アフリカの月の山 ルウェンゾリ 02

トレイルヘッドの村キレンベ

国境の町カセセから15キロほど坂道を登ったところにあるキレンべという村が今回の登山のトレイルヘッドだった。ウガンダ側のルウェンゾリ山にはルートが二つある。一つは昔からあるサーキットルート、もう一つが今回登るルートで、10年前に切り開かれ、この村の名前がつけられているキレンべルートである。

村にはガイドをお願いしている「Rwenzori Trekking Service」がバックパッカー宿を所有していて、お世話になることになった。実は弘樹は日本出発時に高熱を出して寝込んでいて、強引に連れてきたものの無理がたたってたいそう辛そうであった。なので、ここで二泊の休養をとることにした。山に囲まれたのどかな村で何もしないでゆっくりするのには最高の場所だった。

宿から出ると簡素な家々が並ぶ集落があった。小さい村なのに、外には溢れんばかりの人がいて、大人も子どももおめかしをして踊っていた。そうか、今日はクリスマスなんだ!教会ではミサが行われ、アフリカ流の聖歌も歌われている。踊りもまたアフリカ流でリズム感がすごい。教会にいれてもらって、歌に耳を傾け、子どもたちの踊りに見入った。外国人はそれなりに珍しいのか、村を歩くだけで子どもたちがついてくるので、忍者ごっこやカンフーごっこをして遊んだ。

夕方になると空気は徐々に冷えてきて、しばらくぶりに走ることにした。日本を出発してからというもの、飛行機の椅子にタクシーやバスのシート、とにかく座り過ぎで体が固まっていたので、5日ぶりにもなる運動が新鮮でもあり、体を動かすこと自体が楽しい。

村の道は山に向かって登る道かカセセへと下る道のどちらかしかない。両脇は山に囲まれ、斜面には所狭しとバナナやキャサバの畑が並ぶ。道路脇の家から「ムズング〜!」と子どもたちが叫ぶ。ムズングとは白人という意味で、アフリカにいるとどこでも悪気なくこう呼ばれる。日本の子どもが農村でいきなり外国人を見たら「外人だ!」と反射的に叫んでしまうと思うけど、きっとそれと一緒だ。子どもだけでなく、大人たちも我々を見てはびっくりして振り返る。村のロードを走る「白人」なんて滅多にいないんだろうなぁ。

汗がゆっくりと出てくる。振り返ると遠くにルウェンゾリが見えた。走ることによって弘樹も少しずつ体調が良くなったようだった。


20名を超えるパーティーを編成

12月26日、クリスマス翌日の朝、我々のパーティーはスタート地点に立った。パーティーと呼ぶのは我々は4人しかいないのに、グループとしては総勢20人以上となったからだ。自分たちが望むのはミニマルなスタイル、ガイドもなしが望ましい。しかし前調べによると、そもそもジャングルで道は不明瞭、山頂直下の氷河の状態は季節によって変化するとのこと。少なくとも案内人は必要そうだった。事前にガイド会社に相談してみると、ポーターをお願しなくても、山小屋を使わなくても、レンタルをしなくても、値段はフルプライスしかなく一律とのことだった。ならば、と彼らの方法に従うことにしたのだ。ガイドは贅沢にも3人アサインされ、スタート時のポーターは14人、このガイド会社が建てた山小屋を利用させてもらうスタイルになった。


ヘッドガイドのモーゼスは39歳で山頂に立つこと100回以上、冷静沈着、知識レベルも高い。20代のヘンリーは普段はカンパラに住む若者でBボーイ的な服装をしている。雨が降ろうと決して雨具は着ずにおしゃれ着を着たままというこだわりを持つ。ボクシングをしているらしく体型がヤバイ。3人目のアサバは地元のカセセに住むポケッとした天然キャラだったが、天然を発揮してなのかスタート地点にも前日のブリーフィングにも現れなかった。


