当時の感覚と似ていた。

20日足らずの短い旅と、550日の旅とでは長さを比べようがないが、それでも似ているような気がするのだ。それは若い時の感覚と今では、自身の時間軸が違うからかも知れない。

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帰国後、翌日から仕事だったのだけれど、眠くて眠くて仕方なかった。そしてそれは1週間続いた。あまりにも眠くて、夜も起きてられずに、息子と一緒にくたばるように9時に寝た。毎日3時位に一度目が覚めるのだけれど、起きると時差ボケは解消されないと思い、しつこく朝まで寝た。それでも強烈な眠気は解消されずに、夕ごはんを食べた直後に床で寝てしまうなど、南米の破壊力に家族も驚くほどだった。まあ、ただの時差ボケではなかったと思う。5,500mの高度に4泊もした後遺症なのか?やはり何かが吸い取られるのだろうか?友人の山岳ガイドで、今回アコンカグアに同時期に行っていた優さんも回復にいつも一週間くらいかかると言っていた。

二度の週末を経て、自分と嫁さんの実家に正月の挨拶をしに行き、そして今日、月曜日。すべてが通常に戻ったような気がしている。
いろんな夢から覚めたような。

アコンカグアで敗退してから、天気が理由だと言い聞かせつつも、ああしてたらどうなっていただろうか、結局ダメだったかな、それならこうしてたらどうなっただろう、それでもきっとダメだっただろう。でもあそこはああすればよかったのでは。なんであの時、ああなってしまったんだろう、それはあれが理由だろうな。繰り返し心のなかでトライしては、やはり敗退し続ける。そんな後悔に似た感情がずっと湧き上がっていて、一緒に行った友人の言葉を借りれば、気がつけばため息をついていた。最高の仲間と、最高の経験をしたのだけれど、それでも結果が欲しかったなあとつくづく思った。

半年前くらいからゆっくりと計画して、いろいろ調べては遥か彼方に思いを馳せて。久しぶりの充実した日々だったし、こんなにたくさん遊んだもの久しぶりだし、もういいだろ遊ばなくて、と心から思えた気がした。遊びをやめて、違うベクトルに進んで、違う前進をしよう。遊びはもう終わりだ、と。
本当に本当にそう思っていて、割り切っていたのだけれど・・・・しかし何か心の隅でモヤモヤともムクムクとも表現できるような感情がくすぶっているのだ。
これはやっぱり、不完全燃焼で頂上に立ててないからなのだろうか。

アコンカグアへ -7- Holapico Expedition ハラペコ登山隊が行く

今回のチームは7名。
アコンカグアに行きたいんだけど、と言っただけでこんなに集まってくれてとても感謝している。
メンバーの了承なく、それぞれを紹介してみたいと思う。決意表明順。

カッセ
かつて、静岡で働いていた頃の仲間。気があって、俺の乱暴なスケジュールにもいつも合わせてくれて色んな所に言った。鳥海山から樹海の竪穴洞窟。ジャクソンホールに東北トリップ、そして今年は式根島まで。家がミカン農家で、桜えび漁もしていて、夏は登山ガイドもと多様なワークスタイル。「半農半遊」がモットーだったのだが、子どもが3人もできてそりゃー遊べなくもなってきたわけで。それでも、遊ばねーと、今でしょ!というアオリ的誘いにまんまと乗っかり、参加表明第一号。暖かく送り出す嫁さんと家族を、いつも本当に尊敬する。
人が良くて優しいためか、ワイフたちや家族にとてもウケがよい。

