Forget Me Not 2014

今年のCreative Writing の同窓会となるForget Me Notの作品も、横着してキューバの写真とストーリー。

心の深い部分にかすかに残っていてふと思い出す昔の写真や文章がある。10年以上前に見たハバナの写真がまさにそれだった。記憶というのはとても不確かで、その多くは湾曲されたり都合のいいように変換されているから断定はできないのだけれど、確かナショナルジオグラフィックのハバナ特集で旧市街でサッカーをする子どもたちが写っていた。忘れられない一枚の写真とカストロが亡くなる前に行きたいという思いが相まること数年、ようやく足を運ぶことができた。

ハバナからすぐに南下をすることにした。旅で一番好きなことが移動すること。まだ見ぬ景色にイメージを膨らましてる瞬間が何よりも好きだから。バスに17時間揺られて自然豊かな最東端の街バラコアへ。
前日にはハバナでヘミングウェイがあししげく通ったと言われるバーにいた。そして今日はかつてコロンブスが上陸した浜に行き、カストロとチェ・ゲバラが泊まったというホテルに泊まり、バーでモヒートを飲んでいる。いったい今がいつで、ここがどこなのか、ラムの効果も効果もあってか心地よい混乱の中にいた。

坂の町、サンティアゴデキューバは革命の象徴的な場所。
1953年7月26日、独裁者の圧政に反旗を翻してモンカダ兵営を襲撃した若きカストロは61名の同士を殺され自身も捕まる。弁護士だった彼は自分を弁護し世論の支持も受け数年後に恩赦で釈放。メキシコへ渡ってゲバラ含めた同士を連れて3年後に戻ってくると、山中での2年に渡るゲリラ戦を経て革命を達成するのである。カストロの執念と偉大さを感じた場所だった。

夜行バスで夜明け前の街につく。
こんなにも美しい街を近年見たであろうか。トリニダーはかつて奴隷貿易で大いに栄え、その終わりとともに眠りについていた。

1週間ぶりにハバナに戻ってきた。都会の心地よい喧騒。通りでサッカーをする少年たちは、まるでナショジオの写真のようだ。
大西洋に面したマレコン通りを何度も何度も歩いた。娯楽の少ないキューバならではなのか、暑さの収まる夕方から人々が集まってきて談笑をする。それは平日でも休日でも、そしておそらくクリスマスでも変わることはないのだろう。
90キロ先のアメリカ大陸のフロリダは今日も見えなかった。

キューバ 行き方 / 旅情報 / Tips

行き方
キューバまでの道は今回は17時台に成田を出るトロント経由の同日夜着。帰りは朝の8:20に出て、翌日15:50着。行きはトロントでは乗り換え時間が2時間を切っているので、時間のロスもない。一応カナダに入国することになるが、トランジットエリア内なのでシンプル。今回の料金は16.5万円。キャンセルが3万円だったので、エアカナダのサイトから直接買った。
トロントまでは混んでいたが、トロントからハバナまでは小さい飛行機なのに空いていた。3.5時間と近い。復路は満席。

ビザなど
ツーリストカードを日本のキューバ領事館で取得したが(即日で2000円ほど)、カナダ航空の機内で配られたものに手書きしたら普通に使えた。旅行保険の証明書も必要で入国審査時に聞かれた。これはクレジットカード会社に電話すると1週間ほどで英語の証明書を無料で発行してくれた。

宿泊
ホテルはドイツ系のホテルサイトで1日目だけ予約したが(hotels.info)、空港でも斡旋してくれるみたいだった。遅くても国設のツーリストインフォがあいている。市内まではタクシーで25CUC(1CUC=1USドル)。市内からの戻りは15だった。おそらく10でも探せばある。23:00にホテルについても夜型なので大丈夫だし、ピザスタンドとかは普通にやっている。

宿はホテルは割高で30くらいから。民宿が流行っていてどこにでもある。ロンリープラネットに載っているような民宿は20からで、満室も多い。ただ、基本的にすぐ仲良しの宿を紹介してくれるので困らない。何度か泊まった感じだと、日本人だからなのか、やはり気を使ってしまってホテルの方がよっぽど楽だと思った。人の家なので、部屋以外でだらけられないし、夜中に帰ると悪いなと思ってしまったり、早朝もしかりで。

