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アジアへ (トルコ)
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トルコ最大の観光都市であるイスタンブールに11日もいたにかかわらず、ぼくが観光に費やした時間は少ない。「アジアとヨーロパの架け橋」という称号を世界で唯一与えられたこの町には、数々の名所があるに違いなかった。
 多くの権力者が住んだといわれるトプカプ宮殿、元はギリシャ正教の大本山であり、現在はイスラム教の寺院に姿を変えてしまったアヤ・ソフィア。メドゥーサの石像が横たわる地下宮殿。それらの超有名な遺跡を2日で見終えてしまうと、残りの日はいつものようにブラブラしていた。有名なボスポラスクルーズにも乗らなかったし、国立考古学博物館やガラタ塔にも行くことはなかった。

 イスタンブールにはグランド・バザールと呼ばれる巨大なバザールがあった。店の総数4000店、中東最大とさえいわれていた。興味津々に実際そこまで行ってみると、貴金属や、お茶の葉、絨毯など観光客専用の品を売っている、なんてことはない観光客専用のバザールだった。日本人観光客も沢山来るらしく、通路を歩くと方々から日本語でお声がかかった。「安イヨ、見ルダケタダネ」「絨毯イカガデスカ」「オチャカッテイカナイ」といった具合だ。
 ぼくは買う気なんてことさらないのに値段だけ聞いて冷やかしたり、カセットテープ屋に入ってカセットを視聴したり、通りすがりのビスケット売りからビスケットを買ってはのんびりと歩いた。グランドと呼ばれるだけあって、そこはまるで巨大迷路のようだった。何度足を運んでも、入ってきた場所と同じ所から出ることはできなかった。

 ぼくはバザールが大好きだった。暇があればバザールへと足を運んだ。迷路のようなグランド・バザールに毎日のように入り、ガラタ橋の近くにあるエジプシャンバザールにも行った。ガラタ橋を渡って電気製品だけを扱うバザールにも行けば、休日だけに行われるというバザールにも行った。郊外のバザールまでバスで行くこともあったし、地元の人しか行かないよなバザールを見つけて心が躍るような気持ちにもなった。それほどぼくはバザールで珍しいものを見るのが好きだったのだ。
 バザールは一つの世界だった。そこにないものはなかった。食器から電化製品に至る様々な商品、衣料品、香辛料や食料品、そして人々の喜怒哀楽がそこにはあった。人の顔を眺めているだけでこちらまでおかしくなって、一人で旅行している寂しさを吹き飛ばしてくれるくらい幸せな気分になるのであった。

 ギリシャより格段と物価が安くなったこのトルコで、ぼくの食欲はさらに爆発した。珍しい屋台を見つける毎にそれを買って食べ歩いた。ケバブや、さばサンドにムール貝など、実際どれも非常に安くそして美味しかった。夜は毎日20分も歩いて、坂を下ってはシルケジ駅のそばの「ロカンタ」と呼ばれる、トルコの定食屋に足を運んだ。先述したように、このトルコの食堂では何か一品頼べば、パンが食べ放題でついてくるのだ。そのパンが格段においしいので、皿を一種類頼んでは、パンを貪り食った。
 そのトルコ式の太ったフランスパンが大好物となり、翌朝から宿の近所のパン屋に朝一番に行ってパンを買い、それが毎日の朝食となった。
 毎日毎日その定食屋に通うと、次第に店の親父と顔見知りになり、食後にトルコの紅茶、チャイをご馳走してくれるようになった。気づくと7日も連続でそこで食べていた。
 坂をあがって帰ってくる途中に、トルコの甘食屋がある。見るからに甘そうなそのお菓子を、一つ買って宿に帰り、お茶を沸かして食べるのが日課になっていた。
 そんなある日、お風呂に入ると自分のお腹が妙に脹れているのに気づいた。なんと太ってきているのだ。あれほど運動し、毎日6、7時間も自転車をこいでいるというのに、なんで太らなきゃいけないのだ。しかし理由は明快である。食欲が運動量よりも勝っているからに違いないのでだ。

あまりにもイランのヴィザ待ちが長いので、ついでにインドのヴィザも取ってしまおうという気になった。そこでインド大使館へ行ってみると、5日から10日かかると言われた。どっちにしろ今後必要なとなるものなので、ヴィザを申請することにした。
 料金はまたしても50ドル。宿代の10日分である。そのお金を払ってしまうとぼくの財布の中はますます寂しくなった。以前は収納するのに苦労したトラベラーズチェックも、今やすっかりペラペラになり、その軽さがもの悲しい。
 日本を出て早3ヶ月、予定では残り6ヶ月もあるのだ。しかし残りのトラベラーズチェックを調べてみると残金はたったの2000ドル、約23万円である。一応当初の計算内ではあったが、果たして本当にそんなに少しで足りるのかと心配になった。23万円であと半年暮らすなんて日本ではとてもじゃないが考えられたもんじゃない。

 インドのヴィザを申請してから6日目、ヴィザができたかどうか電話をしてみる。すると出来上がるのは4日後だと言う。いくらなんでも遅すぎるので交渉しにインド大使館へと行くと、大使館員は「じゃあ3時にできるから待っていろ」と言う。4日後が、急に当日である。ヴィザができるのは大万歳だが、噂に聞いていたとおり、なんていいかげんな国なんだろう。先のインド行きがますます不安になった。

 インド大使館で偶然にも自転車で旅をしている2人組に2組出会った。1組はフランス人の若者で、もう1組はオランダ人の夫婦だった。あまりにも奇遇な出来事なので夕食を一緒にすることにした。
 食事の席で話題になったのはトルコ東部の治安のことだった。ぼくが日本を出る時点で、トルコの東部には外務省から「注意喚起」が出されていた。注意喚起なら爆弾テロがあったこのイスタンブールにもでていたが、東部ではバスが乗っ取られて人質が取られたなど、不安な話ばかりだった。
 今日の問題の中心はクルド人である。クルドの独立を求めるテロ組織、PKKが今も東部で活動を続けているらしい。嘘か真かわからないが、山岳部には今もゲリラが潜んでいて、トルコ軍の活動も活発だという。今も昔もかなりの数の戦死者がでているということだった。そのオランダ人夫婦が持っていた情報では、最近、東南部に多かったクルド人が、イラクに攻撃されて北上を続けているということだ。
 北に上がってくればぼくらが通過せねばならない町、ドゥーバヤジットやエルズルムも範囲に入る。そこでトルコ軍と一波乱あったらこっちはたまったもんじゃない。話し合いの結果、フランス人とオランダ人の2組ともその地域はバスに乗るということになった。
 ぼくは迷っていた、バスに乗ればそれは楽で安全だけど、乗ると癖になってしまう気がするし、なんだか気分的に嫌だった。自分の足だけで進みたかった。
 ぼくは、今すぐに決断を下してしまうのはやめ、その場所に近づいてから臨機応変で考えることにした。

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