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孤独と不安と葛藤と (ヨーロッパ)
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翌朝、アンダルシア地方の中心都市、セビーリャを目指すことにする。そこなら両替もできるだろう。
 出発しようとすると、自転車にまたがった怪しいおやじが寄ってきた。彼は唾をとばしかねない勢いでぼくにスペイン語で話しかけてきた。
「ノースパニッシュ、スペイン語わからないんだ」
 そうは言ってみたが、彼には伝わっていないのか気にしていないのか、かまわずしゃべりつづけているので、しょうがなく笑顔でひたすら頷いた。すると
「ビタミーノ、ビタミーノ」
 としきりに同じ単語を連発し、プラスチックボトルを持った右手をこっちに差し出してくるじゃないか。中の液体はションベンのような色をしてた。
「ビタミーノ?ビタミン?これを飲めってこと?」
「そうだ、そうだ」
 オヤジは元気よく頷いた。ぼくはそのション色した液体を思い切って飲み込んでみた。それは炭酸が抜けたオロナミンCのような味がした。オヤジは満足そうに笑っていた。
「よしよし、じゃあな」
 かれはそう言うと、来たときと同じように自転車で去っていった。不思議な人だ。でもスポーツマンはビタミンを取れってことで、あれを飲ましてくれたのかな。なんだなんだ、ただの親切なおっちゃんじゃないか。とりあえず、初めて話したスペイン人は親切だったということだ。これは幸先が良いということにしておこう。

 90キロほど走ると、アンダルシア地方の中心都市、そしてスペインで4番目に大きい町でもあるセビーリャに着く。リスボン以来の久しぶりの都会である。
 ひとまず宿を探すことにし、ガイドブックに載っていた安宿を探しながらウロウロしていると、背の高い男がよってきた。年は二十代中ごろというところだろうか、その男はまわりをキョロキョロ眺め、身体を震わせながら、
「宿ならあるぞ、1500ペセタだ。カム、カム」と言った。
 なんとまあ、怪しいやつなんだ。突然の申し出に困っていると、また
「いいからこい、ここいらではそれより安い宿はないんだ。おまえのためにスペシャルプライスだ」と言う。
 これが俗に言う客引きというやつか。1500ペセタといえば、約1000円。決して高くはないし、とくにこれといった当てもないのでとりあえず行くだけ行ってみるとするか。
 連れて行かれたところは、入り組んだ路地を入ったところにある、スペインではPensaoと呼ばれる種類の安宿だった。中に入ると、まず中心に枯れた噴水があり、それを取り囲むように部屋があった。今となってはただの古臭い安宿だけど、昔は結構立派な宿だったのではないだろうか。案内された部屋はもっと奥まったところにあって、ベッドが一つと洗面台のみのとくにこれといった特徴もない部屋だった。洗面台の排水溝から下水のにおいが漂うのが少し気になったが、宿の主人の感じも悪くないし、とにかく疲れていたので、とりあえず二泊することを男に伝えた。すると、男はチップをよこせと耳元でささやき、手を差し出してきた。
 それはあげるべきものなのだろうか。でも彼はきっと宿の主人から紹介賃をもらうはずである。それに、紹介されたところに泊まってあげるのに、なんでさらにこいつに払う必要があるのだ。ぼくは「なんだそりゃ、わかんなーい」ってひたすらとぼけた。男はしばらくはごねたが、こっちに払う意思がないとわかると、あきらめて帰っていった。
 ぼくには彼ががめつい悪人に見えたが、実は宿の主人の息子で、その後もたびたび宿に来ては、チップの一件など忘れたようにフレンドリーに話しかけてきてくれ、ちょっと卑しいところはあるものの、気の良い若者であることがわかった。そのたびにぼくは、あの時はなんだか悪い事をしたなと思うのだった。

 セビーリャには結局4日間いた。この芸術都市には、さまざまな見所があるらしかった。だけどぼくはスペイン一の規模を誇るカテドラルも、13紀に建てられた黄金の塔も、白い城アルカサルも見に行かなかった。とにかくお金がなかったので、そんなところにお金を払って入るより、そのお金で飯でも食ったほうがましだと思ってしまったのだ。歴史ある建物は外から眺めるだけで良しとした。
観光らしい観光をするよりも、街そのものを見ることのほうが楽しかった。スーパーやデパートに行って日本とは違うものを見ることのほうが、久しぶりに都会という都会に来たぼくにとっては新鮮だった。バス代すらケチり、いつも目的もなくひたすら歩いていた。観光名所を見るより、その方が街そのものの姿を見れる気がした。
 唯一した観光らしきことといえば闘牛を見に行ったことだろうか。その闘牛を見終わってしますと、もうセビーリャにいる必要はないように思われた。

