信越五岳 2012 ふりかえり

3回目の出場となる信越五岳トレイルランニングレースに出場して来た。これは信州と新潟の5つの山々を巡りながら110kmの距離を走る大会で今年で開催4回目。なぜか2回目以外は出場することになって、今回で3回目。

今年の自分の目標は明確で、去年自分がたてた計画、目標のタイムより一秒でも早く完走すること。なぜなら、去年は終盤で低体温症になり、肺もやられ、大幅にペースダウンしたからだ。自分の中でトレランのレースはいつもそうなのだけれど、誰かと競うというよりは自分との戦いになる。今回は特にそうで、去年の自分との戦いのようなもの。

あとは欲張りの誰にも言わない目標というのをいつも設定していて、今回のそれは、100位以内であり、16時間切りだった。ペーサーにだけは伝えたけれど、自分でも意識しすぎると良くないので、あくまで調子が良すぎたら、と思う程度。

練習についての記事をエントリーしたけど、月間200kmを意識して走れた昨年とは違い、今年はそこまで走りこんでもないし、カーボローディングもほどほどだし、レース前も至って普通の日々を過ごすことにした。アルコールもカフェイン断ちもしなかったし、前日にもビールもワインも飲んだ。なんか、気負わない心構えで普通に出てみたかったのだ。

レース当日。前日は約4時間半の睡眠で、3:15に起きる。起きてすぐおにぎり2つと、アンパン、オレンジジュースを飲んだ。最近捻挫癖があるので、ニューハレはXテープだけ足首に貼った。4:15に宿を出てスタート地点へ向かう。例年とは比べ物にならない暖かさ。まずはトイレに並び、出すもの出してスッキリ。スープだけもらって、友人とくっちゃべっているとあっという間にスタート15分前。

Start 5:30
序盤はウェストに水を300mlだけ、半袖短パンの軽装。
5:30。いつもどおりのスタートを迎える。テンションが上がりまくるところだが、今回の課題は2Aまでは抑えてゆっくり。
心拍数がわかる時計とバンドを付けていて、序盤の心拍数は140ジャストでいこうと思っていたのだけれど、なかなかそうはいかず、140代後半まで行ってしまうことも多かった。でも下りや平地の時は極力抑えて、周囲を見回しリラックス作戦。うでをぷらーんと下げて、前を見ずに横や空を見る。息を大きく吸って、こんにちはブナさ~んとか植物に語る(変態かっ)。すると心拍はすとーーーんと下がってくるので、これを繰り返してリラックスして進んだ。
アドレナリンが出ていない分、淡々とした退屈な走りで、先の長さに不安になる。でもこのまま、ずっと行けばいいんだよなとも冷静に思う。

1A→
そんなこんなで、抑えまくって走ったつもりが、1Aに着いたのは1:47。飛ばしてしまった去年より3分速い。あれ〜・・・・
水を補充し、バナナだけもらって登り始める。エイドにいたのは1分くらい。ここでも飛ばさない作戦。心拍アラームの上限は160にセットしておいたけど、全行程を通じてこれを上回ることはなかった。周りは気にせず、一定のスピードで淡々と登る。登りは楽勝だし、走らなくていいし、自分の登山時のペースよりも遅いから、基本的にはすごい楽。いきなり頑張って登っていく選手とかを多数見たけど、抜かれても気にしない。
30分ほどでピークに着く。空は晴れ渡り、遠くまで見渡せる大絶景!
下りは足に出来るだけ負荷をかけないように、焦らず急がず。でも前にいた人は全て抜く。オーバーペースかもなあと思いつつ、2Aへ。
(1A-3Aのエナジーはジェル3本・2Aエイドでメダリスト)

2A→
調子がいいので、4Aまでウェストで行く事にした。軽いってすごいな。
ボトルに水は満タンに、メダリストを500ml飲みきって、すぐ出発。エイドにいたのはきっと3分くらいかな。早く出発できた分、森に入ったらのんびりと進む。ちょっとだけ足に違和感があり、不安になったので、ペースを落としてゆっくり。序盤は登り基調なので、登りがきたら、淡々とマイペース作戦。平地は頑張って走る。その繰り返し。いつもながら美しい森。ペースが遅くてハアハア言わない分その美しさは去年よりも堪能できたかも。
途中2カ所くらいスズメバチポイントがあって、去年刺された身としては本当ヒヤヒヤ。あれはトラウマだね。
袴岳のピークには1時間くらいで到着し、ここからは下り。
シングルトラックは軽快に楽しんで、林道に出てからは心拍数は140固定と決めて完全固定ペース。長くて退屈だけど、まあまあ気分は良い。調子が良いかと聞かれれば、けっこう疲れてしまってどっちかはわからないんだけど、まあ、普通という感じ。もうすぐ40キロだし、疲れて当然だ、と。