両替
両替に有効な通貨はユーロとカナダドルということだったが、二回の両替でロスもあるので、日本円から直接変えてしまった方が良い。レートはたいして良くなく、100円で5円ほどロスがある。この辺は割り切るしかないかと。保険としてのカナダドルも一応持っていった。地方のホテルなどで両替できた。
21:30に空港に着くのだが、両替は可能でぼられることもない。市内の方が少しだけレートが良かった。
戻すのはUSドルかカナダドルへとのことで、USドルにしたらかなりレートが良かった。交換しすぎても安心。とにかく両替は混んでいるので、回数は少なく、ホテルなどの方が並ばなくて良い。

通貨と物価
お金がとてもわかりにくいのがキューバの特徴。外国人専用マネーと現地マネーが混在する。これは外貨獲得の国の政策なので、諦めて従うこと。ただ、現地の人の生活に入れないわけではないし、あえて現地通貨に両替する必要はない。
いわゆる現地通貨がある国でドル紙幣が使えるようなもので、1USDと1CUC(クックで通じる)と25ペソが同等。例えば5ペソのピザは、1CUCで払うと20ペソのお釣りがくる。大きい紙幣と考えれば良いし、地元の人が使っているお店やカフェスタンドも普通に使えば安い。CUCしかないと単位が大きいので、ちょいちょい端数を切られたりでぼられるので、地元ペソで無言で払ったりすれば自転車タクシーは5ペソ(25円)だし、バイクタクシーは10ペソだし、コーヒーは1ペソと安い。ただ、基本的には短期で旅行するならCUC尽くしになるので、物価は非常に高く感じる。長距離バスは25-50CUC、民宿も20-30、レストランは5といった具合に。日本よりは安いけど、張り切って観光すると1日1万円くらいかかると思う。

移動
バスは恐ろしいほど便が少ない。1日1便とかざら。ただ、おそらくバスも外人や裕福な層専用の特別バスしか乗れないのだと思う。でも地元のバスに乗る猛者もいるだろうな。ネットからも予約できるが、1週間前しかできないので、基本的にはバス停に出発の1時間前に行って買うしかない。飛行機もあるけど、これも直前の便は出てこないし、現地の窓口で買うのがシンプルなのだろうけど、窓口は少ないし空港は遠いし、まぁ不便。旅人にはとても不便な国だけど、ちょっと前の旅行ってこうだったなぁ〜と割り切ると良いかもしれない。
そして実は白タクがあり、3人集まればバスより安く、2/3の時間で目的地まで行ける。バス停などで声をかけられるし、人数がいるならかければ良い。

インターネット
auないと思った方が気が楽。電話局みたいなところで、インターネットカードが4.5で買えて、1時間使える。そこのデスクトップでも繋げるし、Wi-Fiと書かれた場所で番号を入れれば時間単位で使えて便利なのだが、そのWi-Fiという場所がほぼない。しかも時間単位と書いてあるのに細かく繋いでも3回くらい使うと終了。バラクアでは町が小さくていくつか目にしたし使えたのだが、第二の都市のサンティアゴで皆無。一番の高級ホテルで2時間12CUC。ハバナでは高級ホテルでできるが1時間7とか8CUC。ハバナで上記カードで繋げるのはパークホテル。電話局で買うカードが使えるが、ホテルで買うと8とほぼ2倍の価格になっている。
社会主義なので、外部の羨ましい情報が国民にあまり知られないように統制されているわけだ。スマートフォンを持っている現地の人も多いが、ネットは繋がないらしい。

お土産
空港が相当豊富。カスマムゲートをくぐったらお酒もタバコも買えるし、中に両替所もあるので出国前にお金を戻せる。

今日もキューバの風が吹く

キューバを時計回りにハバナからサンティアゴまで駆け足でグルっと回ってまたハバナに戻ってくると、一週間前に訪れた時の最初の輝きは失われ、街のペースが早く感じられたり、人もガツガツしている輩が多く感じられたり、まったく違う光景に捉えてしまっている自分がいた。旅人はつくづくわがままで自分勝手だと思う。でも我々は過ぎ去る者だからそれで良いのだとも思う。

一週間前は、ハバナで滞在期間全て過ごしても満足だとも思ったけれど、たとえ駆け足であろうとも違う都市や村も見れて本当に良かったと思う。
帰ってきてからも終始のんびりは出来ず、ヘミングウェイの『老人と海』の舞台となったコヒマールに行ったり、マレコン通りで夕日を見たり、レストランでキューバ音楽を聞いたり、ビールやモヒートを飲んだり、おみやげ屋をひやかしたり、とにかくホテルをとっている意味が無いほどホテルにいなくて、ずっと歩いている。

