地震メモ Day17 宮城の登米へ

モンベルとエコツーリズムセンターが中心となって救援を行っている、RQ市民災害救援センターのボランティアに週末行ってきました。宮城県の登米市に拠点があり、休校となった中学校の体育館には50名のボランティアと多数の救援物資が積み上がっていた。

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今は、救援フェーズなので、この物資を被災した人々に届けるのが日常の仕事。
実際に被災地に足を運んでみて、ただただ言葉を失った。やはり自分の目で見るのは違う。詳しくはまた明日以降にかければと思う。

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にわかジャーナリストになるつもりはないので、複雑なコメントは差し控えるが、ここが同じ日本、あの東北とは今でも頭の中できっと整理ができないでいると思う。

地震メモ Day15 あれから2週間

3月11日の地震からちょうど今日で2週間。
明日からボランティアに行くので、お米を10kgとお酒や行動食を買いに行った。20:30、ガストの明かりがついていて、店内はやけに平和だった。そうだ、明日は停電がない週末だもんな。企業が休む週末には停電がなく、それ以外の日は停電がある、関西に暮らしている人や、ぼくだって以前だったら信じられないような現実だけど、みんな比較的文句も言わず受け入れて、ルールに沿っておとなしく暮らしている。明日は一日明かりのある、平和な日ってわけだ。

20:00過ぎると大抵のお店は閉まっている。その暗黙のルールにも、なんだかなれてしまった。やればできるじゃん、俺たち。でもまだ気持ちがフワフワとしていて、いつ終わるかもしれないこの先の見えない状態が、まるで夢の中のような錯覚も起きる。

慣れたくないものもある。放射能による汚染。先日も書いたけど、ただただ悲しい。だけど、先日は雨を避けて帰ったのに、今日は雨に濡れて帰った。ここでの数値があまり悪くなかったのと、やっぱり慣れなんだろうな。海外の方からしたら、この状況で普通に暮らしている我々の感覚が信じられないのではないかと思う。だから僕もにわかに信じられない。こんなにも放射能が身近にあり、日々数値を気にして、農薬を気にするとかそういう次元ではなく、放射能を気にしながら食について考える日が来るなんて。これが現実だとはやはりとても受け入れがたい。

毎日いろいろチェックするので、自分のメモ用にとリンク集をつくった。

それでは宮城に行ってきます。

地震メモ Day12

原発問題、新たなフェーズ入り。東京との浄水場から規定値の二倍の放射線が観測され、都が23区の乳児に水を飲まないように勧告。水パニックがにわかに起きて、水や麦茶などはどこもかしこも売り切れ。兵庫の友達に聞くと、かの地でも売り切れらしい。

土壌もジワジワと汚染され、北西に30キロ離れた場所で通常の1600倍の放射能。ヨウ素は8日で半減するが、セシウムは30年だとさ。
美しい私たちの国が、本当に広範囲に渡り汚染されてしまった。原発は今も制御不能で根本的には解決の糸口が見えていないので、これらの数値は蓄積するものの、減ることはあまりないのだとう現実を突きつけられる。本当に本当に悲しい。

地震メモ Day10-11

Day10
車でビュイーっと姫路まで、疎開した子どもと会いに。
久しぶりにふつうの世界。売り切れもない、緊迫感もない、ここは何も変わらない日常だ。情報過多で疲れていたし、ここ数日原発の動向が気になっていたのでなんだかホッとする。
帰路、東名はものすごく混んでいた。90%以上は物流のトラックたち。午前3:00でもトラックだらけ、異常だ。雨だし運転がものすごく怖い。でも丈夫でしっかりしている西から、弱って物不足の東へと物がどんどん移動しているのだ。すごく普通の流れ、日本は健康だよ。

Day11
朝からみのもんたのテレビで、放射能はまったく問題ない、とのコメント。いやー、それってどうなのよ。とにかくメディアぐるみで大丈夫、問題ないという空気が流れ始めた。敏感な人々も、被災なれというか、感覚が麻痺してきている。「直ちに健康に被害はない」というのが彼らの意見。裏を返せば、「長期的に継続すると健康に被害がありますよ」ということだ。
原発はここ数日安定している。それも極めて悪い状態で。放射能をジワジワと、ゆっくりとそして確実に、私たちの美しい大地を日々汚染し続けている。この状態にけっして慣れてはいけないと思う。