こうして総勢20名を超えるパーティーでキレンべの村を出発したが、ポーターたちは家に一度戻るのか早々にいなくなり、ガイドのアサバもいないので、モーゼスとヘンリーと我々、という静かなグループで進むことになった。一年で一番忙しくてビジターが多い、と聞いていたのに我々の他には誰もいなかった。村を抜けると一度森に入り、その先の小さな集落を過ぎるとレンジャーステーションがあった。ここで国立公園の入園料、一泊35ドルを6泊分支払い、いざ国立公園でもあり、世界遺産ともなっているルウェンゾリ山岳国立公園へと入った。

アフリカの目と「How is Life?」

シダ植物が生え木々の幹を苔が覆う森はみずみずしく、川がいくつも流れていた。現地のセミだろうか、「ジジジジ」という声も聞こえる。半袖短パンで登っているのにかかわらず汗が吹き出してくる。出発地点は1,450mで今日中にいきなり3,000mまで高度を上げる。通常のツアー日程より短縮しているので急な高度上昇となっているが、本来であればもっとゆっくりと進むのだろう。


「あそこを見てごらん」とモーゼス。

「どこにも何も見えない」と我々。

何度も目を凝らすと草と同化している三本角のカメレオンがいた。このあとも我らがガイドの「アフリカの目」はいろいろな動物を見つけては教えてくれることになった。

いくつかの川を渡り、森に響き渡る鳥や虫の鳴き声をバックコーラスにスイッチバックの急登をあがる。高度を上げるには効果的だが高度順応には不向きだ。吹き出す汗を手ぬぐいで吹きながら進むも、暑さにやられたのか標高のせいなのか体調が優れない。胸焼けがして、肺が苦しく、眠気がひどかった。高山病ではないと思いたいが、初日からしてすっかり疲れてしまっている自分がいた。たまちゃんはマイペース、弘樹は冷静、テラはやけに慎重だった。


「How is Life?」とヘンリーが聞いてきた。

人生がどうかだって?まあ、すっかり疲れてしまったけど人生はそこそこかな、とひとまず「Life is good」と答えることにした。数時間後に目が合うとまた、「How is Life?」と聞いてくる。人生なんて数時間じゃ変わらないだろ…「だから人生最高だってば」とまた返す。翌日もその翌日も、人生がどうかと繰り返し聞いてくるのでヘンリーがおかしいのかとこのときは思ったけど、後々ウガンダ各地で同様に質問されるので「How is Life?」は「How are you ?」と同義語だと見当がついた。ヘンリー、おバカだと疑ってごめんよ。

標高3,000mを超え 独特の景観 ヘダ・ゾーンへ

さて、2,500mのCamp1を超えると、急に竹林となった。このアフリカでアジアのような竹林と出会うのは新鮮であるが、かつてケニア山に登ったときも途中で竹林を見た思い出が急にフラッシュバックした。

木々の切れ間から雲が眼下に見えるようになってきた。次第にその雲が上にも見え始め、怪しいなと思っていたらパラパラと雨が降ってきた。幸い小雨のためか、森の中ではカッパいらずだった。ヘンリーが雨に打たれたくなかったのか、急にスピードを上げる。

16:00、3,114mのキャンプ2「Kalalama Camp」に到着する。ついに本当の旅が始まった、と感慨深くもあり、メンバーみんなとがっしりと握手をした。遅刻をした3人目のガイド、アサバはここで待っていて「やぁ!」と呑気そうに言った。

この一帯は、へダ・ゾーンと呼ばれていて高木に独特の苔が垂れ下がっていた。これがなかなか、絶景な素晴らしい場所だった。進行方向には男らしい四角い岩肌を持つルウェンゾリ山の一部が見え、今日上がってきた方向に目をやると眼下にはカセセの街、そしてその先にはエドワード湖が望めた。

西側はすぐコンゴ領だという。15年前から行きたい国、そして未だ政情も治安も不安定で入れない国。その国が目と鼻の先にあり、あと数日でその国境ラインに行くことになるのが不思議で仕方ない。

コンゴの山に沈んでいくはずだった夕日は、ガスに覆われ見えなくなった。

本記事は『On Your Mark』に掲載された「ハラペコ探検隊 アフリカ 月の山へ』からの転載である。

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