あの時の東北へ -2-

夜は郡山に泊まった。
朝は一路北へ。

仙台で、ちょっと観光。建築好きの嫁さんのリクエストにより伊東豊雄設計の仙台メディアテークを訪れた。外観は特に際立った特徴は感じられなかったけれど、内部の細部というか、細かいところがかなりかっこ良い建物だった。

東北に行きたいとずっと思っていた。
被災地を失礼ながら訪問して、復興の過程をしっかりと見ておきたい。子どもを産んだばかりで行けなかった嫁さんにも見てもらいたいとも思った。何より、あまりにもあの地を感じられない日常生活を送る中で、北の大地も忘れていないんだよ、と自分自身に言い聞かせたかったのだと思う。何かしたい、とは思っているのだけれど、その何かという具体的行動がわからなくて、やっぱり行動派の自分としては行くのがいいと思った。でも、ボランティアもせずに、被災地だけを巡るのはどうなんだろうとも思った。目的はいったいなんなんだろうか。何をしにいったらいいんだろうか、と。
だったら東北を観光で訪れる、というのがいいのではないか。それが今回最もしっくりとくる目的なのではないだろうかと思ったのであった。

仙台の後は日本三景、松島へ。ここも津波でかなりの被害を受けたと聞いていたけれど、幸いにも観光客はかなり戻っているようだった。橋はまだ壊れていたり、「がんばろう東北」「がんばろう松島」という表示も見かけたけれど、比較的元気な姿を見ることができたように思う。

そして今日の宿泊地、石巻へ。ムスコがお昼寝してしまったので、一人で北上川へと向かった。
ボランティアで訪れた地。
徹夜で運転して辿り着いた道の駅。
道中波打って崩れていた道路。ボランティアで綺麗にした民家や学校。崩壊した橋や材木や船が散乱していた田んぼ。それらを思い出しながら、夕暮れの北上川を海へと向かった。

あの時の田んぼ

今日の田んぼ

川沿いの道路は過剰なほど、立派に再生されていた。田んぼはすっかり綺麗になっていた。そして何より感動したのはあのとき崩壊していた大きな橋が復活していたこと。夕焼けの綺麗さと相まって、なんだか感慨深い景色だった。

車を降りて、大川小学校へと行った。
被災地観光というようなものがあると聞いていたけれど、そのようなタクシーが数台。視察系の人がパラパラ。一年以上前に訪れた時は、スクラップされた車や、建物の基礎が残っていたけど、すべては片付けられ、クリアにされ、小学校が残るのみだった。

あの時の電柱

今日

あの時の小学校付近

今日

なくなったたくさんの子どもたち。そして残された家族。子どもを持った今だから、かもしれないけれど、何度想像しても胸がつまるほど痛く悲しい。当事者でもなんでもなく、ただの傍観者で赤の他人だけれど、涙が頬を伝う。いろいろ想うことがあり、そしてその想いを胸に秘めながら、道の駅で暖かい缶コーヒーを買って、自分の子どもの元へと戻った。

あの時の東北へ -1-

11月の終わりに、東北へと向かった。その時のことを書こう書こうと思いつつ、最近のブログ離れから筆が全く進まない。もちろん、行った後にどう心を整理しよう、と思っていることもあって書かなかったというのもある。でも自分への教訓としては、常に文章は書いていくべきだと思う。文を書いて、深く考えていくべきなのだと思う。なのでこれを機にもう少しちゃんと更新しようと思う、自身の日記的なブログとして。

初日は嫁さんのひいおばあさんが住む福島県いわき市へと向かった。常磐道はもちろん途中から通行止めとなる。これは当然原発がその先にあるからだ。1年以上前に訪れた時よりも、ずいぶんと道路はフラットになったけれども、それでも福島が近づくと、波打つ箇所もある。余震も原発も、ここでは収束していないのだと、本当に思う。

おばあさんと会った後、おじさんが被災した海岸線をじっくりと案内してくれた。
南三陸や気仙沼の規模とは全く異なると思うけれども、ここでも家が丸々流されてしまった地区がいくつかある。そしてその場所にはコンクリートの断面が残るだけで、今も復元の兆しはない。津波や地震の被害よりも、やはり原発のインパクトの方が、今も続いているという意味では根強いのではないかと思った。

たくさんの仮設住宅。それらは主に原発により家を奪われた人たち。保証金がある程度でて、日中働かなくて良い人も多いみたいなのだけれども、元からいわきに住んでいる人の中には「あの人たち働かないでも生きていける」的な批判的な考えを持っている人もいると思う。だからそこに意識の壁が生まれつつあるわけで。同じ福島なのに、悲しいなと思う。その仮設にいる人たちだって、一番いいのは仮設にいないことに違いないから。

海にはサーファーがいた。それがどの程度「戻っている」のか、普段より少ないのか多いのかわからないけれど、でもとにかくそこにはサーファーがいた。観光魚市場はかなりの活気だった。
ある意味、ここには関東に暮らす自分との意識のギャップがあった。放射能、大丈夫なんだろうか、と。

現実を見た上での、影響がないという判断なのか。現実を直視するのを止めたのか。思考しなくなったのか。あきらめたのか。それとも共存していこうとしているのか。ただ、すべての海産物の影響はゼロとは言えない事実やデータはあるわけで。遠くはなれた僕にはきっとわからないことだろうし、口を挟むことではないのかもしれない。

ガイガーカウンターを持参して訪れた一回目。親に止められながらも、ムスコをばあさんに見せにきた2回目。そして今回の3回目のいわき。自分のマインドも、周囲を取り巻く環境も毎回異なるけれども、毎回来て良かったなと心から思う。