2020 ふりかえり

世界同時多発的なパンデミックが発生した、近代の誰もが未体験の一年間だった。日本でもそうだが、欧米ではたくさんの命が失われた。大切な人を失った人々へ謹んでお悔やみを申しあげます。

一方で、自分の生活が根底から変わったかと言われれば、ベースとなるものが変わったとは思わず、不思議な一年ではあったけど、変わらないものは変わらない一年でもあった。

東日本大震災のときに学んだことと言えば、幸いにも日常を失わなかったものは、いつもと変わらぬ日々に感謝しながら、変わらぬ日常を過ごそうというもの。今回のコロナでもめげることなく日々を送れたのは、こう思えていたからかもしれない。

ベースは変わらなかったと書いたけれども、コロナによって得た気づきは大きく以下の3つだった。

  1. デジタルワールドの利便性と可能性
  2. リアルワールドの大切さ
  3. 本当に好きなもの

1.
3月早々に在宅ワークが基本となり、今でも続いている。自分は仕事がデジタルマーケティングということもあって、在宅ワークに全く問題なく移行した。世界全体のデジタルへの移行は未来への可能性を感じたし、その真っ只中にいるのは楽しいなと思う。

2.
そうはいってもリアルが大切。
Zoom飲み、便利だけどつまらなかった。様々なバーチャルチャレンジもあまり魅力的に映らず。やっぱり実際に人と合うのが大事だし、実体験に勝るものはないと思う。デジタルの可能性を感じつつもリアルの大切さを再認識した次第。

3.
本当に好きなもの。
緊急事態宣言が発令され、世の中は自粛モード一色。当時は山に行くのも不謹慎、という流れがあった。
このまま禁止されたら山も旅もいかないのだろうか、いや禁止が続いたらこっそりなのか、ひっそりなのか行っちゃうだろうな、だってやっぱりそれが好きだし、今じゃないと言われるけど、今この瞬間しかないかもしれない。それが誰かに迷惑をかける行為ではなく、自己責任の範疇ならば、自分は行くだろうなと思った。それくらい、自分は山も旅も好きなんだなと、自粛を強いられて改めて感じだのだった。


さて、誰のためでもなく自分のための備忘録。
2020をふりかえる

1月
今では信じられなくなってしまったけれど、ヒマラヤにいた。
秋にまた来よう、次回はトレランスタイルでと誓ったんだけどね。残念ながら今年は叶わなかった。

帰ってから週末の朝はもっぱら葉山駅伝の練習に、千葉の鋸山にみんなで出かけたね。


葉山駅伝は仙元山トレイルクラブから3チーム。女子はなんと優勝し、我々のチームも入賞と上場の結果だった。

ファストパッキングチームのリユニオンなんてのもあって、そう、この時、弘樹に聞いたのは、ウエスタンステイツの練習はどうやったらいい?ということ。6月のビッグレースにまぐれにも当たってしまい、どうせ出るなら全力でと走りまくることを決心した1月でもあった。

2月
練習すれば練習するほど伸びまくると錯覚していたあの頃(遠い目)。なぜなら人生で一度たりともランナーだったことがない。ランナーになっちゃったら伸びしろかないっしょと思っていた(笑)

上旬には箱根外輪山。水曜日はRBRGのSHSの強化練習。会社のお昼休みには近所の公園でインターバル。週末にはBack to back。今となっては意味不明の週2でヤビツ峠。あるとき体が音を上げて、今につながる長き故障選手に登録・・・・なんでも極端なんだよなきっと。

3月
走りたいのに走れず、いろんな整体やら整骨院やらに通う日々・・・走れないから三浦半島を自転車で一周したら悪化したり。やっぱり走ってみたらさらに悪化したり・・・普段怪我をしないから怪我との付き合い方がわからない。中旬になると走ることを諦め、おじいさんのように近所をウォーキングしていた。

3/14 ローカルイベント仙元山100を開催。いつものグループランのコースを14周しようというおバカなイベントで、自分も出る気満々だったのだが、怪我でエイド員に回ることに。小雪降る中、6人の勇者が完走した。これが秋の100マイルチャレンジに繋がることになるとは、まだ誰も予想せず。

この頃にはコロナ問題が本格化し、仕事がリモートワークに移行し、突如小学校がお休みに。そのうちに幼稚園もほぼお休みになり、とてもつらい日常が始まったように思う。何が辛いって、平日は自由な時間がほぼない。自分は仕事でウェブサイトの一大リニューアルを控えており、妻も仕事のピークが来ていた。