Teratown
チームのヤンゲスト。見た目は若くはないが・・・w。
実は一緒に遊んだことがなかった。共にCoyoteという雑誌のCreative Writing 講座の受講生で、期が異なるが面識はあった。2年前の信越110kmのエイドステーションでばったり会い、それからもトレランの大会ではしょっちゅう会い、そんな関係だったのだが、フェイスブックで誰か一緒に行こうぜーと書き込んだら「行きたいです!」とコンタクトしてきて表明第二号。ここから分かるように、軽い、すんごい身軽。トレーニングや飲み会やらで会ったり遊んでみると、面白くて奥が深い奴ということがわかった。言動に思わず「ぷっ」と笑ってしまう。後もつながって遊んでいけそうで、楽しみである。
慶応ボーイで超一流企業の戦士というギャップもすごい。

シンヤ
ホモ疑惑を持たれてしまうレベルのバディ。13-4年くらい前の職場での同僚で、当時からアドベンチャーレースに出たり、島に行ったり、職場が変わってもトレランの大会や海外や僻地のスノーボードに一緒に行った。今年は特に合同行動密度が高く、友達少なすぎるなと思ってしまったくらい。ま、それはこの俺の突然決めて突然行くというペースに合わせてくれるのが彼くらいからなのかもしれない。最近アウトドアでの歩行や登りの速度が遅いと思っているのか、自称牛歩作戦の牛くんと言っている。速くはないけれど、きっとメンバーの中では一番強い人だと思う。なので彼とフィールドにいるとあまり不安がない。
たぶん行くつもりはなかったんだろうけど、行きそうな人が増えてきた段階でうずうず病に発症して有給申請。某IT企業勤務。

村さん
元々はシンヤの友人で、立山や東北のスノーボード、北海道など、比較的長い冬の遠征に一緒に行くことが多い。サーファーであり、シーカヤッカーでもあるのだが、不思議と夏に一緒に遊ぶことはない。冬が来るたびに遊ぶ、そんな関係。
今年は旭川と利尻のスノートリップを共にした。チーム最年長が故か、悟りを開いたようなあきらめの早さと、いい加減さが売りだと思ってる。
利尻島までせっかく滑りに行ったのに、山頂はボーダーだから興味ないとか、ラッセルに疲れてガイドさんにもう疲れたからムリッ、ここから降りましょー、と言ったのは伝説的。この諦めの良さがもしかしたら我々を救うかもしれない。
山頂や登りは前述のように興味ないと思い、誘いもしなかったのだが、立ち話中にだって登りは興味ないでしょ?と聞くと「このレベルの登りはべつだよ」とニヤリ。
アウトドアメーカーで働いている。

玉ちゃん
紅一点。村さんの同僚で、会社最強の女子を誘った、と聞かされた。北米最高峰のデナリに二回行ってるし、もちろん登頂もしてる。なぬ!そりゃ凄すぎ!どんな女性だ?とフェイスブックで繋がったらプロフィール写真は鼻血が出てる。メールなどでのやりとりも、言葉が不思議で面白すぎる。かなりおもろいキャラだよね〜、と会ったことないのに噂をしてたのだが、富士山で一緒に行動すると印象とは異なるしっかりやさん!でもきっと面白キャラなんだろうな〜、と予想してるので、この長旅で殻が破れて知っていくのが楽しみだ。一つ、年下でアウトドアメーカー勤務。

ヒロキ
同い年。呼び捨てしたら怒られてしまうかもしれないくらいファンが多い。とある業界では知らない人はいない、あるマイナースポーツのパイオニア。何もないところから、歴史を開拓したのでとても尊敬している。だがとても天然でたまにそれにやられる。本人は全く天然とは思っていないらしいが・・・ほんと?
アスリートなので、とにかく我々とは体が違う。人間ではないくらい超越している。ある日メールが来て俺も行きたいんだけど、と垂直の世界も興味あることに驚いた。レベルが違過ぎるのであまりフィールドで一緒に遊ぶことはないけど、とても楽しみである。我々より2日後の出発で、会うのはベースキャンプの4300メーターなので、会えるのかやや不安だがなんとかなるでしょ。

