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不安と孤独なヨーロッパ
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 ちきしょー、寒い寒い。寒くて休憩もできず、飯も食えず、とりあえず自転車をこげば暖かくなるので機械のようにペダルを回転させていると、毎日標高差1000メートル以上の場所を進んでいるとは思えないほどの距離を稼いでしまった。シワスからエルジンジャン、エルズルムへと126、130、117、82キロと4日間、山道においては驚異的なスピードで進む。 

 標高1853メートルのエルズルムに昼過ぎに到着し、安宿を探し荷物を置くと、ぼくは早速食堂を探すことにした。町に到着してからの一番の楽しみはなんと言っても「食」である。エルズルムはさすがに東部アナトリア最大の都市だけあって、レストランなら選り取りみどりである。その中の一つに入りイスケンデールケバブを注文する。シワスでこれを食べて以来、ぼくはこの料理のトルコ、いや虜になった。回転させながら焼いた羊肉をスライスし、その上に自家製のヨーグルトソース、それにいつものごとくフカフカ焼きたて食べ放題のパン。
 しかし、もちろん食堂によってそれぞれ味は違うわけだが、今日のイスケンデールは不発であった。
仕方なく映画でも見るかと思って人に道を聞きながら、映画館の場所に行ってみると、改装のためか閉館していた。この町では唯一の映画館だそうだ。トルコ東部最大都市の規模はこの程度なのである。

 バザールへ行き、この町の見所である神学校や寺院を眺めていると次第に夕食の時間になってきたので、さっきのはおやつで、次こそ夕食と今度こそ狙いを定め小綺麗な定食屋へと入った。ここでもイスケンデールケバブを注文してそれを口へと頬張ると、先ほどからこちらを見ていた若い二人の女の子が近寄ってきた。片方はブスで太っていて、もう一方はやせて美人、と非常によくありがちな組み合わせだった。
「ここに座ってもいいかしら」
 でぶっちょの方が崩れた英語で聞いてきた。二人はぼくの目の前に座ると、興味深そうにぼくをジーッと眺めた。
「どこから来たの」
「日本だよ」
「それで何処へ行くの」
「とりあえず隣のイランに向かってる」
 でぶっちょは〈片言〉の英語で話してきたが、美人の子は英語を全く話せないらしく、でぶっちょに随時通訳をしてもらっていた。彼女は微笑みながらうっとりとぼくを見つめていた。
 何だこいつ、ぼくに気でもあるのかな。
「私たちとこれから外を歩かない?」
 どうやら彼女たちはめったに観光客なんて来ないこの町にぼくがいるのが珍しいらしく、もっとたくさんのことを聞きたいようだった。なんでも二人はこの近くにあるアタチュルク大学の学生だという。 かつて無いこの女性からの誘いに、今日となっては「完全自己中心型人間」となってしまったぼくは、あまり乗り気がしなかった。
「明日もはえーしな、山道は疲れるし、買い出しだけして早く寝たい」と自分の心が言っていた。
「これからいろいろ買わなきゃいけない物があるんだ。だから時間がないんだ、ごめんね」
「何を買うの?」
「うーん、野菜とかチーズとか、とにかく食料だよ」
「何で?」
「実は今自転車で旅をしているんだ。それで自炊をするから食料が必要なの」
「自転車?」
 彼女はどうも野菜を買うのと、自転車というのが理解できないようだった。
「自転車?」
「うん、自転車で旅しているんだ」
「なんで野菜を買うの」
「だからね…」
 するとでぶっちょはひらめいたように言った。
「あなたはアメリカ英語と、イギリス英語どっちを話すの?」
「うーん、強いて言えばアメリカ英語かな」
「ああ、だからよ」
 そういうと彼女は得意になって言った。
「私はイギリス英語しか話せないの。あなたの言ってるアメリカ英語は理解できないわー」
 ガーン、なんて傲慢。どっちも理解できないほどの違いはないんだけど…
 デブは何処の国でもこういう「勘違い野郎」が多いのか?
「オーケー、私たちもその買い物について行くわ」
「オーケー」
 ぼくは呆れながら言った。

 そのまま歩いてバザールへ行き、トマトにピーマン、チーズを買うと彼女たちはますます不思議な顔をした。
「どうして?」
「だから言ったろ、これで料理を作るんだ」
「ああ、私はアメリカ英語はわからないわ」
 でぶっちょはまた得意気になって言った。彼女にとっては、イギリス英語はアメリカ英語より格が上のようだった。それからも彼女は理解ができない単語が少しでも出ると、私はイギリス英語を話すのよと言い切るのであった。