3A→
アスファルトの道はすでにもわっと暑かった。エイドでコーラを飲んで水をかけて出発。エイドには5分くらいいたかも。関川沿いは暑いし走れないっていう印象だったんだけれど、時間が早かったのか、そこまで暑くもなく、全行程走ることができた。途中後ろから来た人と話しながらオーバーペース気味で走ったので、45分もかからず橋の袂に着く。私設エイドが素晴らしく、ここでもらった冷たい麦茶で生き返った。最高でした、ありがとう。
ここからの登りで例年と同じくちょっとバテる。こんなに長かったかなぁ、と、思う。登り切ったところで一息。後は森の中を30分程度なので、水は飲み切ることにして、ボランティアのおじさんと話しながら一息つく。
走り出しは調子が悪く、うまくスピードに乗れなかったのだけれど、抜かされた女の子にちょっとついていったら、復調して後半は気持よく走れた。後ろ姿はとても可愛い子だった。誰だろう。(やっぱり、変態?)
暑さも感じたし、筋肉の疲れというか火照りがわかったので、途中の沢で腰まで使って、体を冷やした。
ここからも本当に素晴らしい道。去年は足がつって、たくさん抜かれたのだけど、今年は終始一人きり。しかし、油断してたら足がつった。そこに救いの主、アミノバイタルが落ちていて、飲んだら治った(笑)
去年と全く同じ現象で、ここまでのペースも去年とほとんど変わらないので、なんだか不思議な感じだった。やっぱり、全ては後半に託されるわけだ。
(2A-4A まではジェル6本とZen、ウイダーインx2)

4A→
エイドには5分以上いたと思う。ちょっと長居し過ぎたかも。
サポーターにウイダーインとコーラをもらい、Zenを飲む。アミノ酸系を忘れて、突如アートスポーツのブースで購入したこのZen、効いているのかは正直不明。なぜか笹寿司は体が受け付けず、持参した大きなZIPロックにバナナとかを入れて歩き始める。コスモス畑のアスファルトの登りは終始歩いてモグモグ。
ここからの砂利道退屈登り林道が最も苦手な区間だし、去年ここで走りすぎてしまったのが後半のペースダウンの元かもと思い、今年はゆっくり。iPodをセットして、曲を聞きながら、曲に神経を集中させながら進む。音楽のチカラは偉大だ。
歩いていたら心拍が相当落ちてきて、なんか心がノリノリになってきたので、心拍数を上げ過ぎ過ぎないように、なだらかになったら走る。心拍が上がり過ぎたら歩く。下がり過ぎたら走るを繰り返す。
そうこうするうちに1時間くらいで登りは終わる。結果的には人は抜けど、誰にも抜かれなかったから悪くないペースだったのだろう。
道はシングルトラックになり、急な下りとなる。下りは大好きなのでテンションが上がる。ただ、自分が思っている以上に暑いみたいで、下りきったところの沢で水をがぶ飲みすることにした。体が欲してた。
ここからの急激な登りと、その後の緩やかな登りが今回一番辛かったかも。アイスくいてー、と思った。バテ気味。

上がりきったところのトイレで、水道から全身に水を浴びた。そしてかなり復活して、ここから乙見湖エイドまでは気持ちよく快走。
ついにペーサーの待つ66km地点へ到達。思わずテンションMAXで、叫びたくなる。ひゃっほい!
(ちなみに今回のペーサーはリアル弟)

多くの人が暑さにやられ、リタイヤもしているとのことだった。個人的には暑いといっても9月だし高原だからたかがしれてると思う。暑さにやられる人ほどランナーで、あまりアウトドアをやられないのかも。アウトドアをやっていて、フィールドに行ってれば、暑さへのマネージメントできそうなもんだけど、距離が距離だからなのかもしれない。
(3A-4A まではジェル3本とエイドのバナナとウイダーイン)