そんな7名。
チーム名は友人がつけてくれたハラペコ登山隊。スペイン語でモジって、Hola Picoにした。こんにちは山頂!という意味。

それでは行ってきまーす。

アコンカグアへ -6- スイートルーム宿泊

最終トレーニング
いよいよ残り1周間を切り、みんなで都心のスイートルームに泊まりに行った。部屋代が6万円のこのスイートルームはちょっと変わっている。チェックインは21:00でチェックアウトは6:00。眠るのは床、それも寝袋で。シャワーもないし、トイレは部屋の外だ。値段をろくに知らないでやってきた友人たちは「え、そんなにするの!!」とびっくり。
手には15万円の血中酸素装置が付けられ、300万円の機器が我々を測定し続ける。部屋の外には、見張りのトレーナーが夜通し様子を見てくれている。そう、ここはミウラ・ドルフィンズの低酸素室。通常メニューとしては宿泊トレーニングは実施していないのだが、グループで特別に受けさせてもらうこととなったのだ。

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パジャマに着替えて部屋に入る。「もう4,000mですか?」との問に「ええ、4,000mですよ」とあっさり。まるでどこでもドアのような富士山頂より高い場所への気軽さに、おかしくなって笑ってしまう。
22:00に消灯となるはずが、テンション上がってしゃべり過ぎ、消灯を延長。それでも23:30くらいには眠りについた。富士山の山頂で眠った経験が活きてきたのか、あまり苦しくないし、頭も痛くない。比較的よく寝れたけど、それでも何回か目が冷め、猛烈にのどが渇いて水を飲み、明け方には0mのトイレへと出た。

6:00、「朝ですよ〜」と起こされ、計測結果が発表される。自分の場合は、眠るとすぐに血中酸素濃度がじわじわと下がった。60くらいになって、すとんと上がる。そしてじわじわ、またストンと上がる。どうやら、眠りが浅いらしい、そして酸素濃度が下がり過ぎると防衛本能で目が冷め呼吸をするのだという。すなわち上がったところで起きている。

イビキをかくシンヤはギザギザのグラフ、45まで落ちていた。恐ろしいのがヒロキでずっと80くらいをキープしている、神のようなグラフだった。テストでは睡眠が三角になっていたけど、今回は悪くない結果。富士山通いが効いたのだろうか。不安はだいぶ取り除かれ、それだけでも高いスイートの効果はあったんじゃないかな。

アコンカグアへ -5- 富士山ファイナルトレーニング

最後のフィールドトレーニングに出かけた。
鳳凰三山、八ヶ岳、金峰山などいろいろ検討したけれど、結局アプローチの近さと、標高の高さで富士山となった。
太郎坊に着くと、6人くらいの団体がテントを撤収してちょうど出発するところだった。今回は寺とカッセの都合のついた3人でゆっくりとスタートする。ぽかぽかの陽気で薄手のインナーになって汗ばむほど。
今回は標高差だけは完全に現地に似ている。仮想ベースキャンプからCamp2、Camp3だ。本番はこれと同じで、あとは空気が薄いだけだな、ととっても明確なトレーニングだった。とても役に立つ!

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7合目にテントがひとつ張られていた。「こんにちはー、テント泊ですか?」と聞くと「ええ、いろいろリハビリで」と。単独で来られている片山右京さんだった。あとでフェイスブックを見ると、心のリハビリでもあると書いていた。感慨深い。
我々は安全に、適当に、というのがモットーだったので、地面が氷で固まり始めたところからちょっと上がった2900mのテラスで終了。

ラーメンを作って眠る、持ってきた服を全部着込むとうつらうつら・・・
気持よく1時間寝てしまった。

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陽もだいぶ傾いてきたので、降りることとする。大砂走りがパット見は凍っていないのに、固まっていてとても変な感じ。雲が下に降りて行き、夕焼けと相まってとても美しい。山中湖には影富士がくっきりと映っていた。そして太陽が沈むと今度は空に富士山の影ができた。それは初めて見た光景だった。

