地震メモ 1 Month 情報過多な世の中で

あの日から今日でちょうど一ヶ月。
死者不明者は27,000人を越えた。もしかしたら死者は100名いってしまうのでは、と思っていたあの日の自分が懐かしい。不謹慎ながらも、ちょっとワクワクしながら気分が高揚して一人で4時間歩いて帰ってきたことも懐かしい。あまりにも壮絶な出来事だった。なんかいろいろなことが根本から変えられてしまって、決して過去には戻れない。
改めて思うのは、一寸先はわからないのだということ。だから昔からそう思って生きてきたつもりだけど、悔いのないように生きたいと改めて思う。

今日は余震がかなりあって、ひとりぼっちのオフィスはかなり孤独だった(みんな海外出張に行ってしまった)。基本びびりだから、あれから揺れに敏感で、日々体が揺れているよ。

東日本大震災と比べられるのが、阪神大震災や911くらいしか自分の時間軸には見当たらないのだけれど、あのときと明らかに違うのは情報量の多さだと思う。ひとえにインターネットだ。ツイッター、フェイスブック、ブログ、ウェブ、情報が溢れいてる。
たとえば被災地にしても、ある一定の情報がタイムリーに拡散される。たとえばボランティア一つをとってみても「がんばれって言うな」とか、「ボランティアは迷惑だ」とか、「ボランティアに行くせいで地元のコミュニティーが破壊されてしまったのでは」とか。でも一方で、誰もが被災地を見た方がいいとか、ボランティアは不足しているとかいう情報もあるわけで。
いろいろな人がいろいろな思惑を持ってして、意見を述べそれがRT的に拡散する。RTされればされるほど、支持をされているような錯覚も起こってしまうけど、別にどうだっていいじゃんと内心思うのだよ。その文章を「読め」とか強制するような輩はさておき、みんな一方的に情報を発信して、一方的に受信しているわけであり、読む権利もあり、読まない権利もあるわけだから、いろいろな人がいて様々な意見を述べるのはある意味当然のことであるわけで。もちろん公人やメディアではなく個人の発言に限ったことだけど。

何が言いたいかと言うと、あまり外野に惑わされずに、自分の意見をしっかりともって行動すればいいんだと思う。正解なんてどこにもない、そんなのネットに落ちてない、全国民が評論家になったかのごとく発言し発信するけど、その検証は歴史に任せればいいし、人と人との繋がりがあってこその人間ですから、バーチャルではなくリアルな行動を、自分を偽らないでしていけばいいのだと思う。
何にせよ、行動すれば失敗でもいいから後に繋がる何かが自分の中に生まれると思う。一人ひとりがそれでいいのだと思う。

なんだか地震で涙腺がもろくなってしまったのか、ぐっと来てしまうことが日常的に多々あり。
きっとまたNHKに消されてしまうけど、なんど見ても、何に対してとかではなく、ただただ、がんばろうと思う映像。

それと「これがRockか!」と思った瞬間。

zutto uso datta / kazuyoshi saito from likeasaito on Vimeo.

歴史はこうやって紡がれていくのだよね。時間にただただ従順にさ。

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