地震メモ Day9

今日も西日暮里のボランティアセンターへ。
山形には新規で30名のボランティアが来てくれたという。やっぱり日本人の助け合い精神はすごいと思う。着々と震災tの現場へ物資が届けられていることだろう。
ボランティア希望の方と話していると、とても元気が出る。いつまででも行けますとか、週明けに上司と相談して休みますとか、19歳の熱意を持った未成年だったり。

今回、「阪神大震災の学びから・・・」というコメントで現地への対応がかなり遅れてしまったんではないかとちょっと思った。被災地にむやみに入るべきではないのだけど、自らが自立できる人はどんどん入れば良かったのではと今更ながら後悔した。何てったって、ここは神戸/阪神という狭いエリアではない。縦に200km以上の広大な被災範囲。おまけに海外でもない、いわゆるホームなのだ。
以前NPOにいたときに思ったのだけど、海外で猛烈な自然災害が起こると、日本のNGOは我先にと発生から2,3日後には現地入りしていた。自国なのだから、自らアクションをおこせれば良かったな。
原発に誰もが心を奪われてしまったという、理由が誰にでもあるのだとは思うが。もちろん迅速に動いてい人や行政の動きも他県でも活発で恐れ入る。これからは急激な速度で支援が向かうことを期待したい。
とは言っても、やっと1ヶ月検診を迎える子どもを持っているのでどうしても動けないのだが。

ものすごい眠気の中、携帯で石川直樹くんのブログを読んで、はっとした。なんだかしばらく眠れなくなった。

以下一部抜粋
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戦後最大の天災であり、未曽有の災害であるわけだから、人々の話題が今回の震災に集中するのは当然である。しかし、湧き上がった情報の大半はゴミになる。三陸沖は瓦礫の荒野になったが、首都圏を含むその他の地域は、情報という瓦礫で埋められた荒野と化すに違いない。瓦礫の中にはわずかに使用可能なモノもあるが、大半は泥をかぶり、その見定めは難しい。特に原発に関しては、誰かの言ったことに簡単に扇動されると、自らも瓦礫に埋もれることになる。
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彼の言うように、情報の瓦礫には埋もれずに、自分の声を常に聞いて、確かめていきたい。

地震メモ Day8 ボランティアに行く

すべてを変えてしまったあの地震からまだ一週間とちょっと。果たして現実だったのか、夢だったのか、その影響のあまりの大きさに錯覚がおこる。
今日は西日暮里のエコツーリズムセンターへボランティア。昔の職場(ホールアース自然学校)のボス広瀬敏通が代表を務めている組織。ここは今全国の自然学校やガイド系の要望などを取り入れつつ、モンベルのアウトドア義援隊と協力し、被災地の支援を行っている。
→詳細はこちらから

仙台に拠点があっただが、原発のリスクを鑑みて、拠点を山形空港のすぐそばの天童市に移した。すでに広瀬さんなどは現地入りしていて、天童市をベースにしつつ、その他3拠点、気仙沼/登米市/仙台にサテライトを構築して被災地に物資を届けようとしている。

以下、広瀬氏3月17日のメールより。
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これまでの災害と同様に『避難所』とカウントされた場所以外に、無数の車泊の人、崩れた倉庫に寝ている人、庭先にブルーシートを張って寝ている人などが、暖房もガソリンも無しに震えています。
よく凍死しないもんだと感心するほどの寒さですが口をつむんで耐えているのでしょう。

津波が30Mの高さまで襲った痕を各地に見て歩いたチームはかつて町だったのが今や瓦礫だけの平らな土地で、隣町の生存者に「あそこの病院に行ってあげて」と言われてたどり着いたところ、そこには何も無かった、ということを繰り返し、味わって戻ってきました。

朝出て、22時過ぎに戻ってきたひげ面は、徒労の色が濃く出ていましたが、気持ちは寝ていられないという思いが感じられます。
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今回の震災では津波が町を飲み込んでしまったので、通常機能すべき役所的機能が分断されている。なので震災から命からがら逃れた人が孤立している恐れが未だあり、しかもガソリンが切れているので動けない人々も多いのだ。

そんな中、今日は10人くらいのボランティアで、
問い合わせの整理:ボランティア/募金/物資提供への対応
ボランティアの要請:受け入れ態勢ができたので、実際に現地に行ってもらう連絡
物資の整理:支援物資が続々と事務所に届くので、その物資を黙々と整理する。

僕はボランティア行きを表明している人に電話をして、いつから行けるか、どうやって行くかなどのマッチング作業を行った。熱い想いを抱いているすばらしい人たち。頭が下がる。いったい自分は週明けに会社に行くべきなのだろうかと心から疑問を抱いてしまう。

山形への道は、夜行バス、緊急車両の証明書を発行しての東北道、下道、そして飛行機が利用できる。「たった今夜の便がとれたので向かいます」という熱い人もいた。
ここでできるたった少しの援助。明日もがんばろう。

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地震メモ Day7-8

Day7
ようやく落ち着いてきた7日目。
計画的な停電が実施されているのだが、うちはまだ体験したことがない。
今日は冷えたので、夕方になると大規模停電が起きるとニュースで発表された。そのとたん帰宅する人が多くでて、電車は相当なカオスになったよう。「停電始まるから混乱する前に帰りな」と言われた人の大号令で、駅はパニック。
実家に帰る予定があって、19:00に電車に乗ったのだが、埼玉までの3路線、すべてがら空きで座れた。
家族全員で家族会議。混乱時にどうするか、離れ離れになったらどこに集まり連絡するか、死んだらどうするか、兄弟で仲良くやって頂戴と親からの改めてのメッセージだった。
震度3レベルの余震が3回。もはや体がビビリ、敏感になっている。
男は外に逃げるのに、女性陣は冷静。なるほど・・・

被災地で避難できたのに亡くなっている人がたくさんいる。なんとかしたいって心から思う。
「阪神大震災の経験から言うと、今言っても無力だからだめ」とかなりの人が声高に言っていて、納得するところがあったのだけど、どうやらそればかりではないみたい。物資を持って被災地に行った人は相当ないい役割を果たしているみたいだ。たとえばこちらのように。
週末はボランティアをしようと思った。

Day8
今日でちょうど一週間。死者は阪神大震災を公式に超えた。行方不明が2倍以上いるのだから、2万人以上の死者になるのではないだろうか。ダントツで戦後最大だ。
それでも、「立ち止まるなー!経済活動をしろ!東京を止めるな!」とまるで脅迫のように発言する人がいる気がするんだけど(個人的に思うのはいいと思うよ)、それってどうなんだろうと思ってしまう。この未曽有の時にそんなこと言ってどうすんのよ。別に止まってもいいじゃない、止めてもいいじゃない。まだ一週間だよ。こんなにひどいことが起こってさ、悲しくてさ、無理に頑張らなくてもいいじゃないか。
普通に生活するのはいいと思うのだけど、同時にこれをきっかけに立ち止まっていろいろ考えるいい機会だと思う。

なんだかさ「俺がこの会社を辞めたらもたない、会社潰れる」的自意識過剰感覚に似てる気がするのだよ。いやいや、あなたがやめても会社潰れないから、代わりがいるから、それが会社だから。
そう、東日本が打ちひしがれても、きっと他の地域は普通にしてくれる。助けてくれる、回してくれる。そして我々は立ち直れるよ。

停電のため列車の本数が少なく、普段待ち時間が殆ど無い首都圏の路線で10分以上待つ。なんていままで堪え性のない、便利を追い求めていた生活を我々はしていたんだろうと痛感する。

自動販売機は節電で止まっている。エスカレーターも動いていない。まあ、それでもいいじゃないか、ぜんぜん平気だよ。
友人はこれを機に「お電気さんと呼ぶことにした」と笑ってつぶやく。

安易な表現だが、便利さに慣れきった我々全員が、きっとすごいたくさんのことを学ばせてもらっている気がする。完全に実体験の実習だ。究極のOJTだ。
あとに残るのは希望だと思う。新しい社会への、変化への希望だ。

