さとなおラボに行きはじめた

自分の意思でシリーズの講座というものに通うのは『SWITCH』のクリエイティブ・ライティング講座以来かな?
コミュニケーションが仕事的にもこの先にも必要だと常日頃痛感している次第で。いろいろな施策を試行錯誤で実施できる環境にいながら、やはり今のままではダメなんではないかと、しっかりとゼロから学ぶ為に毎週水曜日にさとなおオープンラボに通わせてもらうことになった(選考があったので)。

葉山に引越してしまったがために、講座がある水曜日はハラペコ、クタクタ、終電となる。まだ2回しか受けていないけれど、自分が今していることはじつは古いやり方だったんだ、とか。戦略もなく間違っているかもしれない、とか。まだ頭がスッキリせずに混沌とした状態にあるのだけれど、今までみたいに自分だけの手探りの状態ではなく、正しい解を知れるのはとても良いなとすでに思っている。この混沌とした時代の伝え方については大変だなと感じることが多いのだけれど、講座が終わるころには面白い時代だと楽しめるようになるマインドスイッチができているだろうか。

最初に読んだ『グランズウェル』という課題図書の冒頭をコピペして久しぶりの更新は終わりにしてみよう。
「グランズスウェル(ソーシャルネットワークの大きな波)は社会動向だ。人々はテクノロジーを使って自分に必要なものを企業ではなく別の個人から調達するようになっている。その根底にはすべての人間が持っている「繋がりたい」という永遠の欲求がある。」

2016ふりかえり

12月28日、午後は半休にして仕事を納める。家で「写真未整理」というフォルダを整理していたら、生産性がなさすぎて悶々としてきた。その作業は正月の宿題として、少しは意義がありそうな今年のふりかえりをしてみたいと思う。相変わらず、どこへ行って何をしたか、という振り返りだけになるが。

●2016年1月
そうだった会社を13日間休んで南米はベネズエラに行っていたのであった。目的はギアナ高地のロライマ山登頂。
http://www.tabibum.com/blog/?cat=48

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月末には立科YHに息子と一緒にスキー旅行に出かけたみたいだ。

●2016年2月
ニセコモイワのウッドペッカーズに泊まっておなじみのメンツで5日間のスノートリップ。しかし北海道なのに雨だった・・・
http://www.tabibum.com/blog/?p=4112

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その後10日と経たないうちに三世代旅行でハワイのホノルルへ。書いてるだけで、何このやり過ぎ感。

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●2016年3月
月初までハワイ。仕事が超絶忙しい時期なので、週末は寺とスキーに行ったくらいかな。

●2016年4月
仕事でonyourmakメンバーと阿蘇と久住のランニングトリップ。
http://mag.onyourmark.jp/2016/06/campandrun01/93476

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この月から子どもたちと月一キャンプをしようと決めて、第一弾として田貫湖に行った。
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仕事では原宿のフラッグシップオープンや広告企画などでテンヤワンヤだった模様。
ただ、休日出勤の代休を当て平日山行を企てる。雪が少なすぎてスノーボードらしい滑りができていなかったので、真也と富士山に滑りに行こうとしたのだが、前日に滑落の死者が出たのでトレランに切り替え。蓼科山へ向かったが、まさかの雪で大変な目にあった。相変わらずいつも大変(笑)

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●2016年5月
GWの長期休暇はとらずに、子供の日から出張となった。行き先はなんとアラスカ。今年最も幸せな仕事だったと思う。
大好きな雑誌『Coyote』の星野道夫特集号にて、10Pタイアップの同行。成瀬洋平くんと編集者の足立さん、カメラマンの間部さんと4人でシアトル経由でジュノーへ。星野さんの盟友リン・スクーラーさんの自宅に泊めていただき、その後悠久の森へバックパッキングトリップ。フィヨルドを進むフェリーにてシトカへ。星野さんのトーテムポールを見て近くの山へと登った。星野道夫さんとは自分にとって一体どんな存在だったのだろうか。行く前に雑誌や本を読み返し、ガイアシンフォニーを観返し、自分をも見つめ直した、そんな贅沢な時間が忙しさの最中にあったように思う。また別のときにまとめられるといいな。

http://www.switch-store.net/SHOP/CO0059.html

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帰ってすぐに東海自然歩道を一撃で走破しようとしている石川弘樹の応援に遥と向かった。このオトコはなぜ走り続けているのか、息子にはさぞかし不思議だったに違いない。今でもその記憶は息子のどこかに刻まれているみたいだ。