5A→
ここからはペーサーに荷物を持ってもらい、身軽作戦。利用できるものはなんでも利用して、楽しく走った方がいい。暗い夜道は怖いしね。エイドにあまり滞在しなかった分、登りでおにぎりを食べる。平らになったり、下りになったらおにぎりを持ったまま走った。それにしても、お願いしていたおにぎりがサラダ手巻きとは冗談キツいぜブラザー。オエーだよ。
去年はもう走れなかったこの区間は、なんてことない快適ランニング道だった。気持ちよい森の中。スピードは出ないけど、楽しい道。
さっきまで暑くて仕方なかったのに、歩きすぎたのか体が急激に冷えて来て、急な腹痛に襲われた。そしてトイレットペーパーは乙見湖に置いて来てしまったのであった・・・・
でもこの、腹痛はヤバいのではと道を外れて、森の中で裸になり、キジ打ち。水場を見つけてインド式洗浄を施した。旅人でよかった〜。

復活してからは林道ラン。
ようやく筋肉もほぐれて来て、登りきった後の下りと平地は快調に走れた。息をのむように美しい古池を通過し、6Aへ。
(5A-6A おにぎり二つ。ジェルは5A – 8A間で5つ)

6A→
調子が上がって来たので、6Aはほぼスキップ。ただ、舗装路を外れるところで再び腹痛、トイレに駆け込む。ふ〜・・・
戸隠神社の参道は長いなぁ、歩きたいなぁと思いながら走る。観光客がたくさんいて、応援はありがたかった。冷えて来たので7Aに着いてから長袖を着る。

7A→
最初の登りは歩いて、下りと平地は走った。今回は止まることはないし、まだまだ大丈夫。
舗装路に出て、残り2kmのトレイルでようやくライトをつけた。ここからもがんばって走る。そして前回低体温症で約1時間滞在することになった雪辱の8Aヘ。

8A
おそばを三杯。ベスパとウイダーをとり、ファイントラックに着替え出走。
エイドには10分ほどいたのだけれど、筋肉が完全に固まってしまって、出だしはロボットのようだった。ただ、登っている最中に調子が完全に上がって来て、ペーサーの弟を上回るペースに。初めてベスパを飲んだのだけれど、その効果なのかは不明。瑪瑙山のピークまではちょうど1時間くらい。あたりは完全な霧状態。「辛くなったら空を見上げて星を見ろって言われたのに、星が見えなーい」とは弟談。

ゲレンデを下り、微妙に長い登りを経てついに100km地点。ここからすぐに林道へと下る。ここはジワジワと苦しく地味に長い。瑪瑙山が中ボスでこっちがラスボスな気がする。
あっという間に下りきって最後の林道。16時間を切れないのはわかっていたけれど、21時台にはなんとかつけそうじゃないか、と思い、iPhoneのrunkeeperでペースを計測しながら進む。ペースは7.5/kmくらいだった。泣いても笑っても残りたったの45分、30分、20分だとぞー!とカウントダウンしながら、歩きたい気分を押さえて自分をプッシュして進む。残り2kmは猛ダッシュ!

ゴールでは嫁さん眠そうな息子が待っていてくれた。みんなで手をつないでゴール!
いつも羨ましかった、ゴールで待っていてくれる誰かと一緒のゴールイン。体はボロボロだけど、結果も経過も、自分についても全ては大満足だった。

時間は16:05.55と昨年より3時間以上記録を更新。8Aからは思ったより速く、あと5分で16時間切りだったとは、びっくり。下痢2回が痛いけど(笑)、こんな自分としては上出来もいいところ。順位も男子59位と予想よりだいぶ上位となった。

この後お風呂に入って、2時まで仲間のゴールを待って、我々の信越五岳は終わった。

第一に家族とペーサー(ペーサーも家族だけど)に感謝。そして仲間とサポーターにも感謝。応援してくれた人や、会場出会った友人、そして運営に携わるすべての人にありがとうと言いたい。そして、このような素敵な場を創りだした弘樹にも大感謝。