地震メモ Day6

子どもと奥さんを新横浜駅まで見送った。
駅はかなりの子連れで溢れていてややパニック状態。今日で良かった、昨日チケットを買っておいて良かった。

いろいろな声がある。
冷静に見て健康に影響はない、東京の人が西に行くのはナンセンス、ただの精神的疎開である、とか。それか、逃げろ!という反対の意見も。
客観的に情報を見て、ここ(神奈川)にいても大丈夫だとは思う。今のままならね。でも最悪の状態になったらどうなるのかは、正直だれも想像できないよね。1号機から6号機まですべて制御不能。正しい回答はなく、テレビやメディアでもあの人の言うことは間違っている、という責める意見ばかりで、だれの言葉を信じればよいのかはわからない。
心配損だったね、あほだったね、ていうのが一番いいと思う。山で天候が崩れたときもそうだ。リスクを自分で解決できなければ突っ込まない。後々、なんだやっぱり行けたな、と思ってもそのときの判断を責めようとは思わない。だって無理につっこんで遭難状態になって警察に捜されたこともあるし。

何が言いたいかというと、自分の判断で行えるなら、精神的にもそれが正解でいいのじゃないかということ。家にひとりになったけど、昨日よりずっと安心。

2日ぶりに会社に行って、掃除をする、仕事をちょっとする。
関内の街はまあまあ普通に動いていた。ラーメン屋さんで昼食も採れた、まあ自動ドア壊れていたけどさ。
そんなとき、震度3の地震が来て、すでにびびりだった我々はまた外に待避した。ていうか揺れるよ、ビルの上。怖いので土足で仕事をすることにした。そわそわして落ち着かないので16:00に切り上げ。
市営地下鉄は停電で止まってしまったので、遠回りして3倍の時間をかけて帰る。

ガソリンスタンドは閉店か50台以上の行列。不思議なのが、なのになんでこんなに自動車が走っているのだろうということ。

家に帰ってきて、掃除をして洗濯をして、いつでもどこかに行けるようにした。
昨日の夜から、避難道具一式(防寒具やライト、水)は車の中に入っていて、玄関に置いたフリースの中に車の鍵と貴重品を入れてある。逃げるときはフリースをつかめばよい。
今日みたいに外出する際にはカッパと携帯などの充電系統とライトを携帯している。この間の4時間ウォークで疲れたので、ランニングシューズで外出。
ちょっと遅いけど、やっと軌道?にのってきた。

地震メモ Day1-5

かつて我々が体験したことがない事態が、今なのだと思う。
被災3日目になってようやく実感として感じた。何かのために、とか、今後のために、とか、ついつい我々は未来へと担保する癖があるのだが、いま起きていること、この状況こそがまさしくその担保を使うときなのだと思う。なにも未来へと備える必要はない。やりきろう、出しきろう。

こんなこと体験できないと思うので、雑感になるがメモをしておこうと思った。記録はただの自分への記録です。
と、ここまで書いて実はさらに二日経ちいろいろな事がありすぎて記憶が不確かになりつつあるのだが・・・

DAY 1
職場は横浜中区、メゾネットの5階、すなわちビルだと8階くらいの高さか。
ぐらぐらと最初はゆっくりと揺れ、その後激しく。廊下に様子を見に行くとさらなる揺れを感じたので「外に出よう」という同僚の一声で、スリッパで何も持たずに階段を下りることに。
最初は駐車場に避難したのだが、さらなる揺れを感じ、近くの公園に逃げることに。
人々がパニックになり、手を上げ叫びながら公園を目指している、目の前で転ぶ人もいた。とにかく、これまでの人生で一番揺れた。ガシャンガシャンとビルが崩れる音。
今にも近隣のビルがすべて崩れてきそうだった。こうやってある日突然人生の幕が閉じるのだろうか、と走りながらも冷静に考えが頭をよぎった。

その後の経緯は関東のほとんどの人が体験した通りだと思う。
スリッパ一つで携帯も財布もなく、情報がまったくない。何がおこったのかまったくわからなかった。そして携帯を取りに行った後も、電波が繋がらなく、この情報社会において情報がここまで入らないとは・・・としみじみと感じた。
避難している公園には2-300人以上の人が居たように思う。それでも警察も消防もついには来なかった。規律は乱れることなく、自主的なよい日本人たちだった。
以下、近隣の写真。
→こちらから