5月のキャンプは浩庵キャンプ場へ行き、その後パノラマ台へと登った。
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下旬には今年お気に入りスポットとなった葉山公園で海開き。

●2016年6月
学生時代の親友が引っ越す前に静岡に来いと何度も誘うので、仕方なく(笑)深夜に泊まりに行き、小雨の中、達磨山に登った。

アラスカの心の整理がつかぬまま10日にはNYCへ。ファッションシュートとビデオ撮影が目的。ドライバーもしてディレクションもして、かつ通常業務の仕事が日本からやってくるので、多忙を極めスキマ時間を作ることがほぼできなかったけれど、面白い旅だった。

6月のキャンプはさくっと遥と二人で三戸浜で海キャンプ。
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キャンプ以外にも葉山公園に仲良し家族でデイキャンプをした。

●2016年7月
NYから帰ってきて2週間と経たずに、アメリカのジャクソンホールへ。
onyourmakの今年の特集の最後を飾るイエローストーンとグランドティトンへの旅だった。キャンプをしながらトレイルランニングをする。3年目となり、メンバーとの呼吸もあい、いいアウトプットを皆で同じ方向を向いて作ろうとしている。そんな恵まれている時間を過ごした。

http://mag.onyourmark.jp/2016/08/runandcamp03/96372

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旅から帰ってきてから遥とユーシン渓谷へと出かけた。

その翌週は恒例のキャンプへ。今回は清水の黒川で実施したんだけど、どんどん家族が増えてきてすごいことになってきた。

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月末には香港の支社の人をアテンドして塔ノ岳へ。
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●2016年8月
この数年、夏に島で銛突きをするのが恒例になっているのだが、去年から親子参加もありとなってきている。今年の夏は怪しい探検隊に出てくる粟島に行くことになった。ハルが高熱を直前に出し、予定より一日遅れての出発。しかも初日は38度のまま島に上陸という厳しい状況だった。その後回復し、みんなでかつてない大物をゲットしまくるという機会にも恵まれた。とても楽しかったけれど東北の渋い島な感じだったので、来年はリゾートの三宅島に戻りそうな予感。

三浦の隠れビーチに日帰りで行った。
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20日にはファストパッキングスタイルで夜行バスで白馬岳へと向かう。不帰キレットの直前で天候が崩れてきて、安牌をとって下山することにした。
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家族で星野道夫展へ。

●2016年9月
6日間の夏休み、ハルと沖縄への二人旅、座間味へ。とにかく最高だったので毎年実施したいと思ったレベル。
http://www.tabibum.com/blog/?p=4325

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父の古希祝いの三世代旅行@熱海が開催された。
信越五岳や斑尾など、トレイルレースへの出展があり、休日出勤が続くので、代休をエイっと使い6日間の北海道家族旅行へ。旭山動物園から大雪山、釧路湿原を周る。

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●2016年10月
今年は仕事ではいろいろ行っているものの、自分的チャレンジや遠征ができていないのではないかとふと思い、台湾の山にハラペコ探検隊で向かうことになった。すごい天気だった。今年は雨男だな。
http://www.tabibum.com/blog/?cat=50

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月末にかけてサンディエゴへ出張。ジョシュア・ツリーやSalvation Mountainなどを周る。これまた猛烈に忙しくて息をつく暇もなかったけれど、皆がホテルに泊まる中、ジェリーさんとジョシュア・ツリーに泊まって朝焼けを見れたのはいい思い出。
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●2016年11月
さすがに息切れしてきて、家にしばらくいたいなと。
休日は子どもたちと公園で遊んだり、海の近くで家探しなどをして過ごした。
修行走というトレイルレースに出るためこまめに100kmくらい走り、振替休日に大山に一人で向かった。
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遥の七五三をして、法事でいわき市へと行き、身延の修行走へ出かけた。
http://www.tabibum.com/blog/?p=4445

●2016年12月
「キャンプ行かないの?」という遥の言葉にハッとする。月一キャンプはどうした?9月に北海道と沖縄でキャンプしまくって、10月には自分は台湾とジョシュア・ツリーでキャンプをしていたので満足しきってしまっていた。行きたい、と彼が言うので二人なら寒くても平気だろうと田貫湖へキャンプへ。よく行くホームグラウンドとも言えるべきキャンプ場があると、そこでしか感じられない四季の変化やわが子の成長があるな、と思った次第。
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今年は雪の降り出しが早いので18日に苗場にてシーズンイン。

お世話になったいろいろな方々と忘年会した。
明日12月29日からは八ヶ岳へ3泊4日の旅行へと出かける予定。

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さくっと整理してみようと思ったらぜんぜんサクッとできなかった。振り返ってみると相変わらずとにかく人に恵まれ、仕事の機会にも今年は恵まれ、それを許容してくれる家族にも恵まれている。なにが現状不満を引き起こしているのだと、無い物ねだり感を自問自答したくなる。それにしても、これって今年だったんだろうか、あれもこれも?というくらい色々なことがあり、次へ次へと突き進んでしまった。この経験や体験から自分は何を得ているのか。それが噛み砕けていないから、すべてがバラバラのピースでまとまりがなさすぎるから、もわっとした感情を持ってしまって消化不良感があるのではないかと思う。仕事、家族、そして諦めきれない自分の欲望、と三つが絡まりあって、すべてを優先させようとするからきっとこうなっている。もう少し落ち着いてふりかえり、経験を染み込ませて自分のものとしてから次へとできるといいんじゃないかな。iTunesに音楽を入れすぎてしまって、どの音楽が好きだったのか、あんな曲もあったな、どうやって取り出すんだったけな、という感覚にちょっと似てるなと今思った。いやー、なんかすごい一年だった。

Summer 2016

年が明けたらあっという間に夏だった。
1月にベネズエラから帰ってきて、2月にはニセコへ。2月末から3月頭がハワイ。4月には仕事で阿蘇へ。5月にアラスカに行き、6月にNY、7月にはイエローストーン。ブーンブンブン、そんな感じで月日が過ぎた。

夏に書きかけたこのブログポストも、すっかり放置され気がつくと10月。
まずは8月の新潟は粟島のことを。

ムスコのハルと、カッセファミリー、真也ファミリー、Qちゃんファミリー、寺、郷さん、というメンツ。
一昨年は石井くんと寺の3名だったのに、去年からファミリーキャンプっぽくなってきて、今年はさらに子ども連れが・・・まあ、必然の流れなのだろうか?

椎名誠の『あやしい探検隊』の島。ずーっとまえからずーっと興味があって、いつかいつかと思っていたので、今回は伊豆七島のフェリーが満席だったという、ただそれだけの理由なのだが、ようやく上陸できて満足であった。

島では相変わらずの自給自足生活。
といっても人数が多いので、焼きそばやラーメンや、ウインナーとか、みんな好き勝手なものを買って食っている。なんかこの混沌とした、だれも何かを制限するわけでもない、自由な感じがとてもいい。一日のタイムスケジュールも寝る時間も起きる時間も決まっているわけでもなく、それはそれは好き勝手やっている。

期待していた大物は採れなかったけれど、大きな石鯛や、三宅島よりもたくさんの種類の魚が採れて大満足だった。水はそこまで冷たくなく、ただ、日本海なのでやっぱり三宅島のような南国感や無条件の気持ちよさはないものだなー、と感じたとこだった。一緒に行ってくれた皆んなに感謝!

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GW キャンプ

今年のGWは8連休だったけど、前半は息子と一緒に田貫湖キャンプ場でのんびり。
3泊4日のキャンプで特に予定を詰め込むわけでもなく、自炊してのんびりして、自転車で湖を一周して、樹海に行って、動物を見に行って。夜は昔の同僚たちが毎晩のように来てくれて、最高の時間。

Pinky Mt. Fuji . Good day

Today's camp site.

Goood mooorning Mt. Fuji

Pinky Mt. Fuji . Good day #fuji #camp #japan

馬、富士山、鯉のぼり

Mt. Fuji #fuji #japan #sunset

2015年

新年に抱負みたいなことを書いたのは2012年。すなわち3年も前なわけだ・・・・・
ダイジェスト的に3年間を少し振り返ってみると・・・・

  • 2012年は東北スノボードから始まり、四国や直島、沖縄本島を旅し、北丹や信越、神流、武田などトレイルレースにまあまあ出て、インド経由でブータンに行き、震災後の東北を旅した。
  • 2013年は北海道、白馬、八甲田、利尻など、回数は抑えめに、ただ毎月のように遠くに滑りに行き、夏以降はアコンカグアトレーニング一色。年末は南米へ。
  • 2014年の幕開けは5,500mのキャンプ地で始まり、帰国後は南米まで行かせてもらったのだからとインドアな年にしようと思っていたら、結局旅が続く年となり・・・春になると家族で九州は天草、阿蘇、久住に大分へ。息子と二人で波照間、与那国、高山、郡上、白川郷、白山に富士山、そして小笠原を旅し。自分自身はといえば、四国の神山に三宅島、キューバにヨセミテ・・・と近年稀に見る外に出続けた年となった。やり過ぎ感・・・

さあ、2015年。
新年に気張らないで、のんびりと過ごすことが最近増えてきていると思う。それは歳かもしれないけれど、時間に余裕が出てきたというか、ゆとりがあるというか。元旦にすべて決めなくてもいいじゃん、とも思う。それでも元旦に一年を振り返り、抱負をというのも日本人ぽいっていうか、人間ぽくっていいなとも思う。ということで、この数日でぼんやりと思ったのは。

  • Sports Lifestyle:スポーツ人生を送る(体と体力がすべてのやりたいことへの源なので、とにかく維持する)
  • 住まいと生活をじっくりと考えて、できれば変化をもたらす
  • やれなそうなことにチャレンジする
  • 仕事は全力を尽くし、常に自分のパフォーマンスというか、いつでも独り立ちできるような心構えで取り組む
  • ウェブなのか何なのか、自分の活動の場所を現状の仕事以外に持つ

細かいことはもっとあるし、家族がとか当然の抱負は割愛するけれど、自分自身に言及するとこのように思っている。

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Forget Me Not 2014

今年のCreative Writing の同窓会となるForget Me Notの作品も、横着してキューバの写真とストーリー。

心の深い部分にかすかに残っていてふと思い出す昔の写真や文章がある。10年以上前に見たハバナの写真がまさにそれだった。記憶というのはとても不確かで、その多くは湾曲されたり都合のいいように変換されているから断定はできないのだけれど、確かナショナルジオグラフィックのハバナ特集で旧市街でサッカーをする子どもたちが写っていた。忘れられない一枚の写真とカストロが亡くなる前に行きたいという思いが相まること数年、ようやく足を運ぶことができた。

ハバナからすぐに南下をすることにした。旅で一番好きなことが移動すること。まだ見ぬ景色にイメージを膨らましてる瞬間が何よりも好きだから。バスに17時間揺られて自然豊かな最東端の街バラコアへ。
前日にはハバナでヘミングウェイがあししげく通ったと言われるバーにいた。そして今日はかつてコロンブスが上陸した浜に行き、カストロとチェ・ゲバラが泊まったというホテルに泊まり、バーでモヒートを飲んでいる。いったい今がいつで、ここがどこなのか、ラムの効果も効果もあってか心地よい混乱の中にいた。

坂の町、サンティアゴデキューバは革命の象徴的な場所。
1953年7月26日、独裁者の圧政に反旗を翻してモンカダ兵営を襲撃した若きカストロは61名の同士を殺され自身も捕まる。弁護士だった彼は自分を弁護し世論の支持も受け数年後に恩赦で釈放。メキシコへ渡ってゲバラ含めた同士を連れて3年後に戻ってくると、山中での2年に渡るゲリラ戦を経て革命を達成するのである。カストロの執念と偉大さを感じた場所だった。

夜行バスで夜明け前の街につく。
こんなにも美しい街を近年見たであろうか。トリニダーはかつて奴隷貿易で大いに栄え、その終わりとともに眠りについていた。

1週間ぶりにハバナに戻ってきた。都会の心地よい喧騒。通りでサッカーをする少年たちは、まるでナショジオの写真のようだ。
大西洋に面したマレコン通りを何度も何度も歩いた。娯楽の少ないキューバならではなのか、暑さの収まる夕方から人々が集まってきて談笑をする。それは平日でも休日でも、そしておそらくクリスマスでも変わることはないのだろう。
90キロ先のアメリカ大陸のフロリダは今日も見えなかった。

あの時の東北へ -3-

石巻から北へ。
南三陸の志津川へと向かう。ここは僕が見た中ではもっとも被害が大きかったような場所で、ずいぶんと記憶に残っていた。ある意味、復興の過程をしっかりとみたいと思っていたし、期待していた。

中にいないので、外からの印象しかわからないけれど、それはあまり進んでいないように見受けられた。がれきの山は以前より高くはなく、基礎だけ残ってそれ以外のものが取り除かれた大地は、比較的キレイだ。でも、散らかしたおもちゃを片付けたような。そしてその後は何も手をつけていないような。そんな印象だった。


被災地観光バスがひっきりなしにやってきて、役場跡を見学していた。
そこからは海岸沿いに北へ。

がらんとした平野を走る。
確かにとてもキレイにはなっている。でもそれは整理されただけだし、ここにまた人が住むのかは不明だろうし。かといって、完全な更地にするのも時間がかかるのかもしれず、いろいろあるのだろうなと思った。
簡易コンビニや簡易商店街みたいな場所をいくつか目にした。

都会ではきっと多くの人が東北のあの震災を、もう過ぎたこととして過ごしているのだろうけど、ここではまだ現在進行形だ。

2時間くらい走って気仙沼に着く。
ここは広大な大地がしっかりと整地されていて、がらーんとしていた。
この面積がすべて津波にのまれたのかと思うと、本当にびっくりせざるをえない。ただただ唖然とするばかりだ。一年前に訪れた復興市場もまだ普通に営業している。

一駅先の鹿折唐桑駅へ。ここには陸に上がってしまった巨大な船があった。
現在地元の方と行政とで震災遺産として残すか否かをややもめているところと聞いた。

地元の人の気持ちもあると思うけど、僕は残すのにおおむね賛成だ。
お昼は、唐桑の復興市場で。いくら丼を食べて、たくさんのお土産を買った。

ムスコがまだ1歳なので、そして家は500km以上離れているので、お昼には帰ることになった。慌ただしい滞在だったし、通り過ぎるだけだったし、ボランティアなどをしたわけではないから、地元の人の生の声は聞いていないけれど、それでも来れて良かったなと本当に思う。

東北は忘れないよ。ちゃんと思いを馳せ、しょっちゅう来られるわけではないけれど、来られる時にまた来たいと思う。

あの時の東北へ -2-

夜は郡山に泊まった。
朝は一路北へ。

仙台で、ちょっと観光。建築好きの嫁さんのリクエストにより伊東豊雄設計の仙台メディアテークを訪れた。外観は特に際立った特徴は感じられなかったけれど、内部の細部というか、細かいところがかなりかっこ良い建物だった。

東北に行きたいとずっと思っていた。
被災地を失礼ながら訪問して、復興の過程をしっかりと見ておきたい。子どもを産んだばかりで行けなかった嫁さんにも見てもらいたいとも思った。何より、あまりにもあの地を感じられない日常生活を送る中で、北の大地も忘れていないんだよ、と自分自身に言い聞かせたかったのだと思う。何かしたい、とは思っているのだけれど、その何かという具体的行動がわからなくて、やっぱり行動派の自分としては行くのがいいと思った。でも、ボランティアもせずに、被災地だけを巡るのはどうなんだろうとも思った。目的はいったいなんなんだろうか。何をしにいったらいいんだろうか、と。
だったら東北を観光で訪れる、というのがいいのではないか。それが今回最もしっくりとくる目的なのではないだろうかと思ったのであった。

仙台の後は日本三景、松島へ。ここも津波でかなりの被害を受けたと聞いていたけれど、幸いにも観光客はかなり戻っているようだった。橋はまだ壊れていたり、「がんばろう東北」「がんばろう松島」という表示も見かけたけれど、比較的元気な姿を見ることができたように思う。

そして今日の宿泊地、石巻へ。ムスコがお昼寝してしまったので、一人で北上川へと向かった。
ボランティアで訪れた地。
徹夜で運転して辿り着いた道の駅。
道中波打って崩れていた道路。ボランティアで綺麗にした民家や学校。崩壊した橋や材木や船が散乱していた田んぼ。それらを思い出しながら、夕暮れの北上川を海へと向かった。

あの時の田んぼ

今日の田んぼ

川沿いの道路は過剰なほど、立派に再生されていた。田んぼはすっかり綺麗になっていた。そして何より感動したのはあのとき崩壊していた大きな橋が復活していたこと。夕焼けの綺麗さと相まって、なんだか感慨深い景色だった。

車を降りて、大川小学校へと行った。
被災地観光というようなものがあると聞いていたけれど、そのようなタクシーが数台。視察系の人がパラパラ。一年以上前に訪れた時は、スクラップされた車や、建物の基礎が残っていたけど、すべては片付けられ、クリアにされ、小学校が残るのみだった。

あの時の電柱

今日

あの時の小学校付近

今日

なくなったたくさんの子どもたち。そして残された家族。子どもを持った今だから、かもしれないけれど、何度想像しても胸がつまるほど痛く悲しい。当事者でもなんでもなく、ただの傍観者で赤の他人だけれど、涙が頬を伝う。いろいろ想うことがあり、そしてその想いを胸に秘めながら、道の駅で暖かい缶コーヒーを買って、自分の子どもの元へと戻った。

あの時の東北へ -1-

11月の終わりに、東北へと向かった。その時のことを書こう書こうと思いつつ、最近のブログ離れから筆が全く進まない。もちろん、行った後にどう心を整理しよう、と思っていることもあって書かなかったというのもある。でも自分への教訓としては、常に文章は書いていくべきだと思う。文を書いて、深く考えていくべきなのだと思う。なのでこれを機にもう少しちゃんと更新しようと思う、自身の日記的なブログとして。

初日は嫁さんのひいおばあさんが住む福島県いわき市へと向かった。常磐道はもちろん途中から通行止めとなる。これは当然原発がその先にあるからだ。1年以上前に訪れた時よりも、ずいぶんと道路はフラットになったけれども、それでも福島が近づくと、波打つ箇所もある。余震も原発も、ここでは収束していないのだと、本当に思う。

おばあさんと会った後、おじさんが被災した海岸線をじっくりと案内してくれた。
南三陸や気仙沼の規模とは全く異なると思うけれども、ここでも家が丸々流されてしまった地区がいくつかある。そしてその場所にはコンクリートの断面が残るだけで、今も復元の兆しはない。津波や地震の被害よりも、やはり原発のインパクトの方が、今も続いているという意味では根強いのではないかと思った。

たくさんの仮設住宅。それらは主に原発により家を奪われた人たち。保証金がある程度でて、日中働かなくて良い人も多いみたいなのだけれども、元からいわきに住んでいる人の中には「あの人たち働かないでも生きていける」的な批判的な考えを持っている人もいると思う。だからそこに意識の壁が生まれつつあるわけで。同じ福島なのに、悲しいなと思う。その仮設にいる人たちだって、一番いいのは仮設にいないことに違いないから。

海にはサーファーがいた。それがどの程度「戻っている」のか、普段より少ないのか多いのかわからないけれど、でもとにかくそこにはサーファーがいた。観光魚市場はかなりの活気だった。
ある意味、ここには関東に暮らす自分との意識のギャップがあった。放射能、大丈夫なんだろうか、と。

現実を見た上での、影響がないという判断なのか。現実を直視するのを止めたのか。思考しなくなったのか。あきらめたのか。それとも共存していこうとしているのか。ただ、すべての海産物の影響はゼロとは言えない事実やデータはあるわけで。遠くはなれた僕にはきっとわからないことだろうし、口を挟むことではないのかもしれない。

ガイガーカウンターを持参して訪れた一回目。親に止められながらも、ムスコをばあさんに見せにきた2回目。そして今回の3回目のいわき。自分のマインドも、周囲を取り巻く環境も毎回異なるけれども、毎回来て良かったなと心から思う。

親子二人旅

息子との初の二人旅は、高尾山にした。
電車では起きてたのに、ケーブルカーも楽しそうだったのに、山の登りは背負子の後ろでぐーすかぐーすか。

山頂で起こして、下りもぐーすかぐーすか。まあ、自己満足だよね、これは。でもとても楽しかったです。またどこか行こう。