4:00か5:00に妻が起き仕事を開始。僕は7:00頃に起き、9:00頃まで家事と育児。そこで育児を妻とスイッチし12:00まで働く。そこから14:00くらいまでランチを作り子どもを見て、そこで妻働く。14:00から17:00まではこちらの仕事時間。17:00にまたスイッチして、子供と遊んで夕食を作り、21:00に子供が寝てから24:00から1:00くらいまで働く。そんなタイムスケジュール。これがしばらく続いたので、学校と幼稚園が再開したときは本当にほっとした。

4月
桜は咲いたのを覚えているが、記憶が曖昧だ。
iPhoneにはダイヤモンド富士の写真。
まだ走れなかったし、もうアメリカのレースに行くことは諦めていた、というか開催されないと思っていた。夕方には三ヶ岡によくウォーキングに行って、真名瀬から夕日を眺めた。数年前に葉山に引っ越してきたことを心から感謝した日々だった。

5月
GWは半分は仕事。
故障から約2ヶ月。ようやく走れるようになってきたので、まだ自粛モードの世の中だったけれど、近所の友人たちと、とにかく地元の山の中を走った。二子山山塊に詳しくなったのは収穫。

緊急事態宣言が解除されて下旬に向かったのは丹沢から高尾への50kmのラン。

6月
箱根の外輪山や青木ヶ原樹海などに行く。
3周連続で長い距離を走ったら、また足に違和感が・・・・

下旬にはすべての自粛も地域緊急事態も終わったので、急遽チケットをとって娘と初めてのふたり旅 in 大好きすぎる座間味へ。
美ら海も行ったよね。

7月
仙元山トレイルクラブの有志で、東北トリップ。3日間で蔵王、大朝日岳、月山を走るという超弾丸。

下旬にはフェリーに乗って四国へ。
計画では四万十川を息子と下る予定が、天気がひどい予想になり徳島の郁子家にお世話になり、サウナに入り、キャンプをし、本田さんとリサさんとサーフィンをして、再訪を誓う(そして実行する)

8月
ヨーロッパにでも行きたいと思っていたが、願わなかった夏休み。
遠くに行くでもなく、葉山の海でよく遊んだなあ。息子の同級生が、飛び込み行こう〜と平日の夕方に訪ねてくる。いや、仕事なんだけどな・・・・と思いながら、仕事は夜に回そう、とよく飛び込みにも行った。

だらだらと書いていたら、あと30分で2020が終わるので巻く。

上旬:息子と北アルプスへ。燕、大天井、常念岳の表銀座コースを二泊三日のキャンプ泊。写真見るまで行ったのすら忘れていた・・・
中旬:笠ヶ岳へランニング。
下旬:友人たちと佐渡ヶ島へ狩猟の旅へ。

なんだか、やりすぎじゃないか・・・
いつも友人たちに生き急いでると言われるのはこれか・・・

9月

9/12
今年の自分的チャレンジ。八ヶ岳一撃全山縦走。
数年前から考えていたので、達成して感無量。

下旬
今年二度目の座間味へ。
そして座間味だけでは物足りず、その後別腹で宮古島へたしか10日くらいの旅だった。

10月

絶景の谷川岳馬蹄形。
家族で松本十帖へ。
そして斑尾50km

11月

みんなでつくった仙元山100mile
https://www.tabibum.com/blog/?p=5470

そして足を引きずりながら二度目の徳島の神山にて郁子と寺と触れ合う。

12月
上旬は伊豆大島へ。
下旬は白馬に5日間。

書いていたら2020が終わって2021になってしまった。

こうやってみると、海外に行けないながらも、それを国内の旅にぶつけた2020だったのかもしれない。いい側面としては、これまでの課題となっていた、日本のいろいろな場所に足を運ぶ事ができたし、地域コミュニティとのより強い絆の構築と発見があったと思う。

でもやっぱり、遥かなるどこかに2021は行けるようになるといいなと心から思う。

One Reply to “2020 ふりかえり”

  1. WS100の中止は残念でしたが、振り返ってみると極めてアクティブで盛り沢山。たくさん遊んだ一年とお見受けしました。感染拡大の規模が桁違いのカリフォルニアで缶詰の私にとってはかなり羨ましいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA