夢の国に立つ

なんだかインドは短期間でいろいろあったなぁ、とようやくブータン行きの飛行機の搭乗口へと向かう。今回荷物は機内持ち込みのシンプルな装備なのだけれど、ここで何度荷物を通しても引っかかる。

「お、お前のバッグの中に細長いソードみたいのが入っているだろー!」とインド人。ん・・・あぁ、それはバックパックの骨組みだよ〜。中身全部取り出して分解。無事通るが、これはインドの空港で3回ともやらされた。やれやれ、インドってやつは・・・

ブータン行きの飛行機は国営のDuruk Airのプロペラ機。思ったより小さくてなんと48人乗り。昨日がほぼ徹夜だったので速攻寝落ち。それでも景色を見なくては〜という義務感から後半起きて窓の外を眺めた。残念ながら雨期なのでヒマラヤは雲の中。ブータンで唯一国際空港があるというパロへ山を縫うように降りていく。落ちるかと思うほど、山が近い。
早速すごい景色だった。深い緑の山々に家が点在している。

インドのラダックに行った時は氷河の上を通ったし高い峰々ばっかりだったけど、こちらはやや里山的な風景だった。ヒヤヒヤしながら無事ブータンに到着。ついに夢の国に着いたのだ。

ブータンに乗り入れている飛行機はこのDuruk Airだけなのでキャパ的にかなり限りがある。なんてたって、この48人乗りのATR 42を1機と、114人乗りのAir Bus A320を2機しか保有していないのだ。奇遇にもこの Duruk Airに10年以上前に乗ったことがある。あれは自転車で旅している時でバングラデシュからミャンマーへの陸路入国ができなかったので、そこを飛び越すためにバングラの首都ダッカからタイのバンコクまで飛んだのだった。当時はそれが一番安い飛行機だった。

なぜ、ブータンが夢の国なのか。それには理由がある。
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この国が80何カ国目にあたるのだれど、かねてからずっと来たかった国なのだ。旅人の評判もピカイチ、ロケーションも最高、そして文化や歴史も豊富。見所もいくらでもある。でも、バックパッカーには常に夢の国だった。
昔インドを旅しているとき、日々の予算は10ドルだった。それで十分だし余ったくらいだ。300ドルで一ヶ月、そんな旅行スタイルと続けている旅人は多かったと思う。それに比べてブータンの旅行はなんと一日200ドルかかる。しかも値引きなしだ。料金などシステムについては今度詳しく書きたいと思うけれど、なぜかというと旅行者は一律で政府が決めた料金を旅行日数分払わなければいけず、これが200ドルというわけ。なのでバックパッカー的観点から言うと、二日でインド旅行の1ヶ月分以上の料金がかかってしまうというわけなのだ。だからブータンという国はバックパッカーにとって行きたくても行くことができない夢の国であったのだ。

まれにブータンに行ったことのある人に旅行中に会うことがあったのだが、とにかく誰もが絶賛した。人々はまったく旅行者ずれしておらず、西欧化の波にも揉まれていない、そして誰もが美しい民族衣装を着ている。それこそ夢のような国だと。
友人に招いてもらう、ブータン人をインドで見つける、などの裏技的手段も存在していたけれど、今日でもそのような話がバックパッカーの中であるのかは知らない。
さらには、2012年からその200ドルは50ドルも値上げし、バックパッカーにはより高嶺の花の国となってしまった。でもよくよく考えると、僕はもうバックパッカーでもないし、今のところ旅行できる日数も限られている。あれから10年以上が経ちいい大人になってしまった。人生の時間はとても短い。行きたいところに行けるうちに行こうと思い、この夢の国に降り立ったのだった。
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飛行機からは歩いておりた。空港はブータン調な建物で、旅人の心をくすぐるすべを心得ている。空港の銀行でドルからブータンのヌルタムというお金に両替する。レートはあまり良くはないが、大した額じゃないしいいとしよう。

さっそくガイドのタシさんが出迎えてくれた。温かい優しい人の雰囲気。奥さんが日本の方なので流暢に日本語を話す。ドライバーもタシさんという名前で、こちらはイケメンの若者だった。そう、さすが200ドル以上出しているだけあって、今回はドライバーさんとガイドさんが常に僕ひとりのためにがっちりとついている豪華極まりない旅なのだ。