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まとめとその後

あまりにも出し切った感があったので、もうしばらくランのことは考えたくないし、どこも行きたくないし、と思っていたのは2日くらい。。。体が回復するにつれて、考えるのはどこでどうやったら更に改善していくのだろうか、ということ。人間って素敵だ、辛いことはすぐ忘れ、楽しい思い出だけが残る。
例えばそれは、来年出るつもりはないけど、仮に出たら、ということ。出ないけれど、仮に出たら目指すのは15時間切りだと思うし、できるんじゃないかなーと思う自分もいる。各パートで5分平均して縮める。3Aはスキップする。4A、5A、8Aでのエイドでの滞在をもう少し減らす。今回は後半が不安過ぎて、8Aまで、いや瑪瑙山まで抑えに抑えたけど、もうちょっと中盤からは抑えなくていい、とかとか。簡単なことではないだろうけど、出るなら目指すはそこな気はする(出ないけどw)
ま、噂ではこのコースは終わりかもしれないけれど。

終わった後の筋肉痛やら、痛みやらはすごかった。足の平に水ぶくれが2つ。小指に一つ。左親指死亡。2日間満足に立てず、屈めず。5日間うまく歩けず、足のむくみ取れず。ただ、5日後の朝に、スコーーーンと何かが抜けたように足のむくみが引いたのだった。人体の回復の軌跡を見ていくのは面白いね。そして精神的変化の側面も、客観視できれば楽しい。
苦しいことなく、終始楽しい時間だった。

最後にタイム

さてさて・・・

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信越五岳:果たして練習はどのように作用したのだろうか

信越五岳を練習から振り返る。
結果は16:05と去年より3時間以上早く日常世界に戻ってくることができた。友人の予想や個人的印象よりも良い結果が残せたみたいで、みんなに練習したんでしょうとかランニングが好きなんでしょ疑惑が持たれてしまったのだけれど、去年ほど走る練習はしていないんだよね。テスト前に「勉強なんて全然してない、って言ってたのに裏でしてたヤツ」みたいになるのも嫌だし、今後のためにも振り返ってみる。

今年ロードを走った回数と距離。
1月 2回 合計13km(平均6.5km/回)
5月 4回 合計22km(平均5.5km/回)
6月 8回 合計66km(平均8km/回)
7月 4回 合計41km(平均10km/回)
8月 6回 合計60km(平均10km/回)
9月 4回 合計32km(平均8km/回)

といった感じ。こうみるとやっぱりランナーじゃないし、つくづくロードを走るのは嫌いなんだな〜と思う。スノーボードシーズンの1月から4月は本当に走っていない・・・そして軒並み距離が短い・・・

でも今年は本当に山にたくさん行けたのだ。そして信越前にキタタンで一度負荷をピークにもって行けたのが良かったと思う。フィールドでは以下のようなことができた。

トレイルラン(フィールドでのラン、ロードも含む)
6月 裏高尾18km、キタタン練習28km、高尾山10km、神戸裏山8km
7月 キタタン出走44km
8月 霧ヶ峰10km、蓼科ロード10km、上高地14km、涸沢20km。
9月 中央アルプス50km、丹沢ナイトラン14km

こうやって積み重ねると意外と行っている・・・ヨメさんに感謝だな。でもこれって、いわゆるトレランが目的で出かけたのは4ヶ月でたったの4回。
あとは出張時の早朝だったり、仕事のイベントの合間だったり、家族とのお出かけの朝や夕方のちょっとした時間を使って走ったのを追加しただけ。山の近くに出かけたり、仕事で行けた時には、1時間でも2時間でもいいから時間をつくって走るように心がけた。

そして山歩きは以下

トレッキング
7月 ブータントレッキング
8月 南アルプスロングハイク3日間60km、立科山、霧ヶ峰、上高地。

ということで、アウトドア的なこととロードランを重ねてみると

1月
ロードラン2回 合計13km
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5月
ロードラン4回 合計22km
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6月
ロードラン8回 合計66km
トレラン裏高尾18km、キタタン練習28km、高尾山10km、神戸裏山8km
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7月
ロードラン4回 合計41km
キタタン44km、ブータントレッキング
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8月
ロードラン6回 合計60km
トレラン霧ヶ峰10km、蓼科ロード10km、上高地14km、涸沢20km
トレッキング 南アルプス、立科山、霧ヶ峰、上高地
—————–
9月
ロードラン4回 合計32km
トレラン中央アルプス50km、丹沢ナイトラン14km

