トップページ

 

 
 

01.Warm heart of Africa
02.天空の孤島、ムランジェ山
03.貰ったお札は1700枚
04.環境問題
05.沈没天国、ハラレ
06.無人のトレッカーパラダイス
07.ブラックアフリカ一、壮大な遺跡?
08.ビクトリアフォールズ
09.カラハリ砂漠の宝石、オカバンゴ
10.天空の王国
11.アフリカ民族最終回、ヒンバ族
12.アフリカ病−第二ラウンド
13.Cape of Good Hope

 
 
 
 

5. South Africa
mail_10 / 19th,JUL,2003 @ Cape Town : South Africa
天空の王国

 

天空の王国と自らが名乗るレソトという小国で馬に乗ってトレッキングをした。僕としては、こんな標高2000mくらいの国で、天空なんていわれると「どこがじゃ!」と異議を唱えたくなってしまうのだが、まあ、いい国だった。

南アフリカのプレトリアから、レンタカーを借りてクルーガー国立公園へ。ここはある意味、今まで行ったどの国立公園よりも感動が少なかった。世界でも有名な、この広大な国立公園はもちろんサファリをするための場所なのだが、舗装路が公園内をくまなく走り、各施設は巨大で立派、そして規制が細かく(窓は開けてはいけないとか、道から出てはいけないとか、速度は何キロで、とか)まったくもって大自然の中に来ているという気がしないのだ。そして南アフリカに外国人料金はない、と思っていた僕は、ここで平手打ちをくらった。現地人は30R、外国人は120R(2000円)だという。おいおい、ちょっとまってよ、ガイドブックには30Rって書いてあるよ、というと。
「それは一ヶ月前までの話、6月から値上げされました」と黒人のレンジャーは当然のように言った。オイオイ、値上げしましたって、なんで急に4倍にあがるの?これには本当に納得がいかない、なぜなら南アフリカの物価はヨーロッパ並みに高いのだ、先進国レベルの国が、なんで外国人料金を作らねばいけないのよ、それも4倍。
そんなわけで、さらにクルーガーの印象が下がってしまったってのがあった。

クルーガーからはブライデリバーキャニオンという渓谷にいき、こりゃまた小国、スワジランドを経て、ここレソトにいたるのだ。
レソトに入国して2日目、早速目的のホーストレッキングへ出かける。ポニートレッキングと前から聞いていたが、ポニーじゃなくて大きい馬がきたのには嬉しかった。ガイドと荷物用の馬と、4頭で出発。
以前、アメリカの国立公園で、ホーストレッキングに行ったとき、馬の経験はありますか?と聞かれ、ないですと答えると、自分だけロバにさせられた屈辱的な記憶がある。しかし、もうあの時の自分じゃないもんね。モンゴルで馬に乗れる人ですよ、僕は、キミー。
なーんて、思いながら、得意そうに馬を乗りこなす。

しかし、自称「モンゴルの馬乗り」の僕もびっくりするほどの急斜面を駆け下りるのだった。レソトの川は、どれも大地を何十メートルも削ってできている。ちょっと遠くへ行こうものなら、そのたくさんある川を越えなければいけない。もちろん橋はない。そのえぐれた斜面を川に向かって降りていくしかないのだ。これが瓦礫の中の急勾配の道で、結構馬が滑るんだ。「自分の馬を信じるんだ、信じるしかないんだ!」と思っても、これがなかなかこわい・・・

山の景色よりは、素朴な村々を通るのが、このトレッキングの醍醐味だった。レソトの人々はバショトと呼ばれ、みな一様に毛布を体にまとっている。これは観光用にやっているのでもなんでもなく、今でも誰もが普通に着ている民族衣装なのだ。まあ、今時分、その毛布は中国製だったりもすると思うが、この衣装が山の景色とマッチして実に美しいのだ。今は冬で毛布を纏っているが、夏はどんな格好をしているのか不明。子供も毛布をかぶり、こりゃまたなぜか、みんな長靴を履いていた。
観光客がよく来るのだろう、村を通ると子供達に必ず「Give me something」といわれた。その掛け声もなんだかかわいく感じてしまうのは馬に乗っている余裕からくるのだろうか。夜は素朴な村に泊まった。子供がドアをノックしては「サムシング、サムシン」と囁いた。