セビーリャは内陸に少し入ったところに位置していたが、これからそのまま北東に進路を取れば確かに近道だけど、地図を見る限りでは山道である。それよりもだいぶ遠回りになるが、南回りで海岸線をひたすら走ったほうが無難に見えた。「急がば回れ」だ。それに何よりも熱くなったらすぐ海に入れるのだ。そこにはトップレスの美女が待っているかもしれない。まずはアフリカへのゲートシティーであるアルヘシラスへ行き、せっかくだから少しアフリカへ行ってみよう。それから海岸沿いにバレンシアを目指すとするか。

 こうして極端に山に恐れて南へ向かった臆病で軟弱なぼくを待っていたのは美女ではなく、風と熱さであった。

 セビーリャを出発した初日、スタートは好調で時速20キロ。このまま行けば目指すアルヘシラスには2日で着く。こんな快調な走りは初めてだ。だけど50キロを過ぎた時点で突如ものすごい向かい風となり、スピードがガクンと落ちる。そしてなによりも疲れがたまる。午後の暑い日差しが疲労感をさらに募らせる。
 真夏のスペインの日差しは想像以上に強烈だった。乾燥している上にこの熱さ、土地は赤くこげつき、道端にはサボテンが咲いている。アスファルトからは熱気が立ち上がる。川には橋がかかっているが、どの川もことごとく枯れているのだった。少し休憩しようと立ち止まると、たちまちハエが十数匹たかってくる。
 おいおいここは本当にヨーロッパなのかあ。水を4リットルに、冷えたジュースを4缶も飲んだが、おしっこをしたのはたった3回だけだった。ペットボトルに入れておいた水さえもいつのまにかお湯に変わっていて、飲んだ瞬間に驚いて吐き出すくらいである。なるほど、こりゃースペイン人は仕事をしないで昼寝を、シエスタをするわけだと妙に納得してしまった。
 それでも今日は9時間もこぎ150キロ進む。
 次の日、前日の疲れが蓄積しているのがわかるが進まないわけにはいかない。昨日にもましてすごい向かい風だ。木は激しく揺れ、すべての草と花は頭をこちらに向けていた。普通に立っていてもビュービューとすごい音が聞こえる。ひどいときは、道が平らなのに時速7キロしか出ないし、下りなのにこがないと進まない状態である。一体何事なのだ。
「風のばかやろー!」
 無駄だとわかっていながらぼくは叫んだ。もしも「風」の奴がここにいたら絶対に殴ってやる。それほどぼくは風に対し怒っていた。でも自然現象だけに、怒りのぶつけようがないのだ。運動しているのにどうしてストレスが溜まらなければいけないのだろう。何度も、自転車をほっぽりたくなったが、それをこらえやっとの思いで海岸線にでると、そこには大勢のウインドサーファーがひしめいていた。依然すべての風は自分に向かって吹いていた。
 ここでは果たして、いつもこのように激しい風が吹いているのだろうか、それなら風力発電でもやればいいさ。それとも今日のぼくはよっぽどついてないのだろうか。そう思った矢先に、丘の上にたくさんの、金属でできた白い風車が無数に見えた。本当にフウリョクハツデンをやっている・・・
その瞬間、張り詰めていた気力がはじけ、ゆっくり行くしかないやと、あきらめて地道に休み休みこぐことにした。
 結局今日は、スペイン最南端の町、タリファにとどまることになった。今日はスペイン最南端、この前はヨーロッパ最西端に最西南端、なんだか端がつく地名が多いなー、一ヶ月足らずで三つ目だよ。この際端の地マニアにでもなっちまおうか。
後々ガイドブックで調べてみると、この地域は大西洋の気団と地中海の気団がちょうどぶつかるところであり、ウィンドサーフィンのワールドカップも行われた場所だという。どうりで強い風が吹くわけだ、なっとくううう!

 この先のアルヘシラスでなくここタリファからも、アフリカのモロッコに船が出ているというので、次の日から早速アフリカへと5日間行ってみることにした。スペインを出て、たった2時間でアフリカに着くという。そんなに近いのかと驚いたけれど、晴れた日はタリファからアフリカ大陸が見えてしまうと聞いて妙にうなずく。モロッコには未だスペインの植民地があるという。そりゃ見えたら誰だって行きたくなっちゃうよな。

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