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たった10日間の久しぶりの一人旅。キューバに来れてよかったなあとつくづく思う。
10年前とはまったく違う国なのだろう。5年前ともきっと違う国だろう。でも5年後はもっと違う国になっているかもしれない。
この国のことを語るには、もっとこの国のことを知らなければならないことは重々承知で言うならば、やはり奇跡のような国だと思う。

まず、もはや世界でも数少ない社会主義国であるということ。
そして、おそらく成功しているというカテゴリーに分けられるということ。
ソビエトがあのように転んで、中国は市場をあのように開放し姿を変え、それでもこのキューバは変わろうとしつつも旧来型の社会主義のやり方で成功している局面が多々あるということ。
この現代においてインターネットがまだ普及していないこと。すなわち情報統制が行われていて、自国の文化が守られているということ。(大げさにいうと鎖国のようなものかもしれない)
アメリカからの経済制裁をずっと受けつつ、様々な工作をされつつ、ずっとそれを乗り越えている。
いわゆる後進国や途上国というジャンルに分けられてしまうだろう国なのに、識字率がほぼ100%で医療が充実、治安も安全。これだけで、なんだこれという奇跡な状況。

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ただ、それでも、キューバはやはり大きく変わる時期を迎えていると思う。
この奇跡を起こしたカストロがいなくなったら、魔法は解けてしまうかもしれないと思うのだ。だからその前に、と急いで行った感がある。

先にも書いたが、教育も医療も充実し、有機農業も発達し、治安もよく、ラテンならではの陽気でみんな幸せに見えてしまう。でも、大袈裟に言うと外からの情報をシャットアウトして、統制して、幸福状態を作り出している側面もあると思うのだ。
ヒトは自分とは違うヒトと比較して幸福度を測ったりするとも思うので、もしもインターネットが丸見えで、すぐそこの国々がハリウッドのように映ったら、いままで感じていた自分の幸せの価値観が崩れてしまうのではないだろうか。それがまやかしかもしれないというのは大人ならわかるかもしれないけれど、じゃあ若者はどうだろうか。
スマートフォンをもっている若者が多くいた。でも、だれもインターネットに繋ぐことはできない。
知りたいという欲求がある。それは人としての基本的で正しい欲求だと思う。でもその欲求を国が塞いでいる。そのような国が国民から支持されてずっとその体制で続くとは信じがたい。

世界は均一化へと向かっている。日本の地方の国道の風景が同じようになってしまったように、世界も同じ方向に向かっているような気がするのだ。そして、その波はキューバにもやってきてしまうのではないか。

旅人としては、より自分の世界と違うものが見たい。だからいつまでも変わらないでほしいし、特別・特異であってほしいと思うのだけれど、それはただの旅人の戯言。世界は変わり続けるし、このキューバもきっと変わり続けるだろう。だからカストロがまだ「いる」キューバに来れて本当に良かったと思う。

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美しすぎる街、トリニダー

Trinidad, Cuba.
行く前にはその存在さえ知らなかった。Lonely Planetに激しく紹介されていたので、サンティアゴとハバナの途中に位置するから寄ってみようかなと軽い気持ちで訪れてみようと思いたち、夜行バスで向かった。

バスの振動が変わって、きっと街についたのだろうと思った。それは石畳を進む凸凹のある乗り心地だった。そしてすぐにバス内の電灯がついて到着が告げられる。ここをハバナへと出発するバスは10:30と15:00くらい。それまでに軽く街を周っておきたかった。朝ごはんの営業のおばさんや、宿の呼び込みを無視して、暗いうちから広場へと向かう。スペイン風の町づくりなので、街の中心には広場があり、カテドラルがある。何はともあれ、そこに行ってみるのがスペイン植民地圏の旅の定石である。

無人の街を歩き、夜が明けてくる瞬間というマジックアワー的効果もあっただろうと思う。それでも、ただただ、美しすぎた。こんな美しい場所がまだ残っているんだなーとゾクッとした。世界はまだ広いな、と。それほどまでに美しい街だった。