この時期の富士山もいいな。昔は退屈な山だと思っていたけど、来れば来るほど違う顔を見せてくれて、とても味わい深い。多面性をもつ面白い場所だな~とつくづく思った。

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今日も無事下山。登山口と登りで挨拶をしたパーティーが翌日滑落して2名がなくなるという事態に。明日は我が身、気持ちを引き締めつつ、ご冥福をお祈りいたします。

アコンカグアへ -4- あやしい探検隊

飲ミーティングと題して、メンバーで集まって飲むことが多いのだけど。今日もいつものちゃおちゃおバンブーで、なんとスペシャルゲストとの相談会。アドベンチャーガイズの優さんが、デナリに22回も登っている大蔵さんを連れてきてくれた。あのあやしい探検隊でタワシ髭の登山隊長だった方だ。
自分が昔から知っていた方や、憧れていた人や、話せるとは思っていなかった方々と普通に会えることが増えている昨今。これが長く生きるってことなのかなあ。歳をとるのも悪くないのかな、なーんて思ったいい時間だった。

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くわしくは一緒に行く寺のブログにて。

アコンカグアへ -3- 日本一になる

ワタクシめのアイデアで富士山に高度順応を兼ねたビバーク・トレーニングに行こうとなった。
高度順応は一般的に3ヶ月もつと言われているし、富士山がハードになり過ぎない時期、かつイージーでもない時期ということで11月上旬となった。

まだ開いている富士宮口から登ることにした。7人のフルメンバーが揃う予定だったが、そこは平日・・・仕事で遅くなる者、そして漁期なので出漁の連絡が入って五合目まで来て泣く泣く去る者ありで5名でのスタートとなった。

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13:30スタート。本当はもっと早く出発できたし、これだと暗くなっていくのは確実だったが、アコンカグアでは暗いなかの山頂アタックもあるだろうし、トレーニングではできるだけハードなコンディションのほうが良いから、暗闇での活動も必然的に入れることにしたのだ。
風は強いが陽が出ているうちはアンダー一枚にハードシェルで大丈夫という暖かさで、外界の雲海を眺めながらの快適な登りだった。

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雲海の向こうに沈んでいく夕日。
グラデーションがかかっていく空と三日月。
まるでその上に乗れそうなクリーミーな雲海。
今この瞬間、まさしく惑星に生きている。そんなことを想った、いい時間だった。

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ハードなことしたり、過酷な場所に行くのがちょっと億劫になってきて、楽して生きたいなーと思ったりもするのだけれど、やはり今この瞬間、この場所に来れないと見られない光景があるわけで。簡単に生きていくのは、この先も無理か。

陽が落ちると急激に気温が下がっていく。そして明日には強風になるという予報通り、風はどんどん強くなる。それでも比較的ゆっくりと登った。急ぐ理由はないから。
9合目からライトをつける。この時期にしては雪がない方で、結果的には頂上までアイゼンを使うことはなかった。

頂上に近づくにつれ、とにかく風が強くなる。そしてとても寒い。
18:30、出発から5時間で山頂に到着。ここでビバークをすることにした。風を比較的避けれる場所を探してテントを張った。体を止めたらとにかく冷えて、きっと-10℃位だと思うが、これしきで寒がっていては本番がダメだなと思った。各自がテントに入っても、やれガスがつかない、やれエアマットが破けた、やれテントのペグが飛んだ、爆風で眠れない、など問題がいろいろと出てくる。とてもいいトレーニングの機会となったなとシミジミと思った。

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そして我々は今日、日本一となった。今この瞬間、自分たちより高い場所にいる人は誰も居ない。我々が唯一の存在。そう考えるととても不思議で可笑しかった。