家族とも連絡がつき、無事を確認し、交通機関が麻痺しているので17km先の自宅まで歩いて帰ることに。
今となっては申し上げにくいが、状況がわかっていなく、逆境好きなのでちょっと気持ちが高揚し、ワクワクしちゃったのも事実。歩いている人々との連帯感。まるでコンサートや祭りの帰り道のよう。
新横浜駅を通過すると、パチンコをしている人がいたり、金曜日なので飲み会の若者がいたりで、横浜の揺れとは無縁なような、気楽な世界。ギャップを感じつつも、中間地点で回転寿し屋に入った。
寿司とビールを飲んだ。ここも至って平和だった。
「今日帰れなくなーい?」とバイトの女の子たちが気楽に話していたのが印象的。

家までの時間がだいたい判明し、暗い道に一人になったのでワンセグでニュースを聞きながら帰ることに。思っていたより尋常ではない被災地の様子が伝わってきて、自分がなんて甘い考えだったのかと思い知った。下手したら死者は100人いってしまうのではないかと思った。

帰宅し、家の中がほとんど無事なのを確認したのち、逃げられるように必需品(防寒具やライトなど)をまとめ、ニュースをつける。そこには生々しい津波の映像が映っていた。まるで悪夢のようだ。911のニュースみたい、しかも自国・・・
眠気に勝てずテレビをつけたまま寝たが、何度か余震でびっくりして起きた。

DAY2

たいして寝てないけど7時に起きてニュースをつけると釘付けになった。テレビの前から離られない、離れてもまた戻ってきてしまう。すごい映像だった。ほんとうにまるで911。それも外国ではなくすぐそこだ。いろんな悲しさ、そして人間のたくましさを見て胸が熱くなる。涙が出る。
同時にtwitterからも目が離せなくなる。リアルタイムなみんなの思い、そしてニュースより早い情報。ある意味一番災害に適したメディアだと思った。麻薬のように癖になるけど。今回フィーチャーフォンはまったく役に立たなかったが、スマートフォンが威力爆発だった。家族と連絡を取れたのもtwitter。普通の携帯もNTT地上波も通じなくなってから、通じたのがスカイプ。twitterやfacebookでの安否情報や海外からの応援メッセージ。世の中はこっちのベクトルに向かうんだなとしみじみと思った。

地震発生時に運良く実家にいた家族を迎えに埼玉へ。電車は各駅運行だがおおむね順調。
埼玉はかなりのどかで災害意識が横浜のそれとは違った。

夕方になって原発問題でざわつく。またしても目がニュースに釘付け。
この日も、死者は500人超えてしまうのだろうか、という、自分の甘い予想。
入ってくる情報は限定的で、日本のメディアは速報的なニュースを繰り返すだけで、この災害をまだ俯瞰できない自分がいた。

DAY3
ようやくメディアもまとめた放送を始めた。
やっと物事を俯瞰して捉えられるようになった3日目。その被害の大きさ、津波の爪痕にただただ圧倒された。呆然とする、涙こみ上げる、日常に意識が戻る、とその繰り返しで忙しい。

車で60km離れた越谷の実家へと帰る。
昨日は麻痺していた高速道路ももとに戻り、そして当然移動する人もあまりいる訳がなく。

帰ると近所のおばさんに、「スーパーで物が売り切れているから行った方がいい!」と煽られた。いずれにせよ食料ゼロだったので行くことに。カップラーメンや米、ティッシュや缶詰などは軒並み売り切れていたが、生鮮食品は売っているし、普通に買い物をして帰ることにした。
近所のガソリンスタンドは軒並み売り切れ。そうか、こうやって大衆がパニックになっていくだ・・・
実は、原発が本当にやばくなったら西に逃げようと思っていたので、ガソリンは入れておきたかったのだが、そのいざが来たら渋滞で車が動く訳がないと思い、燃料の補給はやめた。
ただ、灯油は買いに行った。普通に買えた。灯油系の暖房は地震がおこると火事になるから、使用しないのかな、と思いきや、電気が切れたときにと電源が必要でない灯油ストーブがどこでも売り切れているのがおかしかった。
大衆心理は面白いなと思う。

