アフリカの月の山 ルウェンゾリ 04

5年前の南米最高峰

ハラペコ探検隊というふざけた名前ではじめて旅に出たのはちょうど5年前だった。音楽会社に務めている友人が名づけてくれたこの名は、いつも何かに「ハングリー」っぽくていいし、何よりアルファベットのHola Picoとすればスペイン語で「ハロー山頂!」となるのが、これから目指すラテンの山ともマッチして、とても気に入ったところだった。

しかし、ハローと言いたかった南米最高峰6,962mのアコンカグアへの旅は、山頂を踏むことができない敗退の旅となった。天候不順の中、高所キャンプ地で3泊粘るも、最終日も天気が回復せずに暴風に煽られてタイムアップ。みんな無事に下山できたものの、悔しくてホテルで号泣したのを覚えている。

きっとどう頑張っても登頂できないコンディションだったのかもしれない。それでも、時折思い出しては、もっと頑張ればもしかしたら可能性はあったのかもしれない。あの時あそこで・・もしくはああやって・・・と回想することが、この5年間に何度もあった。

登頂前夜

「ヒューーーーーーーー」「ピュルルルル〜」
なかなかうまく眠ることができなかった。「5,000mまでは根性で登れるよ」と出発前までは豪語していたのに急に不安になった。

山小屋の壁面が隙間ばかりで、そこから吹き込む空気が冷たすぎて何度も目が覚める。睡眠不足のまま、起床時間の2:00を迎えた。いつもの朝食・オートミールが飽きてしまったのか喉を通らない。高山病で頭がズキズキするのでバファリンを飲むことにした。

寒さは想定通り、ちょうど0℃くらいだろうか。サーマルウェイトのアンダーウェアにナノエア、そしてシェルを着込みマイクロ・パフとR2はバックパックにしまった。ヘルメットにヘッドライトを付けてアイゼンを確認し、ピッケルを握って外に出た。弱気は気のせいに違いない「やっぱり気合と根性でいけるだろ」と自分に言い聞かせた。

暗闇の氷河を歩く

12月30日 午前3:00、日本を出て9日が経っていた。さあ、クライマックスの始まりだ。

4,485mのマルゲリータキャンプより、最高峰の5,109mマルゲリータピークを目指す。ヘッドランプの明かりだけを頼りに、真っ暗闇の中進む。先頭は一番経験が豊富なモーゼスだった。空には雲があるものの星が見えており、朝焼けや山頂からの景色を想像してワクワクした。岩の上には薄い氷が張り付いており、足を載せるとツルツルと滑った。岩を掴みながら慎重に進む。

出発して1時間も経たないうちにフィックスロープが登場した。このロープはガイド会社があらかじめ難所に固定してあるロープで、登高器・アッセンダーの出番となる。一人ひとりがハーネスにスリングで取り付けられたペツルのアッセンダーをフィックスロープに固定し、ロープに挟んだアッセンダーを手繰り寄せながら登っていく。真っ暗なのでここが崖なのか、ただの急な岩場なのかはわからないが、全員が比較的スムーズに登ることができた。

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そこからしばらくするとクランポン装着の合図をもらう。「ここで忘れてたらシャレにならないよな、アウトだよな。」昨夜何度も確認したのにも関わらず、不安になりながらバックパックの中にその存在を確かめ、あるのがわかるとホッとした。

クランポンを靴に装着して、暗闇の中の氷河歩行が始まる。先程までのツルツルの凍った岩場よりも、クランポンが刺さって進みやすかった。右に行って、左に行って、上に行っては下に下る。石の上に乗っていることもあれば、岩と岩の間の回廊のような場所もあった。目印も道標ももちろんない。

モーゼスはGPSも持たず暗闇の中、細かなルートどりをしていく。いったいどうやってコースを見極めているのだろうか。ガイドがいなかったらかなり厳しかっただろうな。というより無理だっただろう。「ここはすごい滑るぞ、ここは岩を掴んで左足をこっちに慎重に置くんだ」と的確な指示がされ「後ろにも伝えろ」と言われたので、要所要所で叫ぶことになった。気温は暑くもなく寒くもなく、レイヤリングがバッチリ当たったと心の中でひとりガッツポーズをした。

6:30、マルゲリータ氷河に着く。マルゲリータ峰に繋がっている氷河なわけだから、山頂が近づいてきているのだ。

小休止後、2班に分かれてガイドと我々はロープで結ばれた。誰かが足を滑らせたら、その繋がっているロープで助かる算段だが、大抵はみんな一緒に落ちてさようならとなるので、気休めみたいなものだ。だから一歩一歩慎重に進まなければいけない。モーゼスが先頭で続いて玉ちゃん。その次に僕、後ろのテラの面倒を見ろとモーゼスの指示。ガイドのアサバが我々のパーティーの最後尾。弘樹とヘンリーは二人セットで別れた。経験豊富なガイドなだけあって、誰をどこに配置して、どの場面で確保が必要なのか、これまでの行程で見極められているようだった。

前日にここを登ったチームはこの氷河でアイススクリューが使用され、ロープで確保されながら上り下りをしたと言っていたのだが、我々は良くも悪くも合格点だったのか、支点での確保はなしで登ることになった。

サクサクと氷河にクランポンが刺さる。30度くらいの斜面だろうか、結構急。

誰かが踏み外したらみんなで仲良く下まで滑落するんだろうな・・・と思いながら、一歩一歩慎重に、アックスを使い3点支持の原則を守りながらゆっくりと進む。できるだけ息が上がらないように、単調な作業を繰り返す。

7:00には空がだいぶ明るくなってきたけど、日本にいるときから想像していた山頂の朝焼けは全く見えず、ホワイトアウトのままだった。

5,000mを超える

突如、前方に氷の塊のオブジェが現れた。進路は右方向に分岐し、そのオブジェをくぐるように進んでいく。右側はバッサリと切れて崖になっているようだった。それにしても不思議な造形物だった。再びアッセンダーを使用する難所が現れ、そこを登ると平らなテラスとなった。

緊張が続いてたので、ここで一息。

「あと100m、アックスはここに置いていこう」モーゼスが言った。すなわち5,000mを超えたのだ。ここからはヘンリーがリードした。なんでアックスを置いてきてしまったんだろうと後悔するような、岩と氷がミックスする崖みたいな登山道だった。玉ちゃんと「完全にミックスクライミングだね」と笑いあった。「モーゼス、右と左どっちだ?」とヘンリーが道に迷って叫んでいた。「右だよー」とモーゼス。

それは予想外に突然現れた。尾根に上がると、目指すべき山頂が見えたのだ。

少し戻って弘樹とテラにすぐそこだ、と告げた。

さすがに5,000mを超えているだけあって、息が切れた。「ゼーハー」と自分の声がこだまする。みんなが歓喜の感情をすべて外に出しながら、叫びながら山頂に向かっていた。

アフリカ第三峰のピークに立つ

8:12 全員揃って5,109m、ルウェンゾリ山塊・スタンレー山・マルゲリータ・ピークに立つ。アフリカ第三峰に登頂できたのだ。標高が刻まれた山頂のサインは完全に雪に埋もれていたので、ヘンリーが掘り出してくれた。あたりは真っ白で、期待していたものは何も見えなかったけれど、そんなことは些細なことだった。

山頂からは別の尾根が伸び、コンゴ民主共和国へと続いていた。「そこが国境だよ」と言われたところに当然線もサインもないが、そのまま進んで夢のコンゴに足を踏み入れた。

アコンカグア敗退が導いたもの

山頂には20分ほどいただろうか。なんパターンかの集合写真を撮ったり、国境を超えて記念写真を撮ったり、今回来ることができなかったハラペコメンバーが作ってくれた手ぬぐいを山頂の柱に縛りつけたり。終始喜びながらワイワイガヤガヤと。その間も天気は回復することがなく、真っ白のままだった。

景色も見えないし、下ろうとなったのが9:00頃。

登りよりも下りの方が危ないので一歩一歩慎重に踏み出す。とくにマルゲリータ氷河は結構な斜度なので、ロープが絡まらないように、アイゼンがしっかり刺さっているのを確かめながらゆっくりと進む。息も上がらず、サクサクとアイゼンの音だけが聞こえる穏やかな時間だった。ふと、5年前のアコンカグアのことが思い浮かんだ。あの時登れなかった頂きに、あのときの仲間で今度は登ることができた。それがただただ嬉しくて、自然と涙が出た。悔しさをバネにしたわけでもないけど、でもなんだかとても嬉しかった。あのときあそこでもっとこうしていれば、という後悔のシコリのようなものがようやく取れたような気がした。あたりは真っ白のままだったが、心の中の霧が晴れたのだ。

すべてのことに理由があるとは思わない、運命なんて信じない派だ。アコンカグアだって、あの時登れてたら登れてたほうがいい。登れた後の人生もきっと素敵な人生だったと思う。でも登れなかったこっち側の人生も決して悪くはなかった。登れなかったからこそ、ベネズエラのロライマ山に向かったし、今回のルウェンゾリに来ることになったのかもしれない。あのとき登れてしまっていたら、きっと今日のこの日はない。このメンバーでアフリカの奥地までやってくることはなかっただろう。

今回は100点満点の山行だったと思う。

でも常にいただきに登れるとは限らない。それは人生だって一緒だ。それでも全力を尽くして、精一杯生きれば、敗退だって失敗だってプラスに転じさせることができるのかもしれない。そんなことをこのアフリカの山が教えてくれたような気がした。

本記事は『On Your Mark』に掲載された「ハラペコ探検隊 アフリカ 月の山へ』からの転載である。

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