となる。
速く走る力。長く走る力。という側面ではあまり効果的な練習ではなかったかもしれないけれど、長く動き続けるという意味で、南アルプスのトレッキングと中央アルプスのトレランは非常に効果的だった。
また、山での山行が単純に登る筋肉と下る筋肉を強化してくれ、今回筋肉的には問題が無かったのだと思う。ゴールで出し切った感はあったけど、まだ進むことも登ることもできたと思う。

南アルプスで10時間以上テントなどの重い荷物を担いで動きつづけたのも大きな自信となった。あの負荷であの標高で動き続けられたのだから、この程度の標高と空身なら、筋肉がヘタって動けなくなるなんてことは起こらないだろうと。(たとえ起こってもそれは一時的なことで回復するであろう、と。)去年の後遺症の肺がやられなければ、体は動き続けるだろう、という裏付けみたいのがあって、安心して体を動かすことができたのは非常によかった。

ということで、ロードをそこまで走らなくても、山でのトレイルランをしなくても、これくらいはいけるんだ、というのは大きな収穫。
やっぱり遊びが一番で、遊んでいればそれだけで体も強くなるっていうのがいい。
あとは、距離や量より質というか、意識して体を作れば、その二つは凌駕できるのではって思えるようになったのと、実践できたのは大きな収穫だったと思う。

それにしても、奥が深い。どこをどうしたら、改善してくのか。タイムが上がるのか。どこにロスがあって、どこはなくて精一杯だったか。そうやって大会を振り返るのも楽しいし、もう出るのはやめようと誓っているのに、あれっ・・・という感じはある。
自分の体のことは昔より今のほうが理解できているのも年の功。また、どのようにダメージを受けて、どのように回復していくのかの過程をこの目で実際にみて、肌で感じていくのも興味深いものだ。

さて・・・

アクティビティ一覧はこちら

信越五岳110kmへのカウントダウン

今週末に開催される、山の中を110km走るトレイルランレースまであともう少し。
第一回大会は、友人に無理やり誘われ、イヤイヤ出て。第二回はスキップして。第三回は、これまた付き合いで仕方なく出て。そして今回は初めて自分の意志で出る(笑)。考えてみると、これは画期的かも。(過去2回は一応完走)

去年は気合を入れすぎて、残り20kmくらいで潰れて、喘息になっちゃって、その後肺年齢がしばらく67 歳という散々な結末だったのだけれど。今年は特に気合も入れていないし、そこまで走りこんでもいない。ただ、質で言えば悪くないトレーニングというか、アウトドアに行けていたので、体のコンディションは去年よりいいと思う。ランナーじゃないので、今年は15km以上ロードを走っていないのが、気がかりではあるのだけれど。

でも家族が応援に来てくれそうだし。弟がペーサーをしてくれることになったし。なんにせよ、楽しむことをモットーに、でもベストを出しきれてスッキリと今年で終了、と出来ればいいなと思うのだ。さあ、がんばろー。

Day 4 東から西への移動

旅の4日め、ブータン3日は東から西へ引き返す旅となる。
ブータンは東西に長い国で、それでも九州と同じ大きさしかないので、全体の距離は推して知るべしなわけだが、国際空港と首都はかなり西の方にある。なので、西からどこまで東に行って引き返すか、というのが旅行の日数や目的によって変わってくるのだが、この行程で行けるのは民泊したポブジカが限界ということだった。

東に行けば東に行くほど、古いブータンらしさが残っているらしい。それは日本も一緒だけれど首都や町になると、世界中似通ってくるのと一緒で、そこから離れると昔ながらの良い所が残っているらしいのだ。
今回は残念ながら、1/3ほど東に来てその最東端であるポブジカからは来た道を引き返した。再び道は山の中。ただ、相変わらず景色は絶景。中間地点のワンデュまで3時間、その先首都ティンプーまで3時間。

その首都ティンプー。なんと今日は「No Car Day」だった。街の外の駐車場に車を止めて、そこからはバスやタクシーで街に入らなければならない。王様や首相もちゃんとじっとしていて、首相はマウンテンバイクで通勤しているとのこと。タクシー儲かるねと言ったら、タクシーも今週は奇数ナンバー、来週は偶数ナンバーというように決められていたりもするらしい。もちろん、環境に配慮しての決め事だと思うけど、こういうことがサクッとある意味トップダウン的に決まってしまうのがブータンのすごいところなわけで。