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なんだろう、これ、と後でガイドブックを読んで納得するのだが。スペイン人に発見されたのは500年前。その後大いに繁栄して奴隷貿易の終わりとともに重要拠点としての役割を終え、街としては眠りについたみたいだ。すなわち、繁栄したスペイン時代の街が昔のまま保存状態がよく残っている状態。これはスペイン本国でもない状況なのでは? 近年のキューバ観光ブームみたいので、おそらく今では大層な数の観光客が訪れ、世界遺産効果もあって、再び光が指しているに違いない。
でも今はオフシーズンで、誰もいない夜明けに訪れられたことは幸運きわまりないと思う。

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革命の街、坂の街、サンティアゴ・デ・キューバ

Cuba

夜サンティアゴに着くとカストロがお出迎え。
タクシーを探す。やたらバイクの二人乗りが多いので、バイタクと見当をつけて止めるとやはりそうだった。タクシーより安いし、現地通貨でしれっと払うともっと安い。宿に荷物を置き、街を歩く。坂の街といってもそこまで坂だらけのわけでもない。ガイドブックに載っていたレストランに入ったら広いのに客は自分一人。やはりオフシーズンのようだ。ポークステーキを食べたのだが、この旅で一番美味しかった。

翌朝、港へ行き、そこから坂を上がると賑やかな広い市場を見つけた。南国のフルーツ、野菜、豚・牛・ヤギの肉、そしてシーフードが売られていた。キューバでは加工食品はとても高いけれど、生鮮食品は本当に安い。工業製品や加工製品などを、うまく作る技術が欠けているのだろう。

お肉ボーイ #SantiagoDeCuba #Cuba

バナナボーイ #SantiagoDeCuba #Cuba

街を歩いて写真を撮る。疲れたら座って聴衆を眺める。カフェでコーヒーを飲む。暑かったらビールを飲む。そして時間が過ぎていく。久しぶりの一人旅は、最初は慣れなくてとにかく暇でやることがなかったけれど、徐々に昔のリズムが戻ってきて、ゆっくりと出来るようになってきた。それでも、旅が短いので、見たいものが多すぎて毎日深夜まで街を練り歩いて、ホテルにいる時間なんて本当にごくわずかしかないのだが・・・・旅のスタイルにも性格が現れているなあとつくづく思う。

#SantiagoDeCuba #Cuba

坂の街 #SantiagoDeCuba #Cuba

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インターネットを出来るところを探したが、国の人口1000万人で第二の都市のこの場所でもWi-Fiがあるところは高級ホテル一つのみ。それも2時間で1400円。馬鹿らしくてやめた。

午後にモンカダ兵営へ。
建物の大部分は学校になっていて、一部が革命ミュージアムに。こういった使い方は素晴らしいなあと思う。

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1953年7月26日、独裁者の圧政に反旗を翻してここサンティアゴのモンカダ兵営を襲撃した若きカストロは61名の同士を殺され自身も捕まる。どこで誰が殺されたかという生々しい写真が飾られていた。犠牲なくして革命が成し遂げられない、そんな時代。
捕まった彼は自分は無実になるだろうと宣言して、本当にそうなるのだが。弁護士だった彼は自分を弁護し、当時の政権の虐待や拷問の事実が明るみに出ると世論の支持も受け数年後に恩赦で釈放されるのだった。

その後メキシコへ渡り計画を練り、ゲバラも加わると、10人乗りの小型ヨットに80人が乗り数日かけて1956年に再びキューバへ帰ってくる。まさに運も味方するってやつだ。そして民衆に支持されながら山中での2年に渡るゲリラ戦を経て革命を達成するのだ。

ガイドブックではこれより短く省略されてしまうこのくだりだが、想像すると壮絶すぎる。山の中で2年間のゲリラ戦って・・・彼らは最初の襲撃時に犠牲になった同士を忘れることなく7月26日という腕章をつけて戦い続けたのだという。キューバを旅してると町中至る所にゲバラが描かれていて、カストロの絵はほとんど見かけない。もちろん戦略的に広報してるのかもしれない。キューバ人でもないのにNo.2になって活躍し、その後も理想を求めてコンゴやボリビアで転戦したチェはかっこいいけれど、カストロは凄すぎるなぁと、この国を旅しているとしみじみと思う。

色々な矛盾もあるだろうし、亡命した人や富裕者や文化人からは反論もあるだろう。(この国を愛して20年住んだヘミングウェイはずっとカストロを支持していたらしいけど)それでも、アメリカからの経済政策を受けつつ、ソビエトも崩壊する中、医療と教育が無料で、識字率ほぼ100%のこの国を作り上げているのは本当にすごすぎると思った。