車は空港のあるパロから、まずはティンプーを目指す。日曜日のマーケットを見ようとのこと。丘の上には白い旗が沢山並んでいるのが見えた。ガイドのタシさん曰く、あれは死者を弔うものでダルシンと呼ばれ、親戚がなくなると108本作って山に立てるのだという。

パロ川に沿って南に下り、伝統的な橋に寄ったり、降りて写真を撮ったり。

1時間ほどでパロの首都、ティンプーに着いた。ブータンは現在住宅建設ラッシュ。ティンプーの人口も10年で2倍になっていて、若者の失業者も沢山。お気楽な人々なので、後先考えずローンをしてしまう人々が多くて、破産してしまう人も沢山、という「幸せの国」の印象からは程遠い問題を抱えている。そこでブータン政府のとった政策はというと、まずは「みんなローン禁止」だという。こういう日本ではありえない面白い話をこの旅の道中にたくさん聞くことになるのだけど、それを話す時のガイドのタシさんのケロっとした口調が面白い。「んー、ローンできなくなっちゃったんだよね。でも仕方ないよ、みんな借りすぎてたからね」という感じでなんだか軽い(笑)。

ティンプーの街は首都といってもとても小さい。入口はまさしく住宅建設ラッシュで、あまり美しくはない。首都もモバイルショップや土産物屋さんやいろいろな俗っぽいお店であふれていて、通りを歩く人々もジーンズにTシャツといったような近代的な服装の人々が多く(もはや当然ではあるけれど)、ここ自体がぐっとくる街ではないと思う。

昼食を食べて、コンクリートでできた市場へと行った。2階は有機野菜オンリーで1階はそうじゃない野菜とタシさん。2階で買い物をしているのはブータン人で1階はインド人が多いらしい。そう、ブータンとインドの結びつきは半端ないのだ(後で詳しく書ければと思う)。

硬いチーズや、変わった形のベーコン、干物など面白いものも並んでいる。そして沢山の唐辛子。あとで十二分に思い知ることになるが、ここブータンで唐辛子は野菜なのだ。

少し慌ただしいけど、まずはこれにて首都を離れて東へと進むことに。今日はここから2時間先のプナカまで行くのだ。2時間って言ったって、距離はたいしてないのだけれど、ほぼ100%山国で、常に道がくねくねしているから、思っているほど時間がかかるのだ。

あれがブータンで一番古いシムトカゾン(1629年建設)だよ、ここが有機農業の試験場、この辺はチベットから亡命してきて帰化した人々が暮らす地域、などと要所要所で実はとても興味深くてすごいことである説明をフムフムと受けてながら、道はどんどんと森の奥深くに入って高度を上げていく。意外とすぐに3,150mの峠ドチュ・ラに着く。晴れていたら7,000m級の山々も一望できるとのことだが、もちろん全ては雲の中。峠には沢山のルンタが結び付けられていて、さながらチベットやネパールのよう。

そこから一旦は下るのだけれど、景色はどこまでも、ため息が出続けるほど素晴らしく、美しかった。こちらサイドには道があるけど、向こうには車道がない。でも家はポツリポツリとあって、段々畑が続いている。どうやってあっちに行くのだろうとか考えちゃうけれど、車主体で成り立っている社会じゃないから良いのかもしれない。そこで生活が完結していれば。

それにしても美しい森だった。どこまでも瑞々しく、生命の塊のようだった。
ブータンは九州ほどの大きさで、人口は70万人。そして森林率は68%。道路は東西に一本。そこから北と南にちょこちょこと派生しているだけで、日本で例えるとほとんどないも一緒だ。ものすごい原生林率なんだろうな、人間が到達していない場所、ありのままの自然が残っている場所がきっと五万とあるのだろう。

徐々に標高を下げて、プナカに到着。濃い一日だったなと思いながら、ブータン産のビールを喉に流しこむと倒れるようにベッドに横になった。サーーーッと森に降る雨の音が心地よかった。

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