どこまで合っているか、わからないけど、この旅行中に聞いたブータンならでは的な面白い話を簡単にまとめてみよう。

・輪廻転生。ブータン人は輪廻転生を信じまくっているから、今を生きる。さきのことはあまり考えないで、ラテン人のような感じらしい。貯金もしないし、好きなモノをローンで買っちゃう。今が大事。早く死んだら、それだけ早く来世に行けちゃう、というポジティブシンキングもいるみたい。だからローンでみんな家買っちゃって、こりゃヤバイと今年の春からローン自体が一斉禁止・・・

・No アルコールデイ
火曜日はNoアルコールデイで居酒屋やバーみたいなお店は軒並み閉店。なんで、と聞くと「なんでだろうね、決まったから」とガイドさん・・・

・タバコ禁止
タバコは健康に悪いということで、数年前に一斉に禁止。インドから買ってくる人もいるらしいけど、とにかく禁止。

・信号
ブータンには信号がない。車は増えてきたけど、信号はない。首都に一つだけあったのだけれど、先代の王様がブータンには似合わないんじゃないかな、とポソリと言ったら撤去されたらしい。ということでブータンには信号がない。

・野菜
ブータンでは国の産業の80%が農業。なのに、インドから安い野菜がたくさん入ってきている。聞くと、ブータン人は怠け者だからねえ〜とのこと。ただ、これはダメでしょ、と政府からお達しが出て国内野菜自給率100%条例的なものが先週決まったらしい。

・インド人
チベットからダライ・ラマが亡命するときは、実際にブータンを通ったのだという。それほどチベットは近いし、国内に帰化したチベット難民も沢山。仏教的な繋がりも強い。なので北の中国は警戒し、南のインドと仲良くしている。でも、なぜかブータンの人々はインド人を見下している感じがあるらしい。肉体労働はインド人の仕事と思っているらしい。首都ティンプーの失業率は20%以上。建設ラッシュのため肉体仕事はたくさんあるのだが、インド人の仕事と決めつけて、その職にはつこうとしないらしい。
実際に建築現場の脇を通った時に、ガイドさんが「あれみんなインド人」と言うので「なんで?」と聞くと「インド人はねー、ああいうの作るのうまいの。だかだよ。あとやっすいの」という答えが返ってきた・・・

・誇り高き人々
ブータン人はすごく誇りが高い、というのは本でも読んだし聞いた。
そして英語を話せる我がガイドさんが白人と話しているときに「オレはとてもうまく英語を話せるわけだけど・・・・」と話していたのを聞いた。謙虚な日本人にはなかなか言えないことだ・・・

と、こんな面白いブータンなのです。

民家に泊まる

ブータンで民家に泊めてもらうといっても、かつてバックパッキングをしていた時のように、偶然の出会いとかではなく、ガイドさんにアレンジしてもらっただけだ。とはいっても、日常的に民泊を受け入れている比較的キレイで慣れているところか、あまり受け入れていない、より素朴で現実に近いところかと聞かれ、後者をリクエストした。

家はポブジカのガンテが見える、谷の中にあり、ブータンならではの巨大な家だった。
生業は農業と酪農。前述のジャガイモを育てていて、牛は主にミルク用とのこと。牛は一階で飼っていて、二階が物置、三階が居住スペース。これだと家畜が一階にいるから冬でも暖かいのだとか。ただ、衛生的には良くないらしく、近年この建築方法は禁止になったとか。

失礼ながら泊めて頂いた方のお名前をわすれてしまったのだが、角刈りの父さんとやわらかい感じの母さんの二人暮らしの家だった。娘が二人いて、どちらも首都ティンプーの学校に行ってしまっているのだけれど、ちょうど夏休みで20歳の長女が戻ってきていた。

入るとまず、一番立派な仏間に通されて、そこにはガイドのタシさんと僕の布団がすでにひかれていた。非常に綺麗な布団だった。

居間兼キッチンに通され、バター茶とお米で作ったお菓子が出される。バター茶はしょっぱくて昔から苦手だし、お米のお菓子もバターが絡めてあって、あまり得意ではなかった。でも失礼ないようにと飲む。家畜を飼っているからだと思うけど、終始ハエがものすごく、食べ物にダイブしてくる。ハエ取り紙でもあったらすごいことになるだろうなあ、と思ったのだけれど、ブータン人は基本的に敬虔な仏教徒で、輪廻転生を心底信じているので、めったなことでは折衝をしないらしい。なので、そのような何かを殺してしまうような、道具というかモノというかはこの国では売れないらしい。