そんなことを思いながら、再び夜行バスに乗り北上を開始する。慌ただしい旅である。

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カサデトローバ

国立公園に一緒に行ったドイツ人の子たちに21:00からカサデトローバでライブが聞けるから会おうよ!と言われたのでノコノコと出かけていくと、すでに彼女たちはいなく。でも、ローカルがミュージックをやっている外でただ聞きして、踊ってる。いい雰囲気。ラテンというか、カリブだな~と思った。

人がいないオフシーズンでこんな盛り上がりだからオンシーズンはさぞかしすごいんだろうなぁ。ジゴロたちもたくさん集まってきていた。そこはオフシーズンならではで、イケメンのジゴロくんはバディーを見つけられるのだけれど、サルサは上手いが顔はイマイチなアンドロくん(25歳)は見つけられなくて、仕方なく俺に絡んでくるわけで。名前は何?から始まって、いやー、馴れ馴れしいこと半端ない(笑)

「タク!いいか、今日からベストフレンドだ!えーっと、ビア飲みたいんだけど、100円奢ってくれる?」
はい、どうぞどうぞ。カモられることも楽しめるようになってきたアンドロくんより10歳以上年上のワタクシ。

「タク!今日からブラザーだ!えーっと、ラム買ってくれないかなー(100円)」
はいはい。いいよー。財布には3,000円くらいしか入っていないので、これもバーターだな~と大人なワタクシ。

「タク!踊りを教えよう。チャチャチャ、だ。ワンツースリー!チャチャチャアア。そうそうもう踊れるよ!えーっと、タバコ吸いたいんだよ(100円)」
はいはい。どうぞ~。

その後、違うジャズバー的なところに連れて行かれ。彼はそこでのナンパも失敗したので、仕方なくビアを奢ってくれるワタクシに絡んでくるわけで。最終手段らしい、ロンプラにも載っている、丘の上のディスコに連れて行かれる。ここも、こいつがいなかったらすでにホテルで寝てるなー。ほどよいバーターだ〜。
そして、そのディスコで次なるイタリア人のカモが見つかったので、ビーチに飲み行くぞー!と車で連れだされるワタクシ・・・・
このまま拉致られてなにかあったらどうしようと思う午前2:00。ま、酔ったふりしてまだ酔ってないからいざとなったら猛ダッシュで逃げるか、と成り行きに任せてみることに。すると着いたのはビーチじゃなくて砂利だらけの川。そこで携帯から音楽流して、ビアを飲むだけ。キューバ平和だ〜・・・・

そして3:00。フライドチキン屋に連れて行かれて。
「タク!ハラ減ったよ!チキン食いたい!皆の奢ってくれ!(1,000円、エスカレートしてきた)」
俺も腹減ったからいいよ!食おう!

チキン来る。でも皆が食って食えず、ボウズなワタクシ。
最後はホテルに送ってくよ!と別カモのイタリア人のレンタカーにて無事にホテルにドロップされて終了。すでに朝4:00。翌朝はラムが効きすぎて、起きたら断片的な記憶とひどい頭痛な9:00AM。

アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園

朝7:00からアレハンドロ・デ・フンボルト国立公園へ出かける。「エコツアー」というそのまんまの名前のツアー会社を通して申し込んだツアーで、ドイツ人の学生2人と一緒。ツアーは2500円。車は町を出るとすぐに未舗装路になり、バラコアからちょうど1時間くらいで公園に到着する。マナティが住むという汽水湖をボートで2時間くらいまわる。マングローブやそこに住むカニ、ラッコみたいな生き物、たくさんの鳥、日本のガーデンショップで売られているようなエアプランツを多数見る。マナティは残念ながら見られず。

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続いて陸をガイドさんと一緒に歩く。これが完全なスペイン語で、一緒に行った子たちが随時通訳してくれたので非常に助かった。まあ、いわゆる自然のへえ〜が聞けるツアーだった。「この木は若い頃は棘があるんだよ」とか「このエアプランツは大気から湿気を吸って育つんだ」とか、「あの鳥は他の鳥の鳴き声を真似する」とか。かつて自分もしていたようなことだが、つくづくこういうものに興味が無いんだなと思った。あくびが出そうだった、やはりアドベンチャラスなほうが自分には向いている。
もっと深い自然を歩くのかと思ったら、サンダルでも歩けるような林道みたいのが主体。3キロ程度なのであまり深くはいけない。擬態しているようなトカゲとか、世界一小さいカエルとか、見たことない色をした鳥とか、そのようなものも見られた。最後は川で泳いで終わり。

