Flint, Michigan

1992年。この街に暮らし、高校に通った。今でもホームステイ先の番地をスラスラということができる。
その後2回訪れたけれど、最後に行った時から20年の月日がたっていた。
なぜ、再訪するまでそんなにかかってしまったんだろう。

大人になった自分は、今回は迎えを頼まず、早朝のNYCから飛行機でデトロイトへ向かうとでレンタカーを借り、高速を北上した。REIに寄って、Best Guyという東部の有名ハンバーガーチェーンで昼食を取り、14:00 Kearsley High Schoolへと着く。途中の道はなんとなく覚えていた。ただし、ブロックバスタービデオや、お腹が空いてよく行った25セントのホットドッグ屋さん、いろいろなお店が消滅していた。

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学校は全くといっていいほど変わることがなかった。
無断で校舎に入ってみる。これまた当時のままだった。覚えているのは歴史の先生だけ。美術のクラスの生徒や体育の生徒、数学や歴史の授業の記憶もおぼろげながら蘇ってくる。24年たって、記憶に残っている、いないの分岐点は一体どこにあるのだろうか。少なくとも、高校2年のこの記憶は1年や3年の日本で過ごした記憶よりインパクトがあり、メモラブルである。あの時こんな経験をしなかったら、もちろん今の自分はいないと思うし、そんなインパクトで記憶に残る時間を送り続けなければいけない。

もう24年も経っているのに、まるで昨日のようで儚い気持ちになった。ああしておけばよかったな、もっとあれをすればよかったな、そんな感情が湧いてくる。もちろん、ベストは尽くしていたのかもしれない。ただ、何十年経っても後悔をすることがないように、今この瞬間も精一杯生きるべきなのだ

過去に生きてはならない、今を生きなければならない。ただ過去はいろいろなことを思い出させて教えてくれるし、それは捨ててはならないもの。過去を定期的に、そして真剣に振り返ることは大事だと思った。思い出せない記憶の層がミルフィーユのように幾十にも重なっていて。それはふとしたきっかけで取り出される。今日この瞬間のように。そして、いい思い出って、時間が経ってもずっとどこかに残ってるんだなあ、と。ミシガンで過ごしたあの時間は間違いなくいい時間だったのだ。

ミシガンのお家へと帰る。お母さんに会うと、なんだかとても照れくさかった。ナンシー ・ マッケンジー, 両親も兄弟も耳が聞こえず、このお母さんだけが家族で唯一耳が聞こえた。どんな幼少期だったんだろうか。手話の通訳のような仕事をしていて63歳となった今は週3日のパートタイムになったようだ。反抗期のホストシスターや、愉快なホストファザーもいたけれど、このホストマザーの優しさこそが全てだった。宿題を毎日手伝ってくれて、週末は連れだしてくれて、平日もバレーボールによく付いて行った。別れるときは大泣き。もう二度と会えないように彼女は思ったんだろうけれど、若い自分は時間の感覚が違ったので、いつでもこの生活は戻ってくると思っていた。今では通り過ぎていく、一瞬だけしか存在しない時間について、理解することができるようになってきたと思う。今は今しかない。

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姉のクリスティーはミネソタに住んでいて、妹のケリーは近所だったので旦那さんと子供二人と来てくれた。そして我々は夕食に行き、想い出話に花を咲かせた。ものすごい量のミールを食べ、NYとの物価の違いに驚いた。早い夕食だったのもあるけれど、夏至が近くて日が長く、家に戻ってもあたりは明るかった。

自分が住んでいた部屋はパソコンルームとなり、バスルームは改築されていた。庭のプールは子どもたちがいなくなったのでなくなり、当時とは別の犬が住んでいた。芝生は綺麗に刈られ、大きな木は病気で倒されていた。裏庭の森から学校へと続いていた道は、周囲に子どもがいなくなったためか木が密集してしまいなくなっていた。枝をかきわけ木々をくぐり、強引に学校まで行ってみた。当時より近く感じられるのは、距離に関する捉え方の変化であろう。グランドでは少年野球が行われ、家族が観戦しに来ていた。もしかしたらこの親と同級生だったかもしれないな。そんなことを思った。

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慌ただしいけれど、20:00前に出ることにした。空港までは100km以上、明日のフライトは6:00なので3:00起きの予定だった。皆んなとハグして、本当かどうかわからないなと思いながら「また来るよ」と言った。それがいつになるのかはわからない。20年後なのか、10年後なのか。それでも、またいつか来たいと思う。

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帰りに違う道を通ると、右手に大きなスーパー、左手にコートヤードモールというかつて見慣れた光景が目に入った。これこそあの時沢山通ったモールだった。思わず車を止めて中に入る。当時GUESSなどの人気ブランドが入っていたモールは現在ではほとんどのテナントが閉まって閑古鳥が鳴いていた。駐車場のアスファルトもヒビだらけだ。当時7-8軒あったというGMの工場はいまは1軒だけ。自動車産業ともに確実に衰退していっている街の様子をそのまま表していた。これまでアメリカの有名都市ばかり旅してきた。田舎にはこんな街が五万とあって、そこに住む人々がいるのだろうな。

グッバイミシガン、また来る日まで。

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