この家では、お父さんが料理をして、お母さんと娘が牛の世話をしていた。力仕事がお母さんの仕事の感じ。なんとなく逆じゃないの、普通・・・
夕方になると、お母さんが搾りたての牛乳を採ってきてくれて飲ませてくれた。とても美味しかった。驚いたのは都会に出ている、いわゆるワカモノである娘さんが、文句の一つも言わずに足を泥だらけにして牛の世話を手伝っていたこと。日本ではなんだか考えられない。こんな田舎からと買いに行ったら「うちの家なんて田舎でダサくってさ〜、手伝いなんてしてられないわ」と日本のお年ごろの娘さんなら言おうものなのに、20歳でもまったくスれてもいないし。
なんで帰ってきてるの?と聞くと、「え、なんで?だって休みだから両親に会いたいし」ととてもピュアな答えが帰ってきた。なんか、いいな、ブータン。

暗くなると、ご飯の時間。ブータンでは比較的夜ご飯が遅いと聞いた。といっても19:00くらいなんだけれど、確かに田舎としては遅いかもね。

出していただいたのは、このようなご飯。
いつもながらの停電らしく、ソーラーのランタンみたいな電気しか無かったので、写真は暗い。

かなりの量のご飯(黒米でも混じっているのか、ピンク色)、国民食のチーズと唐辛子を混ぜたエマダツィ、それと野菜がオイルで炒められている物。基本的には唐辛子とか辛いものはかなり好きなのだけれど、お腹が強くない。この時も美味しかったのでたくさん食べてしまったのだけど、翌朝ちょっぴり後悔することに・・・

ご飯のあとは、蒸留酒をいただいた。でも少しでも目を離すとお酒にハエがダイブして、溺死。なので途中からコップを手のひらで塞ぐはめとなった。21:00には就寝。

いつものごとく、早く目がさめたので雨戸を空けて外を眺めてみる。雲が下まで降りてきていて、幻想的な眺めだった。
ただ、その光景をゆっくりと眺めることは出来ず、トイレに篭ること3回・・・

ちょっとだけ散歩に行った。

牛さんたちがのどかに草を食べていて、霧の中の家々が美しい。煙が上がっている家は朝御飯でも調理しているのであろう。外で顔を洗ったり、逃げ出した牛を少年が届けにきたりと、早くも時間は動いていた。家に戻るとこれまたお母さんが牛の世話をしていた。朝食は今日もお父さんの仕事らしい。

朝食は干し肉と唐辛子の炒め物。そして唐辛子だけの炒め物だった。唐辛子オンリーの炒め物はさすがに食べれなかった。

窓から見えた家の人に、ふと「幸せですか?」とココロの中で聞いている自分がいた。ここブータンはGNH(Gross National Happiness, 国民総幸福量)というGDPに変わる指標を持っていて、それはエコや持続可能系の団体からは長く知られた事実だったし、最近ことさら注目されていたし、昔ブータンに行った人がみんな本当に幸せそうだったと口々に言っていたからだ。
でも、そんな質問まったくの無意味だとすぐに思い直した。幸せなんてものは、あまりにも主観的な感情だし、外から見てもわかるものでは全くない。そして、こんな外部の者が測れるものでもなければ、図々しく聞くことでもない。

たった一日民家に泊まっただけでは、その国の暮らしなんてまったく分らない。
たった数日旅しただけじゃ、さらにその国のことなんてまったく分らない。でも泊まらないよりは泊まれたほうがよいし、来ないよりは来たほうがよい。