16:00に登り始めた仲間が上がってこないので、みんなで心配したが8合目でビバークするとの連絡が入り一安心。
深夜近くなると風は益々強くなり、本当に力強くテントを揺らした。眠っては風で起きるということを繰り返し、でもそれなりにぐっすり眠り頭痛を感じながら6:00に起床。満点の星空や夜明けを楽しみにして三脚とレリーズまで持っていたのに、テントを開けると空どころか目の前も真っ白だった。夜間に積雪がけっこうあった模様。テントをたたみ、いざ下山。

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予想以上に雪がついていて、すぐにアイゼンを付けた。ひざ下くらいまで積もっている。そして下から突き上げるように風が吹く。それはまるで小さな雪球を全身に投げつけられているよう。たまりかねてゴーグルを装着するも、それでも隙間から雪が当たる。真冬の単独峰の本領発揮ということで、本当にいいトレーニングだなあ、富士山ありがとう!と心から思った。場所によっては結構なラッセルで、そして溶岩のせいで、足を捻ること多々。それでも順調に2時間半くらいで下りきり、5合目へと到着。

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チームワークも高められたし、高度順応もきっとプラスだし、自分に足りないものや装備についても学べたし、とても有意義なトレーニングとなった。

アコンカグアへ -2-

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アコンカグアへ行くメンツや日程がほぼほぼ固まってきて、2回目のミーティングをした。
一回目のミーティングで決めたのは、今回のプライオリティー。最大の目的は登頂ではなく、全員で何があっても無事に生きて帰ってくること。生きてさえいれば、失敗しても再挑戦がいつかできるもんね。これはとても重要な意識統一だと思った。

二回めのミーティングは道具の話。みんなこだわりがあるので、話があっちいったり、こっちいったり。まとまらねー・・・

そしてミーティング前に行った、ミウラ・ドルフィンズの低酸素室のお話。

アコンカグアは標高があまりにも高いので、そして今回は高度順応に掛ける時間が少ないので、できれば低酸素室でなんらかのトレーニングがしたいというのがこちらの希望。

好日山荘もやっていたりするけど、よく知られ評価がいいのはミウラ・ドルフィンズ。なんてたって、あの三浦雄一郎の総本山だから評判もすこぶる良いし、実績もすごいわけだ。トレーニングを受ける前に、テストをしなくてはいけない。それは自分の体が高度に対してどのように適正があるのか。

肺の検査をした後に、SP02、血中酸素のお話。血の中にどのくらいの酸素の濃度が通常はあり、それが高度を上げるとどのように変化していくかということ。

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数値は正常時は99だったけれど、頑張って息を止めると95くらいになった。

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そして低酸素室にはいって座って過ごす。標高は3,000mくらいだと言われたと記憶している。
だんだんと濃度は下がり、85くらいに。しかし酸素を吸う練習をすると、濃度を上げることができた。とても興味深い。

それから運動。
こちらもどんどん下がっていく。でも意識して呼吸をすると、濃度は復活する。これまた面白い。呼吸法はちょっとやり過ぎ感はあるが、わかっていて大丈夫とのテスト結果。

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続いて睡眠テスト。30分くらい、横になって眠る。
最後はちょっとウトウトしたけれど、とても寝苦しく、空気が薄い感覚。

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このテスト結果がややアウト。
睡眠中に異様に血中濃度が下がってしまうらしく、リスクありの判定。

どうすればいいですかね?の質問に「睡眠トレーニングがいいです」との答え。え、どうやってやるんですか?と聞くと「高いところで寝るだけです」とのこと・・・・なかなか実施が難しい。ちなみに、肺テストも芳しくなく、肺年齢が57歳。やはり喘息が治っていないんだろうか?それなりに走れるし、問題無いと思っていたのになあ。

ちょっとブルーになったテスト結果だった。地道に改善プランをたてるとしよう。
このテストは二人で受けると1,000円割り引かれ、7,000円。

高所トレーニングは段階を踏まなければならず、
4000m-4500mの90分。その後も90分刻みで4500-5000, 5000-5500, 5500-6000mと続いて最大4回、各4,000円也。