おっさんになる

ようやく気持ちもちょっと、状況もちょっと、落ち着いてきたので、地震以降はじめて地震のこと以外をエントリーしてみよう。

沢木耕太郎がおじさんというか中年になったと感じたのは生命保険に加入した瞬間だったという一文をすごくよく覚えていて。
今まで雪山用の遭難保険以外の保険とは無縁に生きてきたのですが、いわゆる生命保険に先日加入したのです。これでオレも正真正銘のおじさんなんだなあ、としみじみと思ってしまった。

でも意外と肩の荷はちょっとおりて、山や交通事故で死んでもひとまず子どもは生きていけるかと思ったらとても気楽になったのも事実としてあり。自分の年齢というか歴史というかが先の方に一段階進んだのかと、複雑に..... Read the rest

地震メモ Day 41 再び宮城へ

道路はえらく波打っていた。前回と違うのは、福島の道路が波打っていたこと。最近の「福島浜通り」「福島中通り」をまるで集団リンチのようにたたく地震はひどいもんね。その影響が東北道にも顕著に出ていた。

金曜日の夜に出て、土曜日の早朝に着く。またしてもたった二日の宮城県でのボランティア。あれからもう一ヶ月以上がたつのに、景色は相変わらずシュールだった。
流された巨大な鉄骨の橋、積み上がったがれきの山。傾いた信号に、くしゃっと丸められた自動車たち。

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3週間前に比べて、明らかに瓦礫は片付けられ、たくさんの支援物資が入り、燃料も行き届き人の行き来もたくさんあるけど、ここはそう簡単には変わらないのだなと思った。

丸二..... Read the rest

地震メモ 1 Month 情報過多な世の中で

あの日から今日でちょうど一ヶ月。
死者不明者は27,000人を越えた。もしかしたら死者は100名いってしまうのでは、と思っていたあの日の自分が懐かしい。不謹慎ながらも、ちょっとワクワクしながら気分が高揚して一人で4時間歩いて帰ってきたことも懐かしい。あまりにも壮絶な出来事だった。なんかいろいろなことが根本から変えられてしまって、決して過去には戻れない。
改めて思うのは、一寸先はわからないのだということ。だから昔からそう思って生きてきたつもりだけど、悔いのないように生きたいと改めて思う。

今日は余震がかなりあって、ひとりぼっちのオフィスはかなり孤独だった(みんな海外出張に行ってしまった)。基本びびりだ..... Read the rest

地震メモ Day 25

暖かくなったので計画停電はほとんど終わり、街は何事もなかったかのように普通に戻ろうとしている。お店の閉店時間も遅くなってきたし、止まっていたエスカレーターも動き始めた。駅構内の照明は多少暗いままだし、店舗の照明もまだ100%ではないけれど、また元に戻ってしまうのだろうか。

でも僕らはあの地震の前には決して戻れないと思う。毎日入ってくる原発のニュースにただただ絶望を感じる。ひどい、と頭を下げて落ち込んでいる状況が、毎日ますますひどくなる。耳を塞ぎたくなる、情報をシャットダウンしたくなるほどだ。

昨日、低レベル(といっても基準値の100倍)の水をジャバジャバと海へと流し始めた。海の生物たちに申し訳なく..... Read the rest

地震メモ Day22 南三陸町へ

ものすごい眠気にやられた今週だった。息子よ、寝てくれ・・・
あれから今日でちょうど3週間。日常と非日常(被災地)の頭の切り替えが上手くできない今日この頃。仕事にまったく集中できない。
少し前の話となってしまったけど、先週末ボランティアをしに行ってきた、南三陸町の様子をもう少しまとめてみる。

25日(金)友人のShinyaと夜中に三鷹を出発。那須高原で40分ほど並び給油をして、一路北へ。途中から雪景色に変わった。なんだかやたら車がバウンスするのだけれど、地震の影響で道路が歪んでしまっていることにあとで気がついた。
週末なので、自家用車が多い。と同時に、やたらと電柱を積んだ車を目にする。被災地はすでに復旧..... Read the rest