とても良い体験だったなと自分に頷き、再びティンプーへと向かう車へと乗り込んだ。

山夏 / マウンテンサマー

先週末は中央アルプスに行ってきた。5週連続の山での週末。そうなのだ、今年は異例のごとく夏山に行けている。何度目の青春なんだろ、これ、というように。

1週目:
長野の霧ヶ峰へ、家族と。
車進入禁止の霧ヶ峰キャンプ場はお風呂がないのがデメリットだったけれど、フリーサイトは気持よく、すこぶる涼しく快適だった。

一応日本百名山の霧ヶ峰は、駐車場からたったの40分で登ることができて、かなり身近な山。帰りはぐるっと木道を回りこんで、美しい山の合間を歩く。
このあたりで有名な八島湿原にも足を運んだが、風光明媚で非常に良い。こんなお気軽に、こんないい景色が味わえるところがあったのねと、新発見だった。昔放牧でもやっていたのか、全体的にニュージーランド的景色だった。

2週目:
久しぶりにチャレンジがしたかった。衣食住を積んだ装備を持って、どれだけ進めるのだろうか、と。前々から行きたかったルート、南アルプスの南部へ行くことにした。それも通常なら6、7日かけるようなところを2泊3日で。

広河原から北岳へ。間ノ岳を通り塩見岳手前の旧キャンプ場でビバーク。
翌日は3時に起きて、塩見岳後に三伏峠、荒川岳は悪沢岳をスキップして赤石避難小屋まで。
エアリア地図の一日目のコースタイムは15時間15分で二日目は18時間5分だった。

久しぶりの単独テント泊はとても孤独で怖かった。でもたまには本当の一人にならなくてはとシミジミと思う。

南アルプスは出会う人があまりいなくて、すいていてとても良い。ただ、稜線の景色は森林限界が南だけあって結構高く、森の中が多いので北アルプスほどダイナミック感はない。一番気持ちが良かったのは荒川岳から赤石岳の間かも。
夕方の赤石岳への登りで標高3,000mの稜線で雷にやられ、カーボンポールがバチバチと光り、久しぶりに生命の危機を感じたのも印象深い。やはり、無理をすると、リスクは増える。

三日目は走って下山して、赤石岳から椹島へはたったの2時間。椹島でシャワーを浴びて、バスで畑薙ダムへ。そこからは椹島で出会った優しい青年のご好意で静岡の興津まで載せてもらう。南部アルプスは本当にアクセスが悪い。

いつか聖岳と光岳も登らなければ。

3週目:
これも家族イベントで、3家族で白樺湖エリアへ。静寂の女神湖へ泊まり、翌日は僕の提案で立科山に登ることに。子連れだったのでなかなか早くは進めず、稜線の山小屋に出たところで、まさかの豪雨。今回は縁がなかったかと下山する。

4週目:
仕事も兼ねて、2泊3日で上高地へ。泊まりは徳沢のキャンプ場だったけれど、涸沢まで走って上がった。徳沢から1時間半だった。涸沢は、やはり特別な場所だなーとしみじみと感じる。こんなロケーションはそうそうないだろう、と。

5週目:
初の中央アルプスへ、信越五岳トレイルランニングレースのトレーニングを兼ねて真也とカッセと3人で。山小屋泊なのでバックパックは20L前後。ミニマルに絞ったつもりだけれど、外から見てもパンパン。

初日は伊那リゾートスキー場からスタートして2,000mアップで木曽駒ヶ岳へ。時間が余ったので前岳をピストン。雨が降ってきたので宝剣山荘に早々と入りフィニッシュ。

二日目は早朝からすごい風とガス。宝剣岳へは険しい上り。それが終わってもアップダウンの連続でなかなか厳しい。中央アルプスは予想外に険しい山塊だなという印象。ただ、山塊自体はとてもコンパクトで八ヶ岳みたいだとも思った。

空木岳を超え、越百山から先は背丈以上ある笹の中を、藪漕ぎすることになった。トレイルランに来たのにちっとも走れないでやがる。

奥念丈まで2時間の藪漕ぎが続き、その後も1時間弱、念丈まで続く。露出していた肌はミミズバレ状態。この日の行程はコースタイムで23時間あったのだけれど、思ったほど走れず時間も縮められずで、ゴールしたのは14時間半後の19:30過ぎ。

念丈からの下りはようやく気持よく走れたけど、すぐに夜になった。9時に給水した1.5Lで最後まで走ることになり、喉はカラカラ。でもいいトレーニングにはなった。

そんなこんなな、マウンテンサマー。
まだまだ山行は続くけど、とにかくブータンも行けて、山にも沢山行けてハッピーサマーなのであった。