「ディスコに行きましょう」
 買い物が終わると、それまで静かだった痩せたかわい子ちゃんが言った。こんな田舎に、しかもトルコだぞここは。ディスコなんて存在するのか。トルコ人女性に誘われディスコに行く、それも粋かな。えーい、行ってしまえ。
 連れて行かれたところはビルの地下2階、エレベーターを降りたフロアにあった。
 はち切れんばかりのヒップホップがかかり、ミラーボールが輝く下で無数の若いトルコ人男女が踊り狂う。ぼくの想像ではドアの中にはそのような情景が写っていた。しかし実際にドアを開けて  中に入ると、そこにはなんとも落ち着いた雰囲気の空間が広がっていた。
 ミラーボールはあったが、それが照らすフロアには数人の男女しか踊っていなかった。そしてそのフロアを取り囲むように設置されたテーブルと椅子に座っている人々は飲みながら静かにダンスを眺めているのであった。ダンスフロアはまるでステージのようだった。
 女性は普通に踊っていたが、男性の踊りがへんちくりんで可笑しくてしょうがなかった。まるでパートナーがいなくなってしまったチークタイムの踊りのように、腕を垂直に出し肘を曲げ、中指と親指をこすってリズムを取っているのだ。
 でぶっちょがトイレに行ってしまうと、痩せたかわい子ちゃんが、ぼくの目を見て首を傾げながら聞いてきた。
「ジャポン、アイラブユー?ジャポン、アイラブユー?」
 日本語でアイラブユーってどう言うかって聞いてるのかな。
「アイシテル、アイシテルっていうんだ」
 彼女は頷くと、自分を指さし、今度はその指をぼくの方へと向けて囁いた。
「アイシテル」
 と。んー!やっぱりこいつはぼくに気があるのか?
 でぶっちょがトイレから帰ってくると、そのかわいい子が「踊りましょう」とぼくの腕を引っ張った。ぼくは飲みかけのビールを机に置き、ダンスフロアへと一緒に歩いていった。
そしてなんと!
 ぼくは奇妙なトルコダンスを踊る羽目になったのだ。ぼくが普通に踊ろうとすると、彼女はだめよと言い、ぼくの腕をつかんでトルコスタイルへと戻すのであった。トホホ。
 チークタイムになり、静かな音楽に変わると、ぼくらも当然のごとく体を寄せ合うことになった。チークダンスだけにはトルコスタイルがないようだった、セーフ。でも普通の踊りからしてチークタイムみたいなもんだもんな。
 つい先ほど聞いた名前すら忘れてしまったそのかわいい子は、ぼくの背中に手を回すと「アイシテル、アイシテル」耳元で繰り返すのだあった。
 いーのか?暴走してもいーのか。
 よし、いってしまえ、もうこの先一生美人トルコ人とこんなチャンスはないぞ。今日のホテルはそこそこきれいだったな。あとはあのでぶっちょをどうするかだ。ムフフフ。
 にやけながらそんなことを想像していると、曲は終わり、もうこの場を出ようということになった。いつの間にか時計の針は11時を回っていた。当然のようにおごらされたが、これから起こることを考えれば、たった500円ぽっち安いもんさ。 
 階段を上がり、でぶっちょのことを考えながら地上に出ると、そのでぶっちょが言った。
「私たち寮で暮らしているの。もう門限だから早く帰るわ。今日は楽しかったわ」
 なに?そして、かわいい方の子も先程の「アイシテル」が何だったのか理解不能なほどあっさりと言った。
「じゃあね」
 そして二人は惜しげもなく帰っていったのだった。
 何なんだこれは、おごらされただけじゃん。これじゃあただの三枚目、ちくしょー!ホントに訳が分からなかった。日本の六本木ならまだしも、ここはトルコの田舎都市。いったいなんなんだ。
 くやしーくやしー、ぼくは本日3度目となるイスケンデールケバブをやけ食いすると、そのまま宿に帰って眠りについた。ぼくの帰りを待っていたベッドは、暗闇の中で寂しそーにかすかな窓の光に浮かび上がっていた。

本日学んだこと。
一、 デブは何処の国でも傲慢である
一、 女は何処の国でも理解不能生物である
                   以上。

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