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2007 Spring

都会へ @4月12日

丸3年間。田舎での素敵な暮らしに終止符をうち、神奈川に引越してきました。ネットワークのある界隈を活動拠点としたいのが主な理由かな・・・
基地が近いこの場所は、飛行機が「ぐおーん」と爆音を立てて飛んでいきます。昼間から家にいると結構うるさいです。
ひさしぶりの都会の生活は、それはそれで新鮮で、それなりに快適で、20年以上こんなとこに暮らしていたわけだから、あまり違和感も感じません。
3年ぶりに無の会に入会。日々何もしてません。
何かをしよーって思うんだけど、その何かがまだなくて、何かが悶々としているのだ。だからそのうち悶々の正体がわかるだろうな、と思いながらとくに焦るわけでもなく悶々としたままにしてある。
言ってることがよくわからないね。
まあ、これだ!というやりたいことがないのだよ。リビアにも行きたいし、イエメンもチベットだって行ってみたい。だけど人生を賭けてまで行きたいかと言うと、そんな場所はないのだ。
やりたいことはすでにやってしまったのだ。すげーやりたいことを探さなくてはいけないのだ。そうしないと元気に生きていけないみたい。むーん。
朝ゆっくり起きて、コーヒー何杯も飲んで、気がついたらこんな時間!今日何してたんだろう的日々なのだ。
しばらくはこんな生活かしら。

アフリカと深夜特急と @4月17日

ごろごろごろごろごーろごろ。怠けだいじーん、お〜だいじーん♪
朝はのんびり起きます。でもその後はパソコン向かってパチパチパチパチ。結構猛烈にパチパチパチパチ。もう目が限界!ってなるまで夜までパチパチパチパチ。
ウェブサイトを作り直しています。昔のことを整理しています。
こんなことして何になんだろうって正直思う。一昔前ならいざ知らず、これだけネットが発達して情報が溢れる中、別に見に来る人もいないよな〜って思うし、過去の旅は過去のものだし、そこに発展性はあるのか!?などと自問自答したり。
でも、これは究極の自己満足と、自分の中への整理なのだ。

もう4年も前になる。夢のアフリカを旅した。あまりにもやりたかったことだから、終わったらやりたいことがなくなってしまった。メッカに行ってしまったイスラム教徒もこうなのか?つまりはメッカは夢のままにして行かないほうがいいのか?とも思ったりもして。
その旅の整理がつかないでいた。写真も整理していないし、このウェブサイトでも写真は随時アップしますといいつつ、途中で投げ出している状態。
それがのどにつっかえた骨のように、ずーーーっと気になっていたのだ。

coyoteの沢木耕太郎特集で、彼がこんなようなことを言ってた。
深夜特急の旅は、常に自分の中で熱を持っていた、と。だけど、本としてすべてを書き終えたとき、彼の中での熱やもやもやとしたものは消えてしまった。その旅は本としての生は与えられたと同時に、彼の中では死んでしまったのだ、と。

僕もアフリカや過去の旅を一度きちんと整理して、もやもやを取り除きたいのだ。まあ、死んでしまうという表現はいやだけど。
今はとっても時間があって、この時間を利用してどこか行けばいいとも思うんだけど、過去を振り返る時間もまとめる時間もまた大事だと思うのだ。前に気持ちよく進むために 

FORGET ME NOT @4月27日

"Forget Me Not"
1997年に購入したスウィッチ新年号の星野道夫特集で目に飛び込んできた言葉。

昨日、横浜の公会堂に地球交響曲第3番を見にいってきた。見たい見たいと思いつつ、なかなか時間があわなくて、念願かないようやく見ることができた初ガイアシンフォニー。10:30からの開演で、周りは主婦のおばちゃんだらけだったけど、そのおばちゃんたちに混じって、最後はかなり啜り泣きをしてしまった。

夢を追い続ける生き方ってなんて素敵なんだろう。
自分に正直に生きることはなんて美しいんだろう。
映画のなかの演出のせいもあるかもしれないけれど、星野道夫だけじゃなく、彼の周り、アラスカで生きていた人々も心打たれる人ばかりだった。

星野道夫が最後に出した本の『旅する木』のなかでの最後の文章がワスレナグサの話らしいのだが、それが英語でForget Me Not。約10年前に書店で買った雑誌の言葉とはじめて繋がった。まるで言葉も旅していたよう。その偶然にまたポロリ。

帰ってから確認しようと『旅する木』を探したけど、不思議と見つからないのだ。かわりに『風のような物語』を眺め、自分がアラスカに行ったときの写真を眺め、ツンドラの匂いと共にソファーで寝た。

心と体の別居 @5月14日

「ぜ〜は〜、ぜ〜は〜」
何の因果か月末に箱根の山の中を55kmも走ることになってしまった。さすがにちょっと走らにゃやばいな、と思って、公園に走りに行ったり、近所をちょっくら走ったりしている。
走っているときに、気持ちばかりが前に行く。そこにはもう1人の別な自分がいて、のってくると速度を上げようとする。でもそれに体がついていかないのだ。心だけが先に行って、自分の目の前を心が追い越していく。心についていこうとがんばっても、体が許可してくれない。

一昨日、富士山の頂上に昇り、スノーボードで降りるということを久しぶりにやった。
ぼくの心と体は日本で最も高いこの場所でも別居をしていた。心はもっと早く登れるし、ハイスピードになれるのに、体がついていかないのだ。悪いペースではなかったけど、下山したらかなり疲れてしまった。
今回は10人ほどのパーティーだったが、みんなかなりの手だれで山のプロたち。中には10歳も20歳も年上の人がいる。彼らは決してハイスピードではないけど、じわりじわりと着々と登っていく。結果的にペースはほとんど一緒だった。しかも下山してもほとんど疲れてない様子。
これが経験地ということなのだろう。そして、自分の体のことを十分に理解しているということなのだろう。

ぼくの中では自分は強い自分のまま。たとえ今は違うとしても。
日焼けなんて平気さ、と思って登ったけど、ぜんぜん平気じゃなくて今日も顔が腫れてアイタタタなのである。自分が思っているほど、自分はもはや強くない。理解に勤めよう、といのが今回の教訓なのだ。
まだまだ心と体は別居中。このままじゃ月末の箱根がさすがにやばいぞ、という話なのである。
早くチューニングして、心と体が同居できるように仲介しよう。
ということで、これからちょっくら走りに行ってきます。

ちなみに友人がつくってくれた富士山のレポートはコチラ

 

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