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国立公園といえど300人くらい人が住んでいるとのこと。パームツリーに囲まれたそれら茅葺の家はまるで、アフリカのようだった。ここだけ連れて来られて、この景色を見せられたらアフリカだと思ったと思う。カリブなのに?でもルーツはアフリカだ。奴隷としてかつて大陸から連れてこられた彼らも、この国をそのように捕らえたのではないだろうか?そして、西洋の人々よりも明らかに適応できたのではないか?そんなことを思ってしまう。

こんな小さな集落にもしっかりと学校があって、制服を着た子たちがいて、さすが教育熱心なキューバだなぁと。

国立公園後に寄り道して、マグノアビーチへ。平日からスミマセン!と思ってしまうような理想的なビーチで昼からモヒート。

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ここだけはアフリカではなく、カリブだ!なにか食べるか?とバーテンダーが聞くのでサンドイッチ以外と言うと、タコとライスが出せるという。じゃあ、それと待っているとビーチに来て彼は言う、我が家で食べてくれ、と。
バーやレストランだと出せないんだよ。うちで食ってくれ、と。やっぱりアフリカだった。もちろんタコライスではない、タコとライス・・・・

その家は鶏、豚、猫、犬が平飼いされていて平和な場所だった。でもなんで、家の庭先でブタちゃんと一緒に「こんなに平和そうなのに、いつ食べられちゃうんだろう」とやや儚くなりながら、タコを食わなきゃいけないわけ?

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庭先に普通にハチドリがいた。やっぱりカリブだった(笑)

読み込み中

民家に普通にハチドリがいた #PlayaMaguana

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キューバ最東端の街、バラコア

キューバ第二の都市、サンティアゴ・デ・キューバへと向かうバスは暗闇の中南東へと走っていた。道路が波打っているのか、横揺ればかりするのでいつか倒れるんじゃないかと思ってしまったほど。やや不安になりながら、何度か起きる。
6:00でもあたりは薄暗かった。日の出も日の入りも早い。そうか、ここも北半球だから夏のように暖かいのに日照時間は冬なのだな。なぜか暗闇で歩いている人がいたり、多くの人がおそらくバスを待っていた。人は移動する、自分もまだ見ぬ世界へと移動してる時間が好きだ。だから短い旅行でもとことん移動する。一箇所にじっとしていることができない性格だからでもある。でもどんなに短い旅行でも、移動して辿り着いた先の光景が生涯心に残るものだったりするから面白いなと思う。

好奇心が昔より減ったためか、それとも旅が久しぶりすぎるのか、ワクワクよりもドキドキがちょっと勝っている。さて、いったいこの少ない日程をどう過ごそうか。飛行機の中やバスの中で考えても決めきれない自分がいた。サンチアゴは外せない、せっかくだからトリニダーかカマグウェイは行くべき。あとは・・・・
なぜかバラコアという地名に引っかかっていた。ただ、この短い日程で他も回りたいと思うなら、結構チャレンジングな場所に位置していた。なぜなら「最東端の街」とガイドブックに書かれていたから。キューバが小さい小島だと思ったら、とんでもない。面積では日本の本州の半分で、東西1,250km。人口だって1,000万人。島としてはカリブ海最大の島なのだ。
それに加え交通網があまり整備されておらず、マイナー路線は基本的にバスが一日決まった時間に一本という旅行のしにくさ。バラコアも例に漏れず、ハバナから15時間かかるサンティアゴよりさらに5時間半、バスは当然一本のみだった。やっぱりこの日程では無理そうだなと思っていたところ、予期せぬ時間にバスがサンティアゴについたのであった。15時間の移動と計算すると到着は9:30かと思っていたのに7:00に着いてしまった。バスターミナルが街のどこにあるのかも、宿をどこにしようかも決めきれていない。ターミナルでガイドブックを開き、壁の時刻表を見てると、バラコア行きが7:45にあるではないか。これは行けってことじゃないの?バスの出発までは15分を切っていた。なぜかバックパッカーがたくさんいて、皆バラコアに向かうよう。やっぱり何かあるのかな。移動の連続になってしまうけど、旅は成り行き、行き当たり。サンティアゴをスルーすることを決め、バスに飛び乗ったのであった。

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広大なサトウキビ畑を抜け、悪名高いグアンテナモへ。ここはアメリカと国交断絶しているのに関わらず、アメリカが永久借款している土地があり、そして嫌がらせのように極悪犯の収容所があるのだ。Google Mapを拡大するとここだけアメリカ合衆国と書かれている。不思議なことだ。

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その後さらに東へ。美しい海岸線を抜け、サボテンが生える乾燥した大地を走り、最後は密林の中の峠道を進む。5時間かかり、ようやくバラコアに着く。バス停には民宿の客引きさんがたくさんいた。10CUC(1100円)と声をかけてくるので、キューバとしてはかなり物価が安いよう。客引きに釣れられていっても良かったのだが、ひと目みたいホテルがあった。かつてゲバラやカストロも泊まったというホテルが海沿いにあるというのだ。それも21CUC(2200円)とキューバでは破格。

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もう鄙びてるとガイドブックにはよく書かれていなかったけど、入ってすぐにここでいい、と決めた。確かに古いし、ドアもガタつく。エアコンもリモコンもないし冷えるかわからない。でも窓はオーシャンビューで一階にはひなびたバーが有る。宿泊客はいない。早速ビールを買って、テラス席からマレコン通りを眺めながらいっぱい飲んだ。

街を歩く。コンパクトで絵になる。人はみんなのんびり。馬車や自転車タクシーが現役だ。客引きみたいのも一部いて近くのビーチなどに誘われるけど、ガツガツしてないので、断るとあっさりとひく。レストランはどこもガラガラでこれでどうやって行ってるんだろうか。それにしても暑い、日差しが強烈で汗が吹き出る。

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明日の国立公園ツアーの予約をして、モヒート飲んで、要塞みて、夕暮れのマレコン通りを歩いたらもうやることがなくなった。
暇だ。最近「ひま」「やることがない」ということがないので、なんだか慣れない。持ってきた本もまだ読んでいないけれど、ビールやラムを飲んでぼーっとしている方がキューバにあっているような気がした。

そういえば、ここはかつてコロンブスが上陸した場所でもあった。街のはずれに彼の銅像と十字架があった。この「新大陸発見」は中南米ではいいことや記念日となっている、ポジティブに捉えられているのがちょっと不思議だった。だって、発見され侵略され、アフリカから奴隷として連れて来られたのに。ただ、当時カリブに住んでいた原住民はもういない。みんなほどなくして、絶滅したのだ。ああ、人間の残虐性。

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馬車が現役で走っていた。
自転車タクシーがゆっくりと追い越していく。
若者たちは路上で裸足のサッカーをしていた。しかもかなり本気で。
公園に行くと必ず多くの人がいた。
昼から飲んでいる人がかならずいる、仕事は?
結構な数のバックパッカーがバスには乗っていたのに、誰一人みかけない。そこそこの人が飲んでいたホテルのバーは、夜になると誰もいなくなった。みんなどこで何をしているのだろうか。

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昨日はヘミングウェイが通ったバーで、彼のお気に入りのモヒートを飲んだ。今日はこうしてコロンブスが上陸した場所にいて、カストロとゲバラが泊まったホテルにいる。通りを眺めると、そこには馬車が走っていて。いったいここはどこなんだ?酔っぱらった頭で考えながら、暑い部屋に窓から入る海風が心地よく、電気をつけたまま眠りについていた。

キューバへ

行きたい場所リストというのがゆるやかに更新されながら自分の中に存在している。
それはベネズエラのギアナ高地だったり、ブラジルのアマゾン源流、マダガスカルのバオバブ街道、ハワイ島の火山、イエメンの旧市街や、そしてリビアの古代遺跡だったり。キューバはいつもトップリストに入っていた。突然時間ができたので、即座にハバナまでの航空券を予約した。今しか見れないモノやコトがあるとしたらそれはリストのうちどこだろうか。イエメンもリビアも国そのものが変わってしまった。カストロがいるキューバといないキューバもきっと違うし、もうすぐ変わってしまうだろう。そう考えるとリストの中から選ぶのはキューバが良いと思った。

何度か乗り換えが必要で遠いと思っていたキューバは、実はトロントからの乗り継ぎだけで行くことができ、夕方日本を出るとその日の夜にはハバナについてしまうのであった。

17:50成田発のトロント行きに乗り、同日の21:30にハバナに到着。トロントまでの飛行機は混んでいたけれど、トロント-ハバナ間は比較的空いていて、小型の4列シートなのに空席が目立った。空港は思ったより綺麗で、褐色の人々がお出迎え。夜とあって空気もひんやりとしていた。なんてことはなくイミグレーションを通過すると、薄暗くも出迎えの人々がいる到着ゲート。さすがに悪い奴はあまりいなそう。

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5万円くらい両替し、infoturというインフォメーションに行き、日本では買えなかった明日のバスチケットを購入。この案内所はおそらく国営なので悪い人はいないはずだが、ここで紹介されたタクシー運転手はちょっとイカサマなおじさんだった。タクシーまでは距離をとってついてきてくれと言われ、タクシーに乗ったら少し伏せててくれ!と意味不明。きっとあそこのカウンターの人の知り合いらしく、割り込みだったんだろうな。どこの国も変わらないな、とちょっと笑ってしまう。
しばらく走って街中に入る。かなり遅いのにみんな起きてて、通りで話してたり、玄関先で上半身裸になりながらチャットしている。外にカウンターがむき出しになっているバーのようなものにも人がたくさん群がっており、さすがラテンである。スペインの血を確実に引き継いでいる。

日本から予約していた宿に着いたのは23:00、どうやら民宿だったらしく地元風のおばちゃんが迎えてくれた。何か食べるものあるかな、と聞くとすぐそこでピザが買えるよ、とのこと。外人専用の通貨で支払うと少しのコインが地元の通貨で返ってくる。分厚いシンプルなパンピザだったけど空腹には美味しかった。時差ぼけでなかなか寝付けなかったけれど、本を読んでいるといつしか寝ていた。

朝7:00に起きる。ちょっとだけ通りに出ると海が見えて、もう足が止まらない。どこをどう見てもハバナ!きた!高揚感につつまれ、心がしびれた。海に面したマレコン通りでは、釣りをしている人、のんびり佇んでいる人、ジョギングする人、といろいろ。遠くに要塞が見え、反対にはカラフルな新市街の建物が見える。

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泊まった場所は1800年後期のコロニアルな建物で、中の装飾品も綺麗に残っている。よく、剥奪を逃れたなぁと思う。

朝食後、旧市街に向けて散策を開始。時折怪しそうな人間が今日はサルサパーティだとか、葉巻を半額で売ってあげるとか言い寄ってくるけどしつこくないし可愛いものだ。とにかくどこを切り取っても絵になる、写真を撮り続けていると前に進めないほどだ。世界遺産に指定されている旧市街は比較的綺麗で、観光ツアーの西欧人爺様婆様のグループばかりでちょっと興ざめ。これなら自分が泊まっていた場所の方がよっぽどよかったかもしれない。

ふと気がついたのだが、広告というものを一切見かけない。社会主義だからだ。観光地なのに、ツアー会社も見当たらない。バックパッカー用のバスもあるとガイドブックに書かれていたのでいろいろと情報収集したかったのだが、なかなか難しそうだ。バスのチケットを昨日買っておいてよかった。

ただただここにいる満足感に満たされ、でもちょっぴり心細かった。かつてあんなに一人で旅をしていたのに、最後に本当の一人旅に出たのは3年ほど前のブータン。旅でのふるまい方をちょっと忘れてしまっているような自分がここにはいるのであった。

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ハバナに来たいと思ったのは、10年以上前に見たナショナル・ジオグラフィックの記事が頭に残っていたからだった。古い町並みに佇む子どもたちの写真。そこにはサッカーを興じている子たちもいた。まるであの時見た写真の一コマのように、今日も街角でサッカーをしている子たちを何度も見かけた。

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何故かバスターミナルに2時間前に必ず行きなさいとチケットを売ってくれたおばちゃんが言うので、16:00にバス停へ行くことにした。短い旅なので、一本バスを逃しただけですべてが狂ってしまう。ちょっと待っても安牌な方が良い。郊外のバス停まで行くと、早く来たのは全く意味がなく、17:00にまた来てねとカウンターで言われた。

仕方なくターミナルのショップやレストランでビール飲みながら時間を潰した。なんだか今日は朝からずっとビールを飲んでいるな。たいしてい美味しいビールではないのだが、この旅でずっと四六時中飲み続けることになるのであった。

バスに乗り込むと時差の関係か、ビールが回ったのか、出発前にいつの間にか寝てしまっていた。