ふつふつと湧き上がる気持ちがあって、来週落ち着いてたらボランティアに行きたい!と家族に思いを伝えると、新生児がいて危険なんだからやめて、とプチケンカ。たぶん俺がいけなかったと思う。

DAY4
ついに平日。仕事は自宅待機となったのだが、首都圏の交通機関はカオスとなっているよう。
株の暴落、大暴落。
今日から計画的停電が行われるとの報道で、近所のスーパーの前には数百人は並んでいるのではないかというおばちゃんの行列。ホームセンターに保冷剤を買いに行くと、カセットコンロやランタン、懐中電灯にクーラーボックスを抱えた人たちで、ここもカオス。
なんだかみっともないなあ〜と思う。物流が壊滅的な訳でもないんだし、待てば明日でも買えるでしょうと声を大にして言いたい。
ちょっと笑えたのが、ランタンが売り切れていたのだが、ランタンの変わりにと庭に指すソーラー電灯を箱買いしていた人々。こうなると正確な思考回路がなくなるものなのね。

家で仕事をしなければいけないのだが、刻一刻と原発の状況が変わり、ネットとテレビから目が離せない。
死者や行方不明者は自分の予想より5倍以上多く、入ってくるニュースや情報が暗すぎて、精神的にひどく疲れてしまった。病気のようにツイッターを見てるよ、と妻の一言。
ツイッター休憩をとることにした(笑)。

夜になって原発の状況はさらに緊迫する。

DAY5

深夜に原発状況はさらに悪化。昼前には普段の10倍以上の数値が観測。
株は2日間で20%くらい暴落し、ひどい有様だ。ちょっと滅入り、いろいろ心配になる。
仕事をしている場合ではないよなあと思いつつ、でもできるだけ平常に過ごそうとは思う。

街はようやく少しはまともに動き出した模様。マックも買えたし、スーパーは品薄だが待ち時間はあまりなし。パンや米は売り切れだが普通の生鮮食品は買える、いいじゃないか、これで。

しかし原発だけが気になる。状況はさらに悪くなり、世界が体験したことがないゾーンに入っている。スリーマイルは完全に越えたよう。すると世界第二の原発事故認定だ。
主に原発反対派の人々のツイートがすごい。東京から逃げろとの情報。
フランス大使館とドイツ大使館も首都圏の自国民に退避勧告を出した。

でもさ、海外とか旅行していて、思うんだけど、自国の大使館が渡航自粛勧告とか出している場合でも、行ってみると平気なこともあるし、住んでいる我々がもっとも情報を持っていて冷静に判断できるはずなのだ。

葉山在住で広島に逃げた友人から連絡があり、山と一緒で危険を感じたら早く逃げろと助言をされた。
うん、言いたいことは凄いわかる。そして、いったん頭を冷やしていろいろな情報を精査すると、ここにいても大丈夫だと思う。でもやはり生まれて1ヶ月経たない子どもだけが心配なのだよ。
彼の安全を、俺は保証できない。確実に大丈夫だと約束できない自分がいる。

そして原発はこの数日で絶対に好転しない。
朝起きたらチェルノブイリになっているかもしれない。
たとえ、チェルノブイリになってても正直大丈夫だと思うよ。多少は被爆したってこの距離ならあまり健康の被害なく生きていけるだろうと思う。
ただ、何かが起こってから行動を起こそうとしても、この大衆のパニックぶりを見ると、そのときが来たら遅いんだろうなと思う。

せっかく来ていいよと言ってくれている姫路の親戚がいるので、家族会議の結果、疎開することにした。
心配しすぎだと正直思う。だけど、「心配しすぎでバカだったよな〜」と後々笑えるのが一番いい状況なわけで、なんと思われようが安心できる、心安らかになる方向でやってみよう、と思った。

あの日からたった5日。
我々の生活や仕事、人生は地震でまったく違う方向へと動こうとしている。
でもそれが人生だし、それが自然だし、だれも責められるものではない。そんな不確かな世界に我々は住んでいて、だからこそ人生は儚く尊く美しい。