朝日に照らされた家々からは煙が立ち昇る。これぞまさしく朝!って感じだ。子供は羊を放しに行き、女は主食であるとうもろこしの実をせっせと芯から切り離す。鶏は真っ暗なうちからケッコケッココとうるさく、馬は草を食べるのに必死だ。
突然だけど、教育って大切だって常々思う。これはアフリカの国々で執拗に感じた。この村の子供はもちろん学校になんて行っていない。でも、家の手伝いをして、生活の知恵を身につけて、今後も充分生きていくことはできる。学校に行く必要性が100%あるとは思えない。これも文化だから。
僕はひねくれているから、学校も必要不可欠だとは思えなくなってきてしまった今日この頃。

この素朴な村の中を3日間かけて進んだ。最後には馬も言うことを聞いてくれるようになり、全速力で走ってくれるようになった。

  

レソトからブルームフォンテインに戻り、夜行バスでケープタウンへと向かう。一度ケープタウンに向かってから、北のナミビアに向かう予定だ。なぜこのようなルートをとったかというと、自分の親がナミビアに来るからであった。日本人、時間がないのでもちろんナミビアからケープタウンまでは飛行機で飛ぶ予定だ。でも僕は飛行機で飛びたくなかった、あくまで陸路でこの大陸を縦断したかったのだ。だから2回ケープタウンに来ることとなろうと、陸路でここまで来ることにこだわったのだ。

そして僕らは、ある意味最後の町となる、ケープタウンに到着した。ここで西アフリカのカメルーンでお別れした大西洋と再開。ケニアのインド洋から、この大西洋までの横断も、また長かったなあ。
ケープタウンはきれいな海のすぐ側に海抜1000mもあるテーブルマウンテンがそびえる美しい町。世界で最もすばらしい町の一つと称えられる、この町。確かにいい町だと思う。ただ僕はそこまでこの町がすばらしいとは思えない。
当初、あまりにもヨーロッパに類似したこの町が、僕は好きになれなかった。ただのヨーロッパの偽物じゃないか、と。ただ、町にいるうちに、この町が持つミックスな雰囲気が好きになってきていた。黒人がいて白人がいて、インド人に中国人、イスラムのモスクがあり、ムスリムの食べ物があり、インドのサモサがあり、寿司までも食べれて。正直すばらしい町だと思う。
しかし、と、ひねくれた僕は思う。こう思ってしまうのは、白人居住者が、このケープタウンを世界で一番すばらしい町だと、恥ずかしげもなく、僕に何度となく語りかけてくるからかもしれない。
僕は彼らにこう言ってみたいのだ。町の外に、あんなにもひどいスラム街が広がるこの町が、この国の、どこが世界で一番すばらしいのか、と。ケープタウンは、そこにある問題に目をつぶっていれば、確かに世界一すばらしい町の一つかもしれない。海の美しさもさることながら、白人の居住地には築100年以上の歴史ある建造物がゴロゴロしていて、雄大なテーブルマウンテンを背後に持つその町並みは本当に美しい。ただ、一歩町の外に出ると、そこには職を持っていない、黒人のトタンでできた家とは呼べない代物が所狭しと並ぶ。ケープタウンの中心街から黒人と混血を追い出して、きれいな町並みを保ってきた白人たち、その町をその白人たちにすばらしいとだけ言ってほしくないね。現実は、すばらしいだけでなく、もっともっと悲しい。
アパルトヘイトの残した傷跡は思ったより深刻で深い。

  

この国、南アフリカはあまりにもアメリカに似た国だと思う。この国にいればいるほど、その考えはより確かなものとなってくるのだ。バスのなかで、後ろに座っていたアメリカ人が「まあ、アメリカにそっくりな景色だわ」と叫んだ。その通りだ、と思った。景色もさることながら、ハイウェイの造り方までもが似ている。
そして似ているのはこの国の抱える問題だ。これが何十年か前のアメリカそのものじゃないか。黒人と白人の貧富の差、人種差別の問題、銃犯罪の深刻さ、どれをとってもこの国はアメリカだった。

まあ、こんな批判的な目でこの町を見てしまうのは、僕が病気だからかも知れなかった。数日でナミビアに出る予定が、もう一週間。なぞの高熱に始まり、親知らずを引っこ抜き、それでも高熱が続いている。せっかくすてきな町にいるのになあ。写真でも撮りに出かけたいよぅ。

Next >>

 

▲top


All text and images © 2007 